日野市平山〜南平
平山用水
Visited in November 2023
すっかり秋も深まった11月半ば、日野市平山へ出かけた。平山の辺りは何度か歩いたことがあるし、北野街道は車で通り抜ける機会も多いが、今回は「平山用水」にフォーカスを当てて歩いてみたい。要するに平山用水を“追いかけてみよう”というわけだ。雲の多い日だったが、晴れ間ものぞき、散策には好適な日だ。のんびりと平山用水に沿って歩いてみたい。
京王線を平山城址公園駅で降り、いったん北野街道(東京都道173号上館日野線)へ出る。「平山城址公園駅」交差点から400mほど西へ、すなわち八王子方面へ辿ったところに、北野街道から細い道が京王線の線路をガードでくぐって浅川河岸へと延びている。その道へと進んで浅川河岸に出ると、目の前に堰がある。
この堰が平山用水取水堰だ。ここで浅川の水を引き込み。しばらく浅川に沿って流れた後、内陸部へと引かれていく。平山用水を“追いかける”散策であれば、まずはこの平山用水取水堰から始めなくてはいけない。
平山用水取水堰は日野市が選定した「水辺のある風景日野50選」のひとつだ。河岸のフェンスにそれを示すプレートが取り付けられている。平山用水取水堰は「水辺のある風景日野50選」のうちのNo.30だそうである。プレートは鏡面仕上げのステンレスプレートに文字を刻んだもののようだ。鏡面仕上げの表面が周囲の風景を映し込んでいる(写真を撮る際にはアングルに気を遣う)。
日野市は北に多摩川、南に浅川が流れている。昔の日野は水田の広がる長閑な農村で、多摩川や浅川から引き込まれた用水が網の目のように流れて田畑を潤していた。田園風景が住宅地に姿を変えた現在でも、それらの用水は残っており、その姿が往時を偲ばせる。用水路の総延長は116kmに及ぶという。こうした日野の姿を日野市は「水都日野」と定め、「水辺のある風景日野50選」を選定したというわけだ(詳しくは日野市公式サイト(頁末「関連する外部ウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい)。
この堰が平山用水取水堰だ。ここで浅川の水を引き込み。しばらく浅川に沿って流れた後、内陸部へと引かれていく。平山用水を“追いかける”散策であれば、まずはこの平山用水取水堰から始めなくてはいけない。
平山用水取水堰は日野市が選定した「水辺のある風景日野50選」のひとつだ。河岸のフェンスにそれを示すプレートが取り付けられている。平山用水取水堰は「水辺のある風景日野50選」のうちのNo.30だそうである。プレートは鏡面仕上げのステンレスプレートに文字を刻んだもののようだ。鏡面仕上げの表面が周囲の風景を映し込んでいる(写真を撮る際にはアングルに気を遣う)。
日野市は北に多摩川、南に浅川が流れている。昔の日野は水田の広がる長閑な農村で、多摩川や浅川から引き込まれた用水が網の目のように流れて田畑を潤していた。田園風景が住宅地に姿を変えた現在でも、それらの用水は残っており、その姿が往時を偲ばせる。用水路の総延長は116kmに及ぶという。こうした日野の姿を日野市は「水都日野」と定め、「水辺のある風景日野50選」を選定したというわけだ(詳しくは日野市公式サイト(頁末「関連する外部ウェブサイト」欄のリンク先)を参照されたい)。
平山用水取水堰から引き込まれた用水はしばらく浅川沿いを流れていく。残念ながら取水堰からそのまま用水沿いを歩いて辿っていくことはできない。いったん北野街道へ戻り、200mほど東へ(高幡方面へ)進み、「平山」交差点から北へ、滝合橋通りへと逸れる。すぐに滝合橋が浅川を跨ぐが、その直前で浅川の河岸へと降りていくことができる。
滝合橋袂から河岸に降りたところ、上流側に草木の茂った風景の中を用水が流れていくところがある。用水沿いには小径があり、その風景を間近に見ることができる。浅川より一段高くなった河岸を緑に包まれて用水が流れていく。用水はコンクリートで固められておらず、昔のままの様相を保っているようだ。なかなか素敵な風景だ。
滝合橋袂から河岸に降りたところ、上流側に草木の茂った風景の中を用水が流れていくところがある。用水沿いには小径があり、その風景を間近に見ることができる。浅川より一段高くなった河岸を緑に包まれて用水が流れていく。用水はコンクリートで固められておらず、昔のままの様相を保っているようだ。なかなか素敵な風景だ。
滝合橋の下をくぐった辺りから、用水はコンクリートの護岸の流れになる。滝合橋から東側にスロープで降りる道路の下を流れた後、浅川へと繋がる樋管(平山用水連合樋管)があり、その先で北に分水する流れがある。
平山用水の本川はそのまま真っ直ぐに流れ、京王線平山城址公園駅の北側の住宅地の中を流れていく。用水の上を駐輪場として活用しているところもあるが、完全な暗渠にされているわけでもなく、住宅地の中の道路沿いを辿っている。
平山用水の本川はそのまま真っ直ぐに流れ、京王線平山城址公園駅の北側の住宅地の中を流れていく。用水の上を駐輪場として活用しているところもあるが、完全な暗渠にされているわけでもなく、住宅地の中の道路沿いを辿っている。
平山用水本川からひととき離れて、北へ分水された流れを追ってみよう。分水の流れは浅川の堤防道の下に沿って流れていく。200mほど流れた先、用水と浅川堤防道との間に公園が整備されている。大福寺下公園という公園のようだ。
大福寺下公園も「水辺のある風景日野50選」のひとつ、No.31のスポットだ。公園の名は、現在の平山城址公園駅の駅前ロータリーの辺りにかつて大福寺という寺があったことに由来する。平山季重を供養するために建てられた寺だったようだが、廃寺となって今はその名のみが残っているというわけだ。
大福寺下公園は2010年(平成22年)に供用開始となった街区公園で、用水の流れを間近に見ることのできる親水公園だ。なかなか清らかな水が流れている。初夏から夏にかけては川遊びを楽しむ子どもたちの姿が見られるのだろう。
公園内には桜の大木が並んでいる。この桜は公園が整備される前からあるものだそうだ。春の、桜が咲き揃うころの景観も見てみたいものだ。きっと美しい春景色を見せてくれることだろう。今は11月の半ば、桜は落葉が進み、赤く染まった落ち葉が用水の流れに落ちている。
大福寺下公園は200m近い距離が用水沿いに延び、その先で暗渠になり、そのまま平山橋東側の排水樋管へと導かれているようだ。
大福寺下公園も「水辺のある風景日野50選」のひとつ、No.31のスポットだ。公園の名は、現在の平山城址公園駅の駅前ロータリーの辺りにかつて大福寺という寺があったことに由来する。平山季重を供養するために建てられた寺だったようだが、廃寺となって今はその名のみが残っているというわけだ。
大福寺下公園は2010年(平成22年)に供用開始となった街区公園で、用水の流れを間近に見ることのできる親水公園だ。なかなか清らかな水が流れている。初夏から夏にかけては川遊びを楽しむ子どもたちの姿が見られるのだろう。
公園内には桜の大木が並んでいる。この桜は公園が整備される前からあるものだそうだ。春の、桜が咲き揃うころの景観も見てみたいものだ。きっと美しい春景色を見せてくれることだろう。今は11月の半ば、桜は落葉が進み、赤く染まった落ち葉が用水の流れに落ちている。
大福寺下公園は200m近い距離が用水沿いに延び、その先で暗渠になり、そのまま平山橋東側の排水樋管へと導かれているようだ。
大福寺下公園を楽しんだら、平山用水本川へ戻ろう。大福寺下公園への分水が分かれる地点まで戻り、平山用水本川を辿る。用水は平山城址公園駅の北側を、道路沿いに流れていく。ところどころで用水南側の家と道路を繋ぐ小さな橋が架かっているのも興趣のある風景だ。こちらの用水もなかなか清らかだ。流れの中には藻が揺れているのが見える。
やがて用水は京王線の線路の下へと姿を消し、そのまま用水沿いを辿ることはできない。すぐ東側に踏切(南平9号踏切)があるから、そこで線路の南側に移動しよう。
やがて用水は京王線の線路の下へと姿を消し、そのまま用水沿いを辿ることはできない。すぐ東側に踏切(南平9号踏切)があるから、そこで線路の南側に移動しよう。
平山城址公園駅の東側の踏切(南平9号踏切)を渡ると、線路脇を用水が流れている。駅のホームのすぐ東側で線路をくぐった用水が南側に現れ、線路に沿うように流れていく。踏切手前から駅へと向かう小径が、その用水脇を辿っている。
線路と用水と道路が入り組む景観が興味深い。本来は真っ直ぐな流路だったものが、京王線の建設によって少し屈曲した流路に変更されたものか。線路をくぐる部分は仕方ないとしても、その前後が完全な暗渠にされていないのは嬉しい。
線路と用水と道路が入り組む景観が興味深い。本来は真っ直ぐな流路だったものが、京王線の建設によって少し屈曲した流路に変更されたものか。線路をくぐる部分は仕方ないとしても、その前後が完全な暗渠にされていないのは嬉しい。
踏切(南平9号踏切)の東側、平山用水沿いに出口公園という小公園が設けられている。出口公園も大福寺下公園と同じく2010年(平成22年)に供用開始となった街区公園で、面積1300平方メートルほどの小さな公園だ。
「出口公園」という名に興味を覚える。現在の平山城址公園駅の駅前ロータリーの辺りには、かつて平山季重の居館があり、季重没後は大福寺という寺があった。その“出口”がこの辺りにあったことから「出口」という小字名が生まれたのだそうだ。昔は「大出口」「小出口」という小字名もあったらしい。
公園西側の一角には「日野市平山地区土地区画整理事業 完成記念碑」が建てられている。「日野市平山地区土地区画整理事業」は2002年(平成14年)11月に着工、2010年(平成22年)3月に終了した。出口公園や大福寺下公園は、この土地区画整理事業で整備された公園であるわけだ。
この公園の南側外縁部を、公園の施設の一部であるかのように平山用水が流れていく。用水に面して段差が設けられ、水際に近づくことのできる場所もある。この公園も用水をうまく活用して親水公園として整備されたのだろう。
「出口公園」という名に興味を覚える。現在の平山城址公園駅の駅前ロータリーの辺りには、かつて平山季重の居館があり、季重没後は大福寺という寺があった。その“出口”がこの辺りにあったことから「出口」という小字名が生まれたのだそうだ。昔は「大出口」「小出口」という小字名もあったらしい。
公園西側の一角には「日野市平山地区土地区画整理事業 完成記念碑」が建てられている。「日野市平山地区土地区画整理事業」は2002年(平成14年)11月に着工、2010年(平成22年)3月に終了した。出口公園や大福寺下公園は、この土地区画整理事業で整備された公園であるわけだ。
この公園の南側外縁部を、公園の施設の一部であるかのように平山用水が流れていく。用水に面して段差が設けられ、水際に近づくことのできる場所もある。この公園も用水をうまく活用して親水公園として整備されたのだろう。
出口公園東側の交差点で平山用水は道路の南側へ移り、東北東の方角へ流れていく。出口公園から100mほどで平山陸橋をくぐる。平山陸橋から先は道路の北側を流れ、200mほど流れて沢田公園の横に至る。周辺は住宅地だが、その中に畑地も残っており、長閑な風景だ。
沢田公園は面積2000平方メートルほどの小さな街区公園だ。広場を設け、木々が植栽され、子どもたちの遊具が置かれている。広場の東側の隅に「日野市平山下耕地土地区画整理事業 完成記念碑」が建てられている。日野市平山下耕地土地区画整理事業は1980年度(昭和55年度)から1985年度(昭和60年度)にかけて平山四丁目の一部(すなわち沢田公園の辺り)で行われた事業だ。沢田公園の供用開始も1985年(昭和60年)だから、沢田公園自体も土地区画整理事業で整備されたものなのだろう。
沢田公園は面積2000平方メートルほどの小さな街区公園だ。広場を設け、木々が植栽され、子どもたちの遊具が置かれている。広場の東側の隅に「日野市平山下耕地土地区画整理事業 完成記念碑」が建てられている。日野市平山下耕地土地区画整理事業は1980年度(昭和55年度)から1985年度(昭和60年度)にかけて平山四丁目の一部(すなわち沢田公園の辺り)で行われた事業だ。沢田公園の供用開始も1985年(昭和60年)だから、沢田公園自体も土地区画整理事業で整備されたものなのだろう。
沢田公園の北側に住宅地の中を斜めに貫くように延びる道路がある。中央分離帯が設けられ、そこに平山用水が流れている。この道路、中央分離帯両側のそれぞれの車線はそれほど広くはなく、交通量も多くない。北野街道(都道173号上館日野線)の「第二幼稚園入口」交差点から西北西の方角へ延び、京王線の線路に阻まれて終わっている。地図を確認すると、線路の向こう、延長線上に同様の道路が少しだけ存在する。住宅街の中を貫く、ちょっと不思議な形状の道路である。
この道路、実はこの上を送電線が通っている。北野街道の「第二幼稚園入口」交差点のすぐ脇と京王線の線路の北側に送電鉄塔が建っており、それを繋ぐ送電線が道路上を渡っている。すなわち道路は送電線の直下だ。こうした土地は「高圧線下地」と呼ばれ、厳しい安全基準が定められている。基本的に建物も建てられない。だから道路になっているというわけなのだろう。それを知らないと、何故こんなところにこんな道路が、と思ってしまう形状の道路である。
この道路、実はこの上を送電線が通っている。北野街道の「第二幼稚園入口」交差点のすぐ脇と京王線の線路の北側に送電鉄塔が建っており、それを繋ぐ送電線が道路上を渡っている。すなわち道路は送電線の直下だ。こうした土地は「高圧線下地」と呼ばれ、厳しい安全基準が定められている。基本的に建物も建てられない。だから道路になっているというわけなのだろう。それを知らないと、何故こんなところにこんな道路が、と思ってしまう形状の道路である。
中央分離帯を少しだけ流れてから、再び流路は東へ向かっている。150mほど辿ると平山東公園横に至る。公園横で用水から分水された流れが公園の中を流れていく。
一見、公園横を流れる用水が平山用水本川で、分水されて園内を流れるのは親水公園として整備するために引き入れられた流れのようにも思えるが、その先の流路を考えると、公園内に引き込まれた方が平山用水の本川で、公園横を流れていくのはそのまま南平用水へと導かれる水路ではないかと思われる。
一見、公園横を流れる用水が平山用水本川で、分水されて園内を流れるのは親水公園として整備するために引き入れられた流れのようにも思えるが、その先の流路を考えると、公園内に引き込まれた方が平山用水の本川で、公園横を流れていくのはそのまま南平用水へと導かれる水路ではないかと思われる。
平山東公園は市道を挟んで東西に分かれた構成だ。どちらも広場を中心に構成されているが、西側部分の方が広い。東西の区画とも、南側外縁部近くを平山用水が流れている。親水公園として整備されたものらしく、水辺の風情を楽しめるような、自然の小川を思わせる岸辺になっている。より親水公園らしいのは東側部分だ。
平山東公園の東側広場に井戸がある。もともとは手押しポンプが設置されていたようだが、現在はハンドル部分は取り外されている。ポンプの口からは水が流れ出ている。自噴しているものらしい。水はそのまま平山用水へと注いで流れていく。
平山東公園の東側広場に井戸がある。もともとは手押しポンプが設置されていたようだが、現在はハンドル部分は取り外されている。ポンプの口からは水が流れ出ている。自噴しているものらしい。水はそのまま平山用水へと注いで流れていく。
平山東公園の東側も、用水の岸辺は親水公園のように整備されている。この辺りは「平山用水ふれあい水辺」として親しまれているところで、これも「水辺のある風景日野50選」のひとつ、No.32のスポットだ。
二本の流れが並び、岸辺は草木が茂り、自然豊かな親水空間を成している。特に北側を流れる用水(平山東公園内を流れてきた用水、おそらく平山用水本川と思われる)は自然の小川を彷彿とさせる様相で、初夏から夏にかけては川遊びも楽しそうだ。
二本の流れが並び、岸辺は草木が茂り、自然豊かな親水空間を成している。特に北側を流れる用水(平山東公園内を流れてきた用水、おそらく平山用水本川と思われる)は自然の小川を彷彿とさせる様相で、初夏から夏にかけては川遊びも楽しそうだ。
「平山用水ふれあい水辺」の東側で、用水の流れが複雑に入り組んでいる。“用水のジャンクション”などと呼ばれるところだ。平山東公園横から「平山用水ふれあい水辺」にかけて南側を流れてきた護岸の施された流れはそのまま道路をくぐって東へ流れていくが、そこで別の用水が立体交差で南から北へ流れていく。
この用水の立体交差は平山用水散策の際の“見所”のひとつと言っていい。上を流れる南から北への流れは、丘陵地の湧水を流してきたもので、濁りなどが多いことから用水に混じるのを避けるため、このような立体交差としたものという。
この用水の立体交差は平山用水散策の際の“見所”のひとつと言っていい。上を流れる南から北への流れは、丘陵地の湧水を流してきたもので、濁りなどが多いことから用水に混じるのを避けるため、このような立体交差としたものという。
“立体交差”の下をくぐって東へ流れる用水は、市道をくぐってスーパーの駐車場脇を流れ、スーパーの建物裏を流れ、住宅地の中の道路沿いを北北東の方角へ流れ、京王線南平駅の西側で線路をくぐり、駅の北側を回ってさらに北東の方角へと流れていく。この“立体交差”横を南北に抜ける市道が平山と南平との境だ。西側は平山、東側は南平だ。ここから東はすでに南平用水と呼んでよいのだろう。南平用水を“追いかける”のは、また別の機会に譲りたい。
南平用水は平山用水の水を導いて、南平地区の田畑の灌漑に用いたものだ。かつては平山用水から南平用水へと分水していたのだろうと思うが、現在は平山用水からそのまま南平用水へと導かれる流れが両用水の本川と言っていい。かつての平山用水の本川は、前述したように平山東公園横で公園内に分水された方の流れだろう。
南平用水は平山用水の水を導いて、南平地区の田畑の灌漑に用いたものだ。かつては平山用水から南平用水へと分水していたのだろうと思うが、現在は平山用水からそのまま南平用水へと導かれる流れが両用水の本川と言っていい。かつての平山用水の本川は、前述したように平山東公園横で公園内に分水された方の流れだろう。
平山東公園横で公園内に分水された方の流れ、本来の平山用水の本川だったであろう流れの方はどうなっているのかと言えば、「平山用水ふれあい水辺」の東側で道路下に潜って暗渠になっている。どこへ流れているのかと探してみると、立体交差の上を南から北へと流れる水路に注いでいるようだ。
この水路はそのまま真っ直ぐに北へ流れ、平山排水樋管で浅川に注いでいる。平山排水樋管横に「水辺のある風景日野50選」No.33のスポット「南平の田んぼのある風景」のプレートが設置されている。しかし、周辺はすでに住宅地と化し、水田はほとんど残っていない。
この水路はそのまま真っ直ぐに北へ流れ、平山排水樋管で浅川に注いでいる。平山排水樋管横に「水辺のある風景日野50選」No.33のスポット「南平の田んぼのある風景」のプレートが設置されている。しかし、周辺はすでに住宅地と化し、水田はほとんど残っていない。
立体交差の上を南から北へと流れて平山排水樋管に至る水路の途中、立体交差部分から50mほど北で東へ流れる水路が分かれている。現在は土地区画整理事業によってこのような状況になっているが、おそらくこの東へ流れる水路がかつての平山用水本川だろう。
北東の方角へと流れる用水は家々の間を抜けるために岸辺に沿って歩けない。回り込んでみると道路沿いに流れるところがあったが、流れは再び家々の裏に隠れて追いかけることができなかった。その先で京王線の線路をくぐって線路の北側へ流れているようだが、近くに踏切がない。仕方が無いので引き返して大きく回り込み、南平駅西交流センター北側の南平3号踏切で線路を渡ることにした。
北東の方角へと流れる用水は家々の間を抜けるために岸辺に沿って歩けない。回り込んでみると道路沿いに流れるところがあったが、流れは再び家々の裏に隠れて追いかけることができなかった。その先で京王線の線路をくぐって線路の北側へ流れているようだが、近くに踏切がない。仕方が無いので引き返して大きく回り込み、南平駅西交流センター北側の南平3号踏切で線路を渡ることにした。
南平3号踏切から線路沿いの道を150mほど東へ辿ると、線路脇に川原畑南公園という小さな公園があった。「川原畑」は「かわらっぱたけ」と読むそうだ。かつては浅川の川原だったことから、こうした通称で呼ばれるようになったものという。
この公園の東側に線路をくぐった用水が姿を現している。そこから250mほど、用水の水路はほぼ真北へ流れていく。途中、水路に金網の覆いが施されている部分があった。脇の道路と水路との間にフェンスなどもないから、安全のための覆いかもしれない。
この公園の東側に線路をくぐった用水が姿を現している。そこから250mほど、用水の水路はほぼ真北へ流れていく。途中、水路に金網の覆いが施されている部分があった。脇の道路と水路との間にフェンスなどもないから、安全のための覆いかもしれない。
やがて水路は浅川堤防の下へ姿を消している。北野街道の「南平駅入口」交差点から北方向へ、南平駅の西側を抜けて辿ってきた市道が堤防道に繋がるところだ。堤防道に上がってみると、南平西排水樋管が見えた。
南平西排水樋管の横はちょっとした展望テラスのように造られていて、堤防道から降りていくことができる。テラスから排水樋管の姿を浅川側から見ることができる。排水樋管には「南平西排水樋管 1994年6月 関東地方建設局」と記されたパネルが取り付けられている。「幅3.0m 高1.7m」とも記されている。管理者は日野市である。
南平西排水樋管の景観を楽しんだところで、今回の平山用水散策は終わりにしたい。ここから南平駅まで200mほど、南平駅から電車に乗って帰路を辿ることにしたい。
南平西排水樋管の横はちょっとした展望テラスのように造られていて、堤防道から降りていくことができる。テラスから排水樋管の姿を浅川側から見ることができる。排水樋管には「南平西排水樋管 1994年6月 関東地方建設局」と記されたパネルが取り付けられている。「幅3.0m 高1.7m」とも記されている。管理者は日野市である。
南平西排水樋管の景観を楽しんだところで、今回の平山用水散策は終わりにしたい。ここから南平駅まで200mほど、南平駅から電車に乗って帰路を辿ることにしたい。
平山用水の流路を追って、まるで“調査”のような散策だったが、とても楽しい散策だった。以前から平山地区のところどころで用水の流れを見かけることはあったが、こうして流路に沿って辿ってみたことはなかったから良い機会だった。次の機会には南平用水の流路を追いかけてみたい。