横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市中区元町
元町公園
Visited in May 2024
元町公園
横浜の観光名所である山手地区の一角に元町公園という公園が設けられている。1930年(昭和5年)に公開が開始された公園だというから歴史もなかなか古い。プールや弓道場が置かれて市民の利用も多い公園だが、園内にはエリスマン邸ベーリックホール山手234番館といった西洋館が建ち、常に多くの観光客で賑わう観光名所でもある。四季折々の表情も美しい、緑豊かな公園だ。
元町公園 元町公園は山手本通りに面し、外国人墓地の西に隣接した立地だ。一般的には山手地区に位置するという認識だが、実は住所としては元町公園の中心部は山手町ではなく、元町一丁目である。その意味では元町一丁目の住宅街の奧へ(南へ)入り込んでいったところに位置しているという方が正しいかもしれない。

公園は尾根の間に入り込んだ、いわゆる「谷戸」の地形の立地で、低地となった公園中央部にはプールや弓道場などが置かれ、その周囲を木々に覆われた斜面が囲んでいる。斜面には園路が辿り、木漏れ日を浴びながらの散策が楽しい。斜面を登った尾根の上に山手本通りがあり、山手本通り沿いにエリスマン邸ベーリックホールなどの西洋館が建っているという形だ。
元町公園 元町一丁目の住宅街に面した部分は「ウォーターガーデン」だ。「ウォーターガーデン」の名が意味するように、壁泉やカスケードといった、水の流れをメインに据えた施設で構成されているが、その水は毎分180リットルという湧き水を利用したものという。カスケードの横手(東側)には小さな池も設けられているが、これは夏季には子どもたちの水遊び用の「ジャブジャブ池」としても使用するものという。

この一角は地元の人たちの利用が多く、“観光地”としてではなく“公園”としての性格の強いエリアだと言っていい。山手本通りから離れているためか、観光客の姿はほとんど無いが、端正に仕立てられた庭園風の造りは景観も美しく、ゆったりと散策を楽しむのもお勧めだ。
元町公園 「ウォーターガーデン」の付近は明治の初めにフランス人の実業家ジェラールが船舶給水業を営んだ場所としても知られている。湧き水を簡易水道で引き、外国船に飲料水として売ったのだという。ジェラールが使用した貯水槽は現存し、「ウォーターガーデン」部分から北へ30mほど行った住宅街の中に残されている。今もなお豊富な水が湧き出しているという。

またジェラールはこの地で西洋瓦とレンガの製造も手がけている。現在のプール管理棟の屋根の一部に、この西洋瓦が用いられているという。プール管理棟の傍らに、「ジェラール水屋敷」と「ジェラールの瓦とレンガ」に関する解説板が設置されており、ジェラールの水は「インド洋に行っても腐らない」と明治期の船乗りたちの間で評判になったといったことが記されている。ジェラールの工場跡地は大正活映の撮影所などに用いられた後、関東大震災後に横浜市が公園として整備した。これが現在の元町公園で、公開は1930年(昭和5年)のことだった。
元町公園 「ウォーターガーデン」の奥、南側には市民プールと弓道場が設けられており、斜面を辿る園路から木々の間に見え隠れする。オフシーズンのプールは人の気配も無く、ひっそりとしているが、谷戸の奥となった地形に木々に包まれて沈むように横たわる様子が素敵な興趣を漂わせている。

弓道場も歴史は古く、1931年(昭和6年)に元町公園の一角に造られたものだ。三方が崖となった地形が弓道の道場に相応しいと考えられたのではないかという。そもそも横浜では大正時代から弓道が盛んだったらしい。戦後は米軍に接収されたが、1953年(昭和28年)に接収解除、1970年(昭和45年)に大規模な改修が行われ、1985年(昭和60年)に増築されて現在の姿になっている。弓道場も普段はひっそりとしているが、ときおり練習風景を見ることもある。
元町公園 公園西側の小径を山手本通りへ向かって登ると、山手80番館遺跡がある。かつては鉄筋補強のレンガ造りによる三階建ての建物であったらしいが、関東大震災で倒壊、現在残っているのはその地下室部分であるらしい。今ではまさに「廃墟」のような有様だが、公園の木立に囲まれてひっそりと横たわり、往時の面影を伝えている。

遺跡の傍らを辿る散策路から張り出すように展望デッキが設けられ、緑多い公園内部を見下ろしている。そこに立ってひととき静かに時を過ごせば、かつてこの付近が外国人居留地として賑わっていた頃の、ここに住まった人々の暮らしぶりが何となく感じられるような気もする。
元町公園 山手80番館遺跡から山手本通りへと出たところに、エリスマン邸が建っている。関東大震災後の1926年(大正15年)、スイス人貿易商エリスマンの私邸としてアントニン・レーモンドが設計したものだという。その後は所有者が転々としたということだが、戦災も免れ、1989年(平成元年)に元町公園の敷地内に移築復元され、「エリスマン邸」として公開されている。

エリスマン邸は内部も無料で自由に見学でき、山手本通りに並ぶ洋館のひとつとして観光客を集めている。館内にはカフェも併設されており、これも観光客に人気のようだ。
元町公園 エリスマン邸の西側には路地を挟んでベーリックホールが建っている。ベリック商会の経営者、英国人貿易商のB.R.ベリックの私邸として建てられたもので、設計はJ.H.モーガンによる。戦後はセントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われていたものだが、スクールの閉校に伴って横浜市が取得して整備、元町公園の一部として2002年(平成14年)夏に一般公開されたものだ。

スパニッシュ風様式の建物はなかなか大きく堂々としている。内部はベリックが暮らしていた頃の様子が再現されており、楽しく見学できる。ベーリックホールも無料で自由に見学することができる。
元町公園 山手本通りを挟んだエリスマン邸の斜向かいには、これも元町公園の一部として山手234番館が建っている。昭和の初めに外国人向けの共同住宅として建てられたものという。山手本通りに面した部分の建物の意匠が美しく、往時の面影を漂わせている。

山手234番館の内部も無料で自由に見学できる。往時の様子を再現した部屋も設けられているが、他はパネル展示や会議室などとして使われており、他の洋館群とは少々趣が異なっている。
元町公園 エリスマン邸の建つあたりから東へ、山手本通りに面する部分は広場のように整備されており、一休みする人の姿に混じってスケッチを楽しむグループの姿を見ることも少なくない。一角には明治期の“自動電話”を復元した電話ボックスも建っており、写真の被写体として人気を集めている。

山手本通りを挟んだ向かい側には山手234番館の他、レストランの「えの木てい」や横浜山手聖公会などが並び、山手本通りの中で最も魅力的な一角であるかもしれない。横浜山手観光の中心となるところだと言っていい。
元町公園
外国人墓地に隣接し、山手本通りに面する元町公園は、独立した公園としての存在感は薄く、横浜の観光名所としての山手界隈を構成する一角としての役割を担っているように見える。特にエリスマン邸ベーリックホールなどは山手の「洋館巡り」などの散策では欠かすことのできないスポットだ。下へ降りた「ウォーターガーデン」の辺りでは観光客の姿は少ないようだが、「ジェラールの水屋敷」などを訪ねるのも「穴場」的な観光として楽しい。「塗装発祥の地」碑など、さまざまな事物を顕彰する碑を公園内に探してみるのもいい。

山手観光に訪れた観光客には魅力的な場所のひとつだが、地元の人たちにとっても素敵な憩いの場であることだろう。観光客の立場でも地元の人たちに交じって緑濃い公園でゆったりと過ごすのは素敵なひとときだ。
元町公園
元町公園
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