横浜市中区元町
元町公園
Visited in May 2024

横浜の観光名所である山手地区の一角に元町公園という公園が設けられている。1930年(昭和5年)に公開が開始された公園だというから歴史もなかなか古い。プールや弓道場が置かれて市民の利用も多い公園だが、園内にはエリスマン邸やベーリックホール、山手234番館といった西洋館が建ち、常に多くの観光客で賑わう観光名所でもある。四季折々の表情も美しい、緑豊かな公園だ。

公園は尾根の間に入り込んだ、いわゆる「谷戸」の地形の立地で、低地となった公園中央部にはプールや弓道場などが置かれ、その周囲を木々に覆われた斜面が囲んでいる。斜面には園路が辿り、木漏れ日を浴びながらの散策が楽しい。斜面を登った尾根の上に山手本通りがあり、山手本通り沿いにエリスマン邸やベーリックホールなどの西洋館が建っているという形だ。

この一角は地元の人たちの利用が多く、“観光地”としてではなく“公園”としての性格の強いエリアだと言っていい。山手本通りから離れているためか、観光客の姿はほとんど無いが、端正に仕立てられた庭園風の造りは景観も美しく、ゆったりと散策を楽しむのもお勧めだ。

またジェラールはこの地で西洋瓦とレンガの製造も手がけている。現在のプール管理棟の屋根の一部に、この西洋瓦が用いられているという。プール管理棟の傍らに、「ジェラール水屋敷」と「ジェラールの瓦とレンガ」に関する解説板が設置されており、ジェラールの水は「インド洋に行っても腐らない」と明治期の船乗りたちの間で評判になったといったことが記されている。ジェラールの工場跡地は大正活映の撮影所などに用いられた後、関東大震災後に横浜市が公園として整備した。これが現在の元町公園で、公開は1930年(昭和5年)のことだった。

弓道場も歴史は古く、1931年(昭和6年)に元町公園の一角に造られたものだ。三方が崖となった地形が弓道の道場に相応しいと考えられたのではないかという。そもそも横浜では大正時代から弓道が盛んだったらしい。戦後は米軍に接収されたが、1953年(昭和28年)に接収解除、1970年(昭和45年)に大規模な改修が行われ、1985年(昭和60年)に増築されて現在の姿になっている。弓道場も普段はひっそりとしているが、ときおり練習風景を見ることもある。

遺跡の傍らを辿る散策路から張り出すように展望デッキが設けられ、緑多い公園内部を見下ろしている。そこに立ってひととき静かに時を過ごせば、かつてこの付近が外国人居留地として賑わっていた頃の、ここに住まった人々の暮らしぶりが何となく感じられるような気もする。

エリスマン邸は内部も無料で自由に見学でき、山手本通りに並ぶ洋館のひとつとして観光客を集めている。館内にはカフェも併設されており、これも観光客に人気のようだ。

スパニッシュ風様式の建物はなかなか大きく堂々としている。内部はベリックが暮らしていた頃の様子が再現されており、楽しく見学できる。ベーリックホールも無料で自由に見学することができる。

山手234番館の内部も無料で自由に見学できる。往時の様子を再現した部屋も設けられているが、他はパネル展示や会議室などとして使われており、他の洋館群とは少々趣が異なっている。

山手本通りを挟んだ向かい側には山手234番館の他、レストランの「えの木てい」や横浜山手聖公会などが並び、山手本通りの中で最も魅力的な一角であるかもしれない。横浜山手観光の中心となるところだと言っていい。

外国人墓地に隣接し、山手本通りに面する元町公園は、独立した公園としての存在感は薄く、横浜の観光名所としての山手界隈を構成する一角としての役割を担っているように見える。特にエリスマン邸やベーリックホールなどは山手の「洋館巡り」などの散策では欠かすことのできないスポットだ。下へ降りた「ウォーターガーデン」の辺りでは観光客の姿は少ないようだが、「ジェラールの水屋敷」などを訪ねるのも「穴場」的な観光として楽しい。「塗装発祥の地」碑など、さまざまな事物を顕彰する碑を公園内に探してみるのもいい。
山手観光に訪れた観光客には魅力的な場所のひとつだが、地元の人たちにとっても素敵な憩いの場であることだろう。観光客の立場でも地元の人たちに交じって緑濃い公園でゆったりと過ごすのは素敵なひとときだ。
山手観光に訪れた観光客には魅力的な場所のひとつだが、地元の人たちにとっても素敵な憩いの場であることだろう。観光客の立場でも地元の人たちに交じって緑濃い公園でゆったりと過ごすのは素敵なひとときだ。




