八王子市長沼町〜日野市平山
秋の浅川
(長沼〜平山)
Visited in November 2006
晴天に恵まれた11月の初め、浅川の河岸を歩いてみようと思い、長沼町へと出かけた。以前、長沼町から日野市平山にかけて北野街道の南側を歩いたから、今回は浅川に沿って歩いてみたいと思ったのだった。
河岸には歩行者用の堤防道が延びている。河岸の道はやはり広々とした開放感がいい。水の流れを眺めながら歩くのはなかなか気持ちのよいものだ。この堤防道を歩いてゆこう。
水田はもちろん刈り取りを終えている。すでに11月だがまた稲が架けられている。今年(2006年)は初夏から夏にかけての天候が良くなかったせいで稲の生育も遅かったようで、各地で刈り入れが遅れたようだった。ここの刈り入れもいつもの年より遅かったのかもしれない。
碑文によれば、現在の長沼町は古い時代には山裾の谷戸に民家が点在して集落を成し、川沿いの沼地を開墾して田園地帯となったものという。やがて近代になって周辺は急激に宅地化し、水田のカドミウム汚染の問題も起こり、町の環境を良好な状態で維持してゆくには土地区画整理事業が必要だった。
事業は1979年(昭和54年)に着工、土地権利者34名、面積4.9ヘクタールの規模で行われ、3年7ヶ月の期間を費やして完成した。碑には「長沼土地区画整理組合」の名があり、「昭和57年9月末日」と記されている。
土地区画整理事業からすでに二十余年が過ぎた。今の長沼町に暮らす人たちの中に、土地区画整理事業以前の姿を覚えている人は、あるいは知っている人は、どれほどいるのだろう。小公園の隅にひっそりと建つ碑を見ながら、ふとそんなことを思う。
距離標を過ぎると南側から流れ込む小河川の水門があり、それを過ぎて堤防道は行き止まりになった。どうやら堤防道はここで途切れ、このまま河岸を辿って下流側へ進むことはできないようだ。地図を見てもやはり堤防道は続いていない。
けっきょく「多摩川から6k」の距離標の辺りまで戻り、河岸を離れて住宅地の中を抜けて北野街道へ出た。以前に長沼町から平山へと歩いたときに、山裾側の道から北野街道へと出たのと同じところだ。どうやら長沼町から日野市側へと行くにはどうしてもここで北野街道を通らなくてはならないようだ。北野街道の歩道を東へ歩く。
橋の歩道から階段を降りて河岸へ出ると、滝合橋の上流側になかなか素敵な風景が見える。浅川河岸に一段高くなって小川が流れている。どうやら上流側の堰で浅川の水を引き入れているようだ。農業用水なのだろう。
浅川本流と小川とを隔てる堤は舗装されておらず、草に覆われた土の感触が心地よい。小川には小さな橋が架かっている。河岸の家の通用口なのだろう。その橋の佇まいもいい。周辺は大きな木々が茂り、緑濃い水辺の風景が美しい。土の堤をゆっくりと歩き、水と緑の匂いを楽しんだ。
平山城址公園駅の北側の辺りでは堤防道は桜並木のようだ。花の咲く季節に景観を見てみたいものだ。その桜並木の脇、駅の北側一帯は宅地造成らしい工事が行われており、工事用車両が行き交っている。
そうした様子を見ながら進むと、やがて「平山橋南」交差点だ。北へは平山橋が浅川を跨ぎ、南へは平山陸橋が京王線の線路を跨ぎ、浅川の右岸と左岸を繋いでいる。平山橋の欄干はカワセミの姿をあしらったデザインだ。カワセミが日野市の市鳥だからだろう。
平山橋を渡ればJR中央線の豊田駅へもそれほど遠くはないが、今回は平山城址公園駅へ戻り、そろそろ帰路を辿ることにしよう。
長沼町から日野市平山方面へ、浅川河岸の堤防道が繋がっていないことはちょっとした発見だった。山裾側を歩いたときもそうだったが、この付近で東西の土地が隔てられている印象で、市境があるのも頷ける。次の機会には平山城址公園駅からさらに下流側へも歩いてみよう。長沼橋や平山橋を渡って浅川左岸を歩くのも楽しそうだ。