相模原市田名
望地弁財天
Visited in May 2002
相模原市田名の中央部あたり、「水郷田名」として知られる高田橋周辺から下流側に下った河岸に、望地弁財天がある。河岸の崖に抱かれるようにして社が建ち、鳥居を構えて弁財天を祀るあたりは興味深いが、ここに祀られる弁財天はもともと藤沢の江島神社に安置されていたものという。江島神社もまた「神社」でありながら弁財天も祀って「日本三弁財天」と数えられるほどの由緒を誇るあたりは日本の神仏混合の面白みを感じるところだ。
弁財天を祀った「望島殿(ぼうとうでん)」は相模川の中州にあったということだが、1907年(明治40年)の洪水によって社殿は流失、坐像だけが運び出されて難を免れた。その後は弁財天は南光寺に保管され、1954年(昭和29年)に望地水田を整備した際に社殿を再建、遷座したものという。この弁財天坐像は高さ45センチほどの寄木造りで、詳細は不明であるものの江戸時代に造られたものであるらしく、1987年(昭和62年)に相模原市の重要文化財に指定されている。
そもそもは養蚕鎮守であったということだが、弁財天は七福神のひとりとしても知られる福の神であり、さらにルーツを辿ればインドのサラスバティという水の女神である。相模川の河畔に水田を見守りつつ鎮座するのに相応しいかもしれない。
弁財天のあるあたりは河岸段丘の崖が相模川に迫っており、それを回り込んで河岸の小径を上流側に進むと「水郷田名」として知られる町のある開けた場所へ出る。相模川を跨ぐ高田橋の姿もよく見える。高田橋周辺は河原も広く、橋の袂から河原へは車で降りることもできるので行楽シーズンの休日ともなるとずいぶんと賑わうところだ。
望地弁財天は寺社の佇まいにもおもしろみがあるが、周辺の河岸の爽快感も魅力だ。上流側へ少し歩けば「水郷田名」に近く、「水郷田名」の散策から弁財天を訪ねてみるのもいい。