横浜市神奈川区三ツ沢西町〜松本町
三ツ沢せせらぎ緑道
Visited in June 2005
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
横浜市神奈川区の南部、横浜市営地下鉄の「三ツ沢上町」駅から「三ツ沢下町」駅付近にかけて、「三ツ沢せせらぎ緑道」という名の遊歩道が整備されている。「神奈川区ビューポイント36景」のひとつにも選ばれている緑道だ。かつての「滝の川」の跡地を緑道として整備したものという。「せせらぎ緑道」という名が示すように、緑道には「せせらぎ」が流れている。この「せせらぎ」は地下鉄「三ツ沢上町」、「三ツ沢下町」両駅に湧き出ている地下浸透水を水源に利用した珍しいものであるらしい。
「三ツ沢せせらぎ緑道」は西は三ツ沢西町から、東は松本町まで、国道1号に沿うように東西に辿っている。この付近には「三ツ沢」の地名を冠する町名が多いが、緑道はその町の境に沿って続く。すなわちかつての滝の川が町の境だったからだろう。緑道の北側には西から「三ツ沢上町」、「三ツ沢中町」、「三ツ沢下町」と並び、緑道の南側には「三ツ沢西町」、「三ツ沢南町」、「三ツ沢東町」と並ぶ。国道沿いには商業施設も多く、周辺の丘陵地には住宅が建ち並ぶ。市街地に位置する緑道だが、そうした立地からは想像できないほど、緑に溢れ、穏やかな印象の緑道だ。
横浜市営地下鉄「三ツ沢上町」駅を出て、国道1号の南側歩道を西へ少し行くと、歩道脇に木々に覆われた一角がある。「水門広場」と名付けられた一角で、ここが実質的に「三ツ沢せせらぎ緑道」の西端のエントランスと言えるだろう。「広場」と言うほど広くはないが、木々に包まれてベンチなどを置き、三ツ沢せせらぎ緑道についての案内板などが設置されている。その案内板に、三ツ沢せせらぎ緑道が滝の川の跡を整備したものであること、地下鉄の駅の浸透水を水源に利用していることなどが記されている。この案内板の台石は小松石で、1987年(昭和62年)に掃部山付近で発掘された明治時代の下水道の石だという。小松石は40万年ほど前の箱根の火山活動によって流出した溶岩から形成された安山岩で、古い時代から石材として用いられてきた。研磨によって光沢が得られ、高級墓石材として使われることも多い石材だ。
「水門広場」は国道1号のすぐ脇であるために車の音が常に響いているが、せせらぎに沿った小径を東へ辿って行けば国道から離れ、車の騒音も遠のいてゆく。緑道を歩いてゆくとすぐに門前橋へ至る。その名が示すように豊顕寺の門前に当たる。門前橋を渡って南へ入り込むと右手に豊顕寺が建っている。豊顕寺南側の斜面林は「
豊顕寺市民の森」として開放され、散策を楽しむ人の姿も少なくない。春の桜の名所としても知られている。「豊顕寺市民の森」を抜けてさらに南へ辿れば「
三ツ沢公園」で、「戦没者慰霊塔」のすぐ裏手へと抜け出る。時間が許せば豊顕寺市民の森から三ツ沢公園へと、散策の足を延ばすのも悪くない。
門前橋を過ぎてさらに東へ辿ると、緑道の南側には林が迫り、鬱蒼とした雰囲気が漂う。国道1号からそれほどの距離があるわけではないはずなのだが、辺りは静けさに満ちて鳥の声が聞こえるばかりだ。せせらぎの水も澄んでおり、蟹の姿も見つけることができた。少し行くと、せせらぎの岸辺に四阿を設けた一角がある。「ふれあい広場」と名付けられているようだ。背後に木立を背負った四阿の前は池になっており、池の周辺に
紫陽花が植栽されている。訪れた六月半ば、紫陽花は咲き始めたところのようだ。「豊顕寺市民の森」も紫陽花の名所として知られている。紫陽花の花が盛りを迎える時期に、再度訪れてみたいものだ。
せせらぎ緑道は三ツ沢小学校の裏手を抜けてゆく。学校の裏手の辺りもちょっとした広場になっており、ここは「わくわく学習広場」と名付けられているようだ。その名のように、学校の授業の一環として子どもたちが水辺の動植物を観察したりするのだろう。せせらぎの南側は崖になっており、崖の上には鬱蒼と木々が茂り、崖面からは水が染み出している。とても市街地の中に残された緑道とは思えない。紫陽花の咲く緑道脇に、鶏の姿を見つけた。一羽の雄鳥が逃げる様子もなく緑道脇で餌を探している。学校で飼っているものなのだろうか。ちょっと楽しい出会いだ。
小学校裏を過ぎると「せせらぎ」が姿を消し、緑道は住宅街の中を抜けてゆく舗道という様相になった。南側から別の緑道が交わっている。そちらの緑道へ逸れてみる。細い緑道は緩やかな上り坂になっている。歩いてゆくとすぐに住宅地へと抜け出るが、その脇に小さな公園があった。三ツ沢南町公園という名であるようだ。緑道脇に設けられたほんの小さな公園だが、遊具も少し置かれている。近くに暮らす子どもたちの遊び場になっているのだろう。この緑道脇にも紫陽花が咲き、初夏の風景を彩ってくれている。
緑道をさらに東へ辿ると、「今下橋跡」で道路が横切っている。道路脇には商店などが並び、北へ歩くと国道1号の「三ツ沢中町」バス停付近へ抜け出る道路だが、車の通行は多くない。この道路を渡ると、南側は三ツ沢南町から三ツ沢東町となる。ここから東は、三ツ沢せせらぎ緑道は人工的な佇まいの舗道に姿を変える。舗道に沿った「せせらぎ」も人工的な「水路」という様相だ。自然溢れる小川の魅力には欠けるが、石畳の舗道は端正に整えられ、街路樹も美しく、散策は楽しい。
舗道脇に「三ツ沢貝塚」の解説を記した案内板がある。この辺りの緑道南側の一帯には「三ツ沢貝塚」という遺跡群があるという。縄文時代後期から弥生時代にかけて形成された貝塚で、魚や鳥、猪などの骨、土器、土偶、石斧、釣り針、装身具などに加え、人骨や竪穴式住居跡が発掘され、大規模な集落があったと考えられているという。
紫陽花の咲く緑道を東へ進んでゆくと滝を模したような造りの一角があり、ちょっとした広場になっている。そこを過ぎると観音寺の前だ。「観音寺橋跡」とあるから、かつては滝の川を跨いで「観音寺橋」が架かっていたのだろう。観音寺前を過ぎると緑道は少し北側へ折れ、建物の並ぶ中を辿って国道1号に抜け出る。「島田橋」という名の交差点の傍らで、かつては滝の川を跨ぐ国道1号の橋が「島田橋」だったのだろう。今は「橋」はない。交差点のすぐ西側に横浜市営地下鉄「三ツ沢下町」駅がある。
「島田橋」交差点の横断歩道で国道1号を渡る。「三ツ沢せせらぎ緑道」は国道1号の北側に移り、三ツ沢下町と松本町との境に沿って続いているが、この区間には「せせらぎ」はなく、住宅地の中を縫って辿る舗道といった佇まいだ。緑道を歩いていると、地蔵尊がある。延命地蔵尊と愛染地蔵尊の二体の地蔵尊が緑道沿い、すなわちかつての川の岸辺に祀られている。延命地蔵尊は1680年(延宝8年)に三ツ澤村を疫病から守るために建立されたものという。愛染地蔵尊は、昔、滝の川に首のないお地蔵様が流れてきたのを供養してお祀りしたのが始まりで、お地蔵様のあったところに染物工場があったことからこの名で呼ばれるようになったものという。
やがて緑道は「鶴亀橋跡」へ至る。傍らに設けられた解説板によれば、鶴亀橋は江戸時代の初期に三ツ澤の豊顕寺道の途中に架けられていたものという。現在では川は暗渠となり、橋跡には擬宝珠が残されている。この擬宝珠には「寛永四年(1627年)」の銘があり、市域では貴重なものという。その鶴亀橋は、大正時代以降、「ガーデン橋」と呼ばれるようになった。大森山と呼ばれた北西側の丘の上に明治期に財を成した大沢幸次朗が私邸を建て、その庭園を「横浜ガーデン」と名付けたことから、そう呼ばれるようになったものらしい。大沢は「横浜ガーデン」に洋風温室や花壇を設け、植物園や小動物園も造り、これを一般にも開放、「横浜ガーデン」は地元の人々に親しまれたという。
「鶴亀橋跡」が、「三ツ沢せせらぎ緑道」の東端であるようだ。付近には鶴亀橋や地蔵尊、「大沢邸の日本庭園」や「ガーデン山」などに関する解説板が設置されている。古い時代に思いを巡らせながらそれぞれの解説を読んでゆくと興味は尽きない。明治時代までの三ツ沢は田畑の広がる農村で、そこを滝の川が流れていた。滝の川には四つの水車があったという。そうしたことも、「滝の川の水車」という解説板に記されている。今では国道1号が東西に抜け、地下には横浜市営地下鉄が通り、建物の並ぶ市街地だが、のどかだった古い時代の風景を想像しながら緑道を歩くのも楽しい。
「三ツ沢せせらぎ緑道」では、初夏には三ツ沢小学校の子どもたちが地元の人たちとともに育てた蛍の姿を見ることができるという。このような市街地の中の小川で蛍が見られるというのは、少しばかり驚きを感じる。
緑道は総延長1.7kmほど、そのうち「せせらぎ」が沿うのは1km弱の区間だ。緑道は「今下橋跡」から西の区間、「今下橋跡」から国道1号「島田橋」交差点までの区間、「島田橋」交差点から東の区間と、おおまかに三つの区間から成っていると言ってもいいだろう。西側の区間は、自然のままの小川を彷彿とさせる「せせらぎ」の様相が楽しく、中央部は端正に整えられた舗道の佇まいがいい。東側の区間は地蔵尊やガーデン橋跡などを巡っての散策が楽しい。「
豊顕寺市民の森」にも併せて訪ねるとさらに楽しめるだろう。街歩きの好きな人ならガーデン山商店街なども歩いてみるといい。緑道の西は横浜市営地下鉄「三ツ沢上町」駅に、東は横浜市営地下鉄「三ツ沢下町」駅に、それぞれ至近だ。行きと帰りでそれぞれの駅を利用するとよいだろう。
【追記】
1990年(平成2年)に選定された「神奈川区ビューポイント36景」は、2006年(平成18年)4月、「わが町かながわ50選」にリニューアル、さらに2009年(平成21年)、横浜開港150周年に合わせて「わが町 かながわ とっておき」にリニューアルされている。