「横通」のバス停である。「横通」は「よこどおり」と読む。宮崎交通時代の南平線は油津駅前バスセンターから国道222号を飫肥方面へと辿った後、「一里松(いちりまつ)」バス停から
細田方面へと逸れていた(現在のコミュニティバスは日南駅前が起点だ)。「横通」バス停は国道を逸れて県道436号を辿り、最初のバス停だった(現在のコミュニティバスの路線では「日南駅」と「横通」との間に「市役所」バス停が設けられている)。写真は日南駅方面に向かって左側に立つ標識の表裏を撮影したものだ。
(撮影:2008年夏)
「横通」バス停の次が「西弁分」バス停だ。「西弁分」は「にしべんぶん」と読む。この辺りの字名だ。すぐ近くに県道3号と県道436号との交差点がある。写真は道路の両側に立つ標識を、どちらも南から北へ向けて、すなわち日南駅方面へ向けて撮影したものだ。下の写真の標識のバス停名は丸ゴシック体風の書体で書かれているが、やはり手書きである。
(撮影:2008年夏)
「西弁分」バス停の次は「日後谷」バス停だ。「ひごたに」と読む。西弁分の中の小字名のようだ。「谷」の文字が示すようにこの辺りでは山々が間近に迫っている。「日後谷」とはなかなか興趣に富んだ名だが、由来についてはよくわからない。写真は道路の西側に立つ標識の表裏を撮影したものだ。バス停名は比較的くっきりとしているのに地の色が褪せている。下の写真では割れてしまっているのがわかる。
(撮影:2008年夏)
「日後谷」バス停の次のバス停が「隈谷」だ。「隈谷」は「くまや」と読み、この辺りの字名である。隈谷地区は山々に囲まれた地形で、そうした地形が地名の由来なのだろう。「隈谷」バス停の近くには「日南地区クリーンセンター」、すなわちゴミ処理場がある。県道436号はこの付近で尾根を越えており、ちょっとした峠越えのような様子になっている。この尾根越えの坂を、地元では「ねこざか」と呼ぶ。由来はわからないが、「ねこざか」は「猫坂」だろうか。写真は道路の西側に立つバス停標識を、上は北から、下は南から撮影したものだ。下の写真ではずいぶんと標識が色褪せてしまっている。
(撮影:2008年夏)
「隈谷」バス停の次のバス停が「中隈谷」だ。「中隈谷」は隈谷地区内の小字名で、当然のことながら「上隈谷」と「下隈谷」も存在する。西の山間部が「上」、海岸部に近い東部が「下」だ。川の“上流”、“下流”で考えるとわかりやすい。その隈谷地区のほぼ中央部だから「中」なのだろう。付近は山々に挟まれて流れる川の流域に平地が横たわり、ところどころに民家が建っているような長閑なところだ。バス停周辺には家々が集まって集落を成している。県道436号も昔は細い道だったが、今では広い道に整備されている。これも西側に立つ標識を、上のものは北から、下のものは南から撮影した。バス停周辺の家々が写り込んでいる。
(撮影:2008年夏)
「中隈谷」バス停を過ぎて小さなトンネルを抜けると下方(しもかた)地区、バス路線は下方の十字路で西側、すなわち山側へと折れ、県道436号から県道443号へと辿る。「下方」バス停、「森林組合前」バス停と過ぎて、次が「上方(かみかた)」バス停だ。「上方」はこの地区の字名で、バス停の付近は上方地区のほぼ中心部だ。バス停は日南市立細田中学校の前に設けられている。バス停標識には丸ゴシック体風の書体で「上方」と記されているが、もちろんこれも手書き。写真は道路の南側、すなわち中学校側に立つ標識の表裏を撮影したものだ。下の写真の標識はずいぶんと傷み、「上方」の文字が辛うじて読めるだけだ。
(撮影:2007年夏)
「上方」バス停の次が「毛吉田」バス停だ。「毛吉田」は「けよしだ」と読み、この辺りの字名だ。写真は道路の北側に立つ標識を西から東へ向かって撮影したもの。明朝体風の書体で地名が書かれているが、これも手書きだ。
(撮影:2007年夏)
「毛吉田」バス停の次は「支所前」バス停だ。日南市役所細田支所の前に設けられたバス停だ。この辺りが
細田地区の中心地で、かつて細田村役場があった。写真は道路の北側に立つ標識を西から東へ向かって撮影したものだ。
(撮影:2007年夏)
「支所前」バス停の次が「萩の峯」バス停だ。「萩の峯」は「はぎのみね」と読み、この辺りの字名だ。字名としての「はぎのみね」は本来は「萩之嶺」と書くのだが、なぜかバス停の地名表記は「萩の峯」になっている。推測だが、萩が茂った山があったからこうした地名になったものだろうか。だから「はぎのみね」という音が重要なのであって、表記上の違いはどうでもよいことなのかもしれない。写真は道路の北側に立つ標識を上のものは東から西へ向けて、下のものは西から東へ向けて撮影したものだ。水田の広がる長閑な風景が見えている。
(撮影:2008年夏)
「萩の峯」バス停を過ぎてしばらく行くと県道443号が県道54号に合流する三叉路がある。三叉路を南へ、県道54号を辿ると山間を抜けて
榎原地区へと至る。この三叉路の少し手前に「仏坂」バス停が設けられている。「仏坂」はこの辺りの小字名で、「ほとけざか」と読む。上の写真は道路の北側に立つ標識を東から西へ向かって撮影したものだ。左側に移り込んだ道路の向こうに三叉路があり、設置された案内標識が見える。下の写真は同じ標識を西から東へ向けて撮影したものだ。
(撮影:2008年夏)
仏坂の三叉路を北へ向かうと大窪(おおくぼ)地区だ。大窪地区の中心部で県道54号は県道3号へ合流する。バス路線は県道3号を西へ、山深い地域へと辿る。やがて寺村という地区に達する。その寺村地区に「上寺村」バス停が設けられている。写真は道路の北側にひとつだけ設けられたバス停標識を撮影したものだ。上の写真は東側から西へ向けて撮影したもので、丸ゴシック体風の書体で書かれているが、もちろん手書き。下の写真はちょっと“珍品”である。「上寺村」のバス停であるはずなのに、標識にはずいぶんとかすれてはいるが明らかに「一里松」の文字が見える。おそらくかつて一里松のバス停に使われていた標識をこちらに流用したのだろう。
(撮影:2008年夏)
寺村地区を過ぎてさらに西へ辿ると、いよいよバス路線の終着点、「南平」バス停だ。「南平」は「みなみびら」と読む。「みなみだいら」ではない。地元では「みなんびら」と発音することも多い。バス停は農家の庭先と言ってもよいような場所に設けられている。下の写真の背景に写り込んでいるのは、その農家の庭と家屋である。一本だけ立つバス停柱の、道路側に面した方にだけ標識があり、生け垣側には無い。それで充分なのだろう。バス路線の終着点である「南平」は地理的にも日南市の端に当たっており、県道3号をさらに西へ辿ると市境を越え、串間市の大平、揚原地区へと至っている。
(撮影:2008年夏)
串間市中心部のJR串間駅脇の交差点から国道448号が東へ延びている。国道448号は都井岬の“付け根”の辺りまで延び、そこから今度は海岸部を北へと辿ってJR南郷駅前の交差点までを繋いでいる。この国道448号をほぼ辿って、串間市コミュニティバスの“都井方面”の路線が通っている。都井方面への路線には都井岬へと向かう「都井岬線」、都井の集落から志布志湾岸を西へ、「黒井」の集落へ向かう「黒井線」、都井の集落から太平洋岸へと峠を越えて、大納地区の「名谷」の集落へ向かう「名谷線」の三路線があるが、本頁ではほぼ「名谷線」のルートに沿って宮崎交通時代の旧バス停を掲載している。