横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市西区紅葉ヶ丘〜戸部〜平沼
掃部山から平沼商店街へ
Visited in May 2012
掃部山から平沼商店街へ
すっかり初夏の陽気となった五月の半ば、桜木町駅を降りた。桜木町駅から掃部山公園を抜け、戸部町から平沼町へと歩き、横浜駅を目指そうと思ったのだった。この辺りはあまり馴染みがなく、いずれ機会を設けて歩いてみたいと思っていた。国道16号と新横浜通りが平行して真っ直ぐに延びる辺り、その西側を歩いてみたい。
東急東横線旧桜木町駅舎
JR根岸線桜木町駅を西側へ出る。東側はみなとみらい地区の玄関口とあって多くの人で賑わっているが、西側はごく普通の市街地だ。桜木町駅には2004年(平成16年)1月まで東急東横線の駅もあった(「みなとみらい線」の開業に伴って東急東横線の横浜駅、桜木町駅間は廃線となった)。旧駅舎はまだ残っているが、それもようやく撤去されるようだ。「東急東横線の旧桜木町駅舎の解体工事」と行うことになったとの旨の張り紙が、旧駅舎建物横にあった。工事は2012年(平成24年)5月7日から2012年(平成24年)8月末までの予定だそうだ。旧駅舎解体工事が終われば廃線跡の整備が始まるのだろう。

旧東急線ガード下
桜木町駅から旧東急線ガード下を歩く。このガード下の壁面には昔、多くのいわゆる“ストリートアート”が描かれていた。“ストリートアート”とは言っても所詮は違法な落書きなのであって、いつのことだったか(2000年頃にはまだあったので、それ以後のことだろうと思うが)すべて消されてしまった。今ではグレーのコンクリートの壁面と柱が幾何学的な模様を描いて続いている。途中、「紅葉坂」バス停がある。通りかかったとき、ちょうどバスがやってきて、数人の乗客が乗り降りする姿があった。
紅葉坂交差点
紅葉橋
「紅葉坂」バス停のすぐ北側に「紅葉坂」交差点がある。「紅葉坂」交差点から西へ道路が延び、西側の丘へ登っている。国道16号のすぐ西側を併走する県道13号線(新横浜通り)は紅葉橋という橋が跨いでいる。紅葉橋は緩やかなアーチを描く鉄骨が支えているようだ。その構造体が赤く塗装を施されて印象深い姿を見せている。現在の紅葉橋は2001年(平成13年)3月に竣工したものらしい。紅葉橋付近はちょうど横浜市西区と中区の区境だ。桜木町駅付近は中区だったが、紅葉橋の北西側は西区になる。紅葉橋の西側の袂から南へ伸びるのは「音楽通り」だ。

紅葉橋
紅葉橋から紅葉坂を上ってゆこう。紅葉坂の北側には高層の住宅が並び、広く美しい歩道が造られている。振り返るとランドマークタワーの姿が見える。少し行くと坂の右手に県立青少年センターが建っている。その手前を右(北側)に折れて進んでゆくと県立音楽堂の横を過ぎて掃部山公園だ。桜の名所としても知られる掃部山公園だが、今はすっかり緑濃く、穏やかな空気に満たされ、その中に静かに井伊直弼の像が佇んでいる。掃部山公園の中を通り抜けていこう。
掃部山公園
戸部町四丁目
掃部山公園を西側へ通り抜けると戸部町四丁目の町だ。バス通りに出て北へ向かおう。バス通りには「戸部通り」という愛称があるようだ。バス通りとは言っても交通量は少ない。ときおり車が走り抜けてゆくが、人々の往来もあまりない。みなとみらい地区とは1kmほどしか離れていないと思うのだが、みなとみらい地区の近未来的な印象や賑やかさとはまるで別世界、人々の暮らしの中で静かに時を重ねる町の姿がある。バス通りから横へ伸びる路地の姿もよい風情だ。

ワープロ修理店
その町の一角に「ワープロ修理」の店があった。今ではすっかりPCが一般化し、一時期一世を風靡したワープロ専用機は市場から姿を消してしまったが、特に高齢者の間で今でもワープロ専用機を使い続けている人が少なくないという。確かに「文書の作成と印刷、管理」という機能に絞ったワープロ専用機は、その機能のみを必要とする人にとっては汎用的なPCより使いやすいものに違いない。“ワープロ専用機の機能があれが充分だ”という人にとって、PCを購入してOSのセットアップを行い、インターネットへの接続を行い、ワープロソフトをインストールし、プリンターは別途購入して接続してユーティリティソフトをインストールし、といった一連の作業は煩わしく面倒な作業なのだろう。店の入口脇には「パソコン試してワープロの優しさを知る」との標語のようなものが掲げられていた。

戸部七丁目交差点
戸部町四丁目から北へ、戸部町五丁目、戸部町六丁目と「戸部通り」を辿ってゆく。道沿いにはところどころに店舗もあるが、シャッターが降りたままのところもある。この辺りから西へ向かうと戸部本町、京急線の戸部駅があるが、その辺りへ足を延ばすのはまた別の機会にしよう。「戸部通り」をさらに北へ進むとすぐに「戸部七丁目」交差点、国道1号線が東西に横切っている。国道1号線は広く、直進用の車線は地下を抜けており、交差点は側道と交差する。国道沿いにはビルが林立し、さきほどまでの戸部の町の風景とはまるで印象が違う。信号が変わるのを待って国道1号を横断することにしよう。
戸部町七丁目
石崎川
国道1号線を横断してさらに北へ辿ると川を渡る。帷子川の支流のひとつで、石崎川という。敷島橋という橋が架かっている。かつて横浜が開港し、横浜港と東海道とを繋ぐ道が整備されたとき、ここに石崎橋が架けられ、多くの人や物資が行き来したという。石崎橋は横浜駅が造られた1915年(大正4年)に現在地(敷島橋の西隣)に移動、その跡に敷島橋が架けられたのが1930年(昭和5年)のことだそうだ。石崎川の北側の岸辺は「石崎川プロムナード」として整備され、広く造られた歩道に桜が並ぶ。春には美しい景観を見せてくれるという。

平沼商店街
石崎川と東海道本線の線路に挟まれた三角形の地域が平沼の町だ。敷島橋から北へ平沼商店街が延びる。平沼商店街は少しばかり寂れた様子だ。京急線の線路をくぐってさらに辿るとやがて東海道本線の線路が眼前を横切っている。その向こうは帷子川だ。すぐ横で県道13号線(新横浜通り)が平沼橋によって線路と川とを一跨ぎにする。その脇に「横浜道」について記した案内板が設置されている。1858年(安政5年)に日米修好通商条約が調印され、神奈川(横浜)の開港が翌年6月に定められたが、当時の横浜は東海道筋からの交通がたいへんに不便だったため、幕府は芝生村(現在の浅間町交差点付近)から横浜までの道路を開いたという。それが「横浜道」と呼ばれるもので、戸部村まで現在の平沼商店街を縦断して一直線に延び、野毛坂を経て横浜へ至っていたらしい。開港直後は大いに賑わったそうだが、今では往時の面影をわずかにとどめるのみだと、案内板の解説には記されている。
平沼商店街から平沼橋を見る
帷子川河岸から平沼橋を見る
平沼橋の歩道へと上がり、鉄道と帷子川を越えてゆこう。平沼橋の下で帷子川を跨ぐ橋は元平沼橋、「横浜道」が開かれた当時に架けられた橋(現在はもちろん新しいものに架け替えられている)で、本来はこちらが「平沼橋」だったそうだが、1928年(昭和3年)に新しい平沼橋が架けられた際にその名を譲ったものだそうだ。現在の平沼橋は1997年(平成9年)に建設されたという。橋を支えるアーチ形の構造が美しい。平沼橋を渡ったら帷子川の左岸に沿って歩こう。岸辺には遊歩道が設けられている。少し歩いて振り返ると平沼橋と元平沼橋の二つが視界に収まり、帷子川の水面がその姿を映している。

南幸橋付近
帷子川の岸辺を歩いてゆくと、横浜駅の南端部が間近に見えるようになる。帷子川の本川は線路をくぐって東へ流れている。北へ延びているのは支川である幸川だ。幸川の岸辺に沿って少し行けばすぐに横浜駅前の繁華街だ。土曜日の午後、幸川に架かる南幸橋はひっきりなしに人々が行き交い、たいへんな賑わいだ。ほとんどの人は横浜駅方面から繁華街へと向かってゆく。その人の流れに逆らうように南幸橋を渡って横浜駅へと向かい、どこかでティータイムを楽しんでから、そろそろ帰路を辿ることにしよう。
今回の散策ルートはまったくの思いつきで、桜木町駅から掃部山公園を抜けて戸部町を歩き、そのまま北へ向かって横浜駅を目指そうという程度のものだったのだが、期せずしてかつての「横浜道」の一部を辿るコースになっていたようだ。初めから「横浜道」を意識して、往時の面影を探しながらの散策も楽しいに違いない。

平沼の付近は帷子川の本川と支川とが入り組み、橋が多い。川に沿って「橋巡り」をしてみるのも楽しそうだ。それもまた次の機会ということにしよう。
掃部山から平沼商店街へ