相模原市田名
水郷田名
Visited in May 2002
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)

よく晴れた五月の末、相模原市田名の相模川河岸を歩いた。田名の相模川河岸、高田橋の周辺は「水郷田名」として知られている。かつては大山道の宿場として栄えた土地柄だが、最近では身近な行楽地として認知され、特に初夏から夏にかけての休日などには涼を求めて多くの人々が訪れる。まさに「五月晴れ」となった日、汗ばむ陽気の中の散策は「水郷田名」に相応しいものだったかもしれない。
田名地区は古い時代から開けていた場所であるらしく、河岸に設けられた「水郷田名の歴史」という解説板の内容に依れば、その歴史は有史以前の時代まで遡るものであるという。記録が残っているのは戦国時代あたりからで、それ以前はまだまだよくわかっていないらしい。
田名地区の中でも相模川の河岸に発展した地域を久所(ぐぞ)という。江戸時代後半になると久所に相模川の対岸とを結ぶ「渡し」が設けられ、大山参りの人々が行き来し、「久所の渡し」周辺は宿場として賑わうようになった。当然のことながらこの頃は相模川の上流にダムは無く、満々と水を湛えて流れる相模川には舟が行き来し、水上交通の要所でもあった。さらに鮎漁や鵜飼いなどによって人々を集め、明治期から昭和初期にかけて久所周辺は歓楽街として大いに賑わったという。鵜飼いは観光客向けに行われていたらしいが、昭和30年代まで続いた後、後継者が無く途絶えてしまった。
1935年(昭和10年)には神奈川の観光名所45選に選ばれ、この辺りは「水郷田名」として広く知られるようになる。しかし、やがて時代が移ると上流のダム建設などによって環境は大きく変わり、往時の賑わいは失われてゆく。現在、「水郷」の名は相模川の流れや「烏山用水」の風情にその名残が偲ばれるだけだが、近年では各種行事などの成果もあってか、身近な行楽地としての知名度は決して低くはないように思える。

1935年(昭和10年)には神奈川の観光名所45選に選ばれ、この辺りは「水郷田名」として広く知られるようになる。しかし、やがて時代が移ると上流のダム建設などによって環境は大きく変わり、往時の賑わいは失われてゆく。現在、「水郷」の名は相模川の流れや「烏山用水」の風情にその名残が偲ばれるだけだが、近年では各種行事などの成果もあってか、身近な行楽地としての知名度は決して低くはないように思える。






町の北部には田名八幡宮や相模川ふれあい科学館などがあり、新旧それぞれの佇まいを見せている。田名八幡宮は800年頃に始まる古社で、源頼朝の時代に始まったという「的祭(まとまち)」という神事は相模原市の重要無形文化財となっている。端正な境内の隅には相模原市の保存樹木に指定された大木が数本立ち並んで見事な景観を見せている。相模川ふれあい科学館は1987年(昭和62年)に設立された相模原市立の施設で、相模川に棲息する魚を中心とした、いわば淡水魚の水族館である。いろいろな展示物が設けられているが、中でも相模川をシミュレートした「流れのアクアリウム」が見応えがある。建物前の庭は子どもたちの水遊びの場所として人気だ。






用水路には花菖蒲を植え込んだ一角もあり、相模原市内の花菖蒲の名所として名を連ねている。この時はまだ花菖蒲の花期には少々早く、わずかな数が咲いているだけだったが、水路脇の花菖蒲が咲きそろえば見事な景観となることだろう。その季節にまた機会を得て訪ねてみたい。

この辺りは「水郷田名と高田橋」として「相模川八景」のひとつに名を連ねている。高田橋周辺と言えば、今では初夏の「泳げ鯉のぼり相模川」や夏の花火大会などの行事で有名だが、田名八幡宮の神事などの伝統が続いているところは歴史のある土地らしいところだ。それらの行事が行われる時期に訪ねてみるのも楽しいに違いない。高田橋から下流側へ向かうと望地弁財天も近い。合わせて散策の足を延ばすのも悪くない。
【追記】
相模川河岸のこの地域は、2002年の時点での住所は「相模原市田名」だった(字名として「滝」、「久所」、「久所河原」などの地名があった)が、2005年(平成17年)7月から住所表示が変更され、「水郷田名○丁目」という住所になり、住所表示の上でも「水郷田名」となった。2010年4月には相模原市が政令指定都市となり、区制が導入され、「相模原市中央区水郷田名」となっている。