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八王子市高尾町
晩冬の高尾山1号路
Visited in February 2015
晩冬の高尾山1号路
暦の上では春を迎えてもまだまだ冬の寒さの続く二月の上旬、高尾山に登った。2007年(平成19年)に発行された、いわゆる“ミシュランガイド”で三つ星の評価を受けて以来、高尾山は人気の観光地として多くの観光客を集めている。高尾山に登るのは久しぶりで、ミシュランで評価を受けてからは初めてだ。

気軽な観光として高尾山に訪れるのならケーブルカーやリフトで登るのもいいものだが、今回は1号路を登ってゆこう。1号路は薬王院への表参道で、徒歩で高尾山に登るときには最も一般的で初歩的なコースと言っていい。登山路はすべて舗装されており、本格的な登山装備でなくても登ることができる。観光客で賑わう高尾山に登ろう。
晩冬の高尾山1号路
京王線高尾山口を降りて川沿いに西へ進んでゆくとケーブルカーの清滝駅前だ。駅から清滝駅まで、すでに多くの観光客、登山客が高尾山を目指している。その中に混じって歩く。清滝駅前、右手に「高尾山藥王院」と記された石柱が立っている。そこから登ってゆく坂道が薬王院の表参道、高尾山1号路だ。この高尾山1号路は東京都道189号線で、一般車両は乗り入れできないものの、居住者などの許可車両が通行することがある。だから相応の道幅があり、舗装されていて歩きやすいのだ。道は谷筋に沿って緩やかに登ってゆく。道脇には1月下旬に降った雪が残っている。八王子市街地ではすでにほとんど溶けてしまったが、この辺りではまだずいぶんと残っているようだ。

晩冬の高尾山1号路
清滝駅前からほぼ真っ直ぐに坂を登ってきた1号路は、700mほど行ったところで谷の奥へ至り、大きく屈曲して対面する斜面を登ってゆく。この屈曲するところで、ほとんどの人が一休みする。冬の寒さの残る2月の上旬、さらに山に登るとあってほとんどの人が厚着だが、ここまで登ってきただけでも身体は暖まり、うっすらと汗をかく。皆、上着を一枚脱いで、ここからの道程に臨んでいる。ここからしばらくは急坂だ。息を切らしながら登ろう。途中、舗装された1号路は再び屈曲し、つづら折りの形で山を登ってゆくが、未舗装の階段状の道が真っ直ぐに続いている。金比羅台園地を経由する脇道だ。そちらへ進んで金比羅台園地に寄ってゆこう。

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未舗装の道を登って尾根を回り込むと金比羅台園地だ。その名が示すように一角に金比羅社が祀られている。金比羅台園地は標高387m、東に視界が開け、八王子の町を眼下に一望する。甲州街道沿いに建ち並ぶビル群の右手にはひときわ高く、サザンスタイタワー八王子のシルエットが見える。この日は少し空気が霞んでいて見通しが利かなかったが、天候に恵まれれば東京タワーやスカイツリーの姿を見ることもできるようだ。ここからの眺望は“夜景の穴場”としても知られているようだ。金比羅台からの眺望を楽しみつつ一休みした後は、再び山頂を目指して道を辿ろう。
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晩冬の高尾山1号路
金比羅台園地から100mほど進むと舗装された1号路へと合流する。そこから山の稜線に沿って道が続く。道脇では根方が露わになった樹木が自然の造形美を見せる。金比羅台園地から数百メートル、高尾山エコーリフトの山上駅脇を過ぎる。リフトの山上駅を過ぎれば100mほどでケーブルカーの高尾山駅だ。駅周辺はケーブルカーで登ってきた人たちが合流して賑わっている。駅周辺は標高470mほど、駅前からは東へ爽快な眺望が広がる。夏になると「高尾山ビアマウント」がオープンして賑わう。夜景を眺めながらビールを楽しむひとときが人気を集めているようだ。
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晩冬の高尾山1号路
高尾山駅からさらに山頂を目指して先へ進もう。サル園前を過ぎると、道の左手に杉の巨木が立っている。高尾山の“名物”のひとつ、「蛸杉」だ。八王子教育委員会によって2012年(平成24年)に設置された解説板によれば、樹齢約450年、高さ37m、目通り幹囲約6mという巨木である。「蛸杉」の名は根の形状が蛸を思わせることが由来だが、「昔参道開さくの際、盤根がわだかまって工事の邪魔になるところから伐採しようとしたら、一夜にして根が後方に曲折した」との言い伝えがあると、解説板に記されている。昔は高尾山に訪れた子どもたちが根の上に登って遊んだものらしいが、今は「根っこにのぼらないで!!」、「幹や根にさわらないで!!」とのお願いが掲示されている。靴底の泥や雑菌が良くないらしい。触りたくなる気持ちもわからないではないが、見学するだけにしておこう。ちなみに、蛸杉は八王子市指定天然記念物である。
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蛸杉を過ぎてさらに進もう。浄心門を過ぎると道脇に灯籠が立ち並ぶ一角があり、寺院の参道であることを再認識する。蛸杉から300mほど、道が二手に分かれる。右手、真っ直ぐに進むのは石段で坂を登る男坂、左手に逸れるのは山の斜面に沿って緩やかに登る女坂だ。男坂の石段は百八あるらしい。百八、煩悩の数である。その煩悩を踏みしめて乗り越えてゆこうということらしい。今回は女坂を辿ろう。女坂は山の北斜面に沿って回り込みながら緩やかに坂を登る。北斜面ということもあり、道脇にはずいぶんと雪が残っている。まるで季節が逆戻りしたような錯覚を覚える。男坂と女坂が再び合流するところには茶屋が建っている。お団子や甘酒などを商っていて、なかなか賑わっている。歩いて登ってきた人たちには、そろそろ一休みというタイミングなのだろう。

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茶屋を過ぎると有名な杉並木だ。これも高尾山の“名物”のひとつ、東京都指定天然記念物である。1959年(昭和34年)と1966年(昭和41年)の台風の被害を受け、本数が減ってしまったとのことだが、残っている杉は樹齢数百年という。その中に「天狗の腰掛け杉」と呼ばれる大杉がある。樹齢700年ほど、高尾山に住むという天狗様が高みの枝に腰かけて物見をしたという杉である。根方近くに立って見上げてみると、杉は遥かな高みで天を貫いている。目を凝らしてみても天狗様のお姿は見つけられない。きっと天狗様のお姿は常人には見えないのだろう。
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杉並木の参道を抜けると道の左手に茶屋が並び、その対面、道の右手に山門が建っている。山門をくぐればいよいよ薬王院の伽藍が建ち並ぶ一角だ。薬王院は、正式には「高尾山薬王院有喜寺」という。縁起によれば、744年(天平16年)、聖武天皇の勅命によって行基が薬師如来を安置し開山したそうだ。その後、南北朝時代の永和年間(1375〜1379年)に俊源大徳が入山、飯縄大権現を奉祀して中興したという。飯縄大権現は戦勝の神として戦国武将の信仰を集め、江戸時代に入っても徳川の庇護を受け、大いに隆盛したという。そしてまた高尾山は修験道の山でもあり、天狗信仰の山でもある。今では自然溢れる身近な観光地としての印象も強いが、そもそもは信仰に根ざした霊山である。敬虔な気持ちで参拝してゆきたい。
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晩冬の高尾山1号路
飯縄権現堂の脇を抜け、山頂への道を辿ろう。尾根道を数百メートル辿ると、いよいよ高尾山の山頂に着く。休日ということもあり、山頂の園地は大勢の観光客、登山客で賑わっている。しっかりとした登山装備の登山客と、町へのお出かけの延長のような服装の観光客が混在するのも高尾山の特徴だろうか。ちょうどお昼時、皆それぞれに場所を決めて昼食をとっている。訪れたとき、園地の一角が整備工事中で、そのため園地が少しばかり狭くなっており、余計に混雑しているようだった。山頂園地の西側の一角からは周囲に視界が開け、爽快な眺望が楽しめる。空気が澄み渡っているとは言い難い日だったが、重畳する山々の遥か向こうには雪を頂く富士山の姿も見えている。登ってきた人たちが入れ代わり立ち代わり展望所に立って富士山を眺め、カメラを向けていた。
晩冬の高尾山1号路
晩冬の高尾山1号路
山頂の園地で眺望を楽しみ、昼食を済ませたら、のんびりと下山することにしよう。帰りはケーブルカーを使うことにしよう。高尾登山電鉄のケーブルカーは高尾山駅と麓の清滝駅とを6分ほどで繋ぐ。線路長は1000m、高低差は271mあるそうだ。高尾山駅付近では最急勾配31度18分となり、これはケーブルカーの線路としては日本一の勾配なのだという。高尾山のケーブルカーは1927年(昭和2年)に営業を開始、1944年(昭和19年)から戦時体制のために営業を休止したが1949年(昭和24年)には営業を再開、以来、高尾山に訪れる人たちの足となり、高尾山の象徴のひとつとして親しまれている。高尾山駅から下りのケーブルカーに乗ると、いきなり最急勾配地点だ。つんのめるような姿勢で降りてゆく様子がなかなかスリリングだ。中間地点で登りの車両と入れ替わるようにすれ違い、車窓の眺めを楽しんでいるうちに清滝駅に着く。清滝駅から京王線の高尾山口へと向かい、帰路を辿ろう。
今回訪れたとき、「4号路は残雪があり、ぬかるんでいるために登山靴以外での進入は禁止」との旨の注意書きがあった。高尾山は身近な観光地として気軽に訪れることができるのが便利だが、しかしやはり高尾山は“山”であり、そこに登るのは“登山”である。甘い認識は事故に繋がる。実際、高尾山で“遭難”する人もあるのだ。特に歩いて登るときには、しっかりと“登山”の認識を持って、それなりの装備を怠らないようにしたい。
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