忍野村から山中湖にかけて、かつて宇津湖という大きな湖があり、800年(延暦19年)の富士山大噴火の際に流れ出た溶岩によって二つに分断されたという話がある。分断された湖の一つが現在の山中湖であり、もう一つは忍野湖といい、この忍野湖がやがて干上がり、忍野の盆地となったという。富士吉田市に伝わる古文書群、いわゆる「宮下文書(富士古文書ともいう)」にそうした記述があることから、忍野の盆地と山中湖の、いわば“創生譚”のように語られるようになったもののようだが、事実は違うらしい。そもそも800年(延暦19年)の富士山大噴火によって分断されたという宇津湖は、当時存在していなかったようだ(山梨県環境科学研究所の調査によって宇津湖の存在が否定されている)。山中湖は800年(延暦19年)の富士山大噴火で流れ出た溶岩によって桂川が堰き止められてできた。富士五湖の原型となる湖群が形成されたのは二万年前から一万五千年前にかけての頃らしいが、その頃にあったであろう古忍野湖はそれから数千年の歳月を経るうちに消滅し、以後、忍野村から山中湖にかけての地域は広大な盆地だったようだ。富士山麓の地形の変遷については未だ謎の部分も多いという。さらなる調査研究が待たれる。