串間駅前から国道220号を北へ1kmほど行くと、国道の西側に県立福島高校が建っている。その高校の前に設けられたバス停が「高校前」バス停だ。写真はどちらも国道の西側、すなわち高校側に立っていた標識で、上の写真は南から北へ向かって、下の写真は北から南へ向かって撮影したものだ。写真からもわかるが、バス停に簡素な“屋根”が設けられていることがわかる。串間市コミュニティバスの路線では「福島高前」という名のバス停になっている。
(撮影:2008年夏)
福島高校前からさらに北へ数百メートル行くと、国道の西側に串間警察署が建っている。その前に設けられたバス停だから「警察署前」というわけだ。写真はどちらも国道の東側、すなわち警察署とは反対側に立つ標識を撮影したものだ。上の写真は南から北へ向かって、下の写真は北から南へ向かって撮影している。標識はずいぶん色が剥げてしまっている。下の写真の右側、バス停とは道路の反対側に警察署の入口が少し見えている。
(撮影:2008年夏)
警察署前からさらに北へ進むと、国道220号は緩やかに曲がって福島川に沿い、北方地区の市街地を抜ける。「上町二丁目」バス停は、その市街地の南寄りの場所に設けられたバス停だ。写真は道路の両側に立つ標識を、どちらも南側から北側に向かって撮影したものだ。上の写真は道路東側のもの、下の写真は道路西側のものだ。まっすぐに造られた国道の両脇に民家が点在している様子がよくわかる。
(撮影:2008年夏)
「上町二丁目」バス停の少し北側に「上町一丁目」のバス停がある。どちらの写真も道路東側に立つ標識を撮影したもので、上の写真は北から南に向かって、下の写真は南から北へ向かって撮影した。標識はずいぶんと傷んで色褪せている。バス停の傍らに咲いていた百日紅が写真に写り込んでいる。
(撮影:2008年夏)
JR日南線の日向北方駅前に設けられた「北方」バス停だ。「北方」は「きたかた」と読む。昔は南那珂郡北方村だったところで、1951年(昭和26年)に福島町に合併している。駅前は地区の中心地で、国道沿いに民家や店舗などが集まっている。上の写真は道路の西側、すなわち駅側に立つ標識を北から南へ向かって撮影したもので、2004年夏に撮影したものだ。下の写真は道路の東側の標識を南から北へ向かって撮影した。これは2008年夏の撮影で、少し天候が思わしくなく、空が黒雲に覆われている様子がわかる。下の写真の左下に写り込んでいるのは「JAはまゆう北方」の建物と「串間神社」を示す標柱である。
(撮影:2004年夏、2008年夏)
北方の駅前から国道220号を数百メートル北へ辿ると、国道から県道438号が東へ逸れている。県道438号は秋山という山深い地域へ延びている。国道から県道438号が分岐する交差点には「秋山岐れ」の名がある。“秋山へ至る道が岐れ(わかれ)ているところ”の意味だ。串間市にはこうした「○○岐れ」という地名が少なくない。その「秋山岐れ」のすぐ南側に「秋山岐れ」バス停が設けられている。写真は道路の東側に立つ標識の表裏を撮影したものだ。上の写真は北から南へ、下の写真は南から北へ向けて撮影した。下の写真の標識の左側に写り込んでいる信号機が「秋山岐れ」の交差点である。
(撮影:2008年夏)
「秋山岐れ」から2、3キロ北へ国道を辿ると、
JR日南線の日向大束駅前だ。駅前の国道脇に「大束」バス停が設けられている。駅の周辺が
大束地区、すなわちかつての南那珂郡大束村の中心地だ。大束村は1954年(昭和29年)、福島町、本城村、市木村、都井村と合併し、串間市が誕生した。上の写真は道路西側に立つ標識を北から南へ向けて撮影したもので、2004年夏の撮影。下の写真は2008年夏、道路東側に立つ標識を南から北へ向けて撮影したものだ。国道脇に家々が立ち並び、地区の中心地的佇まいが窺える。
(撮影:2004年夏、2008年夏)
大束の駅前のすぐ北側、国道220号から西へ県道34号が分かれている。国道は市境を越えて日南市へ向かう。
大束地区へと延びるのは県道34号の方だ。県道34号に折れてすぐ、「大束支所前」バス停がある。その名の通り、串間市役所大束支所の近くに設けられたバス停だ。上の写真は道路北側に立つ標識を東側から西へ向かって撮影したものだ。下の写真は道路南側に立つ標識を西側から東に向かって撮影した。下の写真の左上に写り込んでいる案内標識は県道34号と国道220号との丁字路を示すもので、左に向かえば日南市、右に向かえば串間市街である旨が記されている。
(撮影:2008年夏)
「大束支所前」バス停のやや西側に設けられた「園田」バス停だ。「園田」はこの辺りの小字名のようだ。バス停標識は道路の南側に一本だけ立っていた。写真はその標識をクローズアップで一枚、少し遠景で一枚、撮影したものだ。串間市コミュニティバスの路線には「園田」バス停はなく、すぐ西側の「上園田」バス停と対になる形で「下園田」バス停が設けられている。
(撮影:2008年夏)
「園田」バス停の西側に設けられた「上園田」バス停だ。ちょうど道路が坂道でカーヴしているところに設けられており、写真からもその様子がわかる。写真はどちらも道路の南側に立つ標識を撮影したもので、上の写真は東から西へ、すなわち坂道を登る方向で、下の写真は西から東へ向けて、坂道を降りる方向で撮影している。下の写真には道路脇に立つ店舗の建物などが写り込んでいる。
(撮影:2008年夏)
「上園田」バス停横の坂道を西へ登ると台地の上に出る。広々とした台地の上には畑地が広がっている。さつまいも(地元では甘藷(かんしょ)と呼ぶ)の栽培が盛んだ。その畑地の中を延びる道路脇に「製材所前」というバス停があった。串間市コミュニティバスの路線には「製材所前」バス停は存在しない。上の写真の標識はずいぶんと汚れ、傷み、色褪せている。周辺の広々とした景観がよくわかる。
(撮影:2008年夏)
県道34号を辿ってゆくと、やがて揚原地区へ至る。揚原は「あげばる」と読む。「揚原」の名の交差点があり、県道3号が北へ延びる。県道3号は山間部を抜けて、やがて市境を越えて日南市の大窪地区へと至るのだが、その途中に「高則(たかのり)」という地区を通る。その「高則」地区に設けられた「高則」バス停である。このバス停標識はちょっとした“珍品”だ。通常は木製の標識が表裏に一枚ずつ、二枚の標識で構成されているのだが、この標識は金属製のものの表裏に直接記されている。地名は手書きだ。木製から金属製に変更される時期の過渡的なものだったのだろうか。
(撮影:2008年夏)
串間市中心部から国道220号を北へ辿ると北方(きたかた)地区を抜け、やがて大束(おおつか)と呼ばれる地区へ至る。国道220号はそのまま北へ辿って日南市へと向かうが、日南線日向大束駅のすぐ北から県道34号が国道から西へ逸れて大束地区の奥深くへと辿っている。この北方、大束方面へは、現在串間市コミュニティバスの「鯛取線」、「奈留線」、「三ヶ平線」、「風野線」、「上大矢取線」などが運行している。本頁に掲載した写真のほとんどはコミュニティバスの運行が開始される直前の2008年夏に撮り集めたものだ。残念ながらすべてのバス停を撮り集めることはできなかった。