横浜市中区元町〜山手町
代官坂
Visited in May 2011
元町から山手へと「代官坂」と呼ばれる坂道が上っている。かつて名主石川家の代官屋敷があったことがその名の由来という。横浜開港期には山手に暮らす外国人たちが関内との往来に使った道だが、今は道沿いにお洒落な店も点在する。代官坂を歩いてみよう。
石川徳右衛門は日米和親条約締結の際に応接場の設営や食料、設備などの一切を取り仕切り、1854年(嘉永7年)にペリーが上陸して住民の暮らしぶりを視察した際には徳右衛門の屋敷を訪れ、そのときの様子が「ペルリ提督日本遠征記」に記されているという。その後、徳右衛門は横浜町惣年寄(そうとしより)となって町政を担ったという。
横浜開港後の代官坂は関内の外国人居留地と山手の居住区とを往来する外国人たちの、いわば“通勤路”であったようだ。その外国人たちを相手にした商売によって元町商店街は発展していったという歴史がある。技術を外国人たちから学びながら、外国人の顧客を相手に元町の職人たちは洋服の仕立てや西洋家具の製作、ベーカリーといった西洋文化に基づくサービス業を始め、それが現在の元町商店街の礎になったのだ。
石段の横を過ぎるとすぐ、代官坂通りから左手(東側)へ逸れる道がある。それを辿ってゆくと元町公園に至る。元町公園手前の住宅地の中にはかつての「ジェラール水屋敷」の遺構が遺されている。
代官坂トンネルを右に見下ろしながら坂道を登り詰めると山手本通りとの「代官坂上」交差点だ。左に折れて山手本通りを東へ行けばすぐにベーリックホール、元町公園だ。「代官坂」の交差点の脇には「代官坂」と記された地名標柱が立てられている。その横から北方を眺めると、昔は坂の正面にマリンタワーが見えたのだが、今はその視線を遮るように高いビルが建ち、辛うじてマリンタワーの頂上部が見えるだけになってしまったのが少しばかり残念なところだ。
時代の変遷を見つめ続ける代官坂、今はその沿道にカフェや雑貨店などのお洒落なお店も並ぶ。元町と山手本通りとを繋ぐ坂道だが、観光シーズンにも代官坂を歩く観光客の姿は少ないように見える。代官坂にまつわる歴史の数々に思いを馳せながら、のんびりと歩いてみるのも楽しい。