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横浜市中区桜木町
桜木町駅
November 2000
現況と異なる内容を含んでいます
桜木町駅
1872年(明治5年)9月12日、新橋と横浜とを結ぶ鉄道が開通した。午前10時に新橋を出発した九両編成の特別列車は午前11時に横浜停車場へ到着、日本の鉄道の歴史の幕を開けた。この年の5月に品川・横浜間で仮営業を始めていた鉄道が新橋まで延びて正式開業となったものだった。この時の横浜駅が、現在の桜木町駅だ。9月12日は新暦では10月14日にあたり、後にこの日は鉄道記念日となる(「鉄道記念日」は1994年に「鉄道の日」と改称)。桜木町駅の開業日は10月14日(旧9月12日)ではなく5月7日だが、これは新橋・横浜間開通に先立つ品川・横浜間での仮営業開始の日を駅の開業とするためだ。

桜木町駅遠景
新橋からの列車を迎えたこの日、よく晴れた日であったという。開業式に際しては明治天皇が臨幸され、時の神奈川県権令大江卓は横浜の家々に国旗と日の丸提灯を掲げさせた。費用をかけない祝典の方法として考え出された苦肉の策であったらしいが、これが意外にも好評で、これをきっかけに祝祭日の国旗掲揚が正式に採用されることになったのだという。

開業当初の鉄道は新橋・横浜間を約53分で結んだ。運賃は上等1円50銭、中等1円、下等50銭と、三段階に設定されており、当時の貨幣価値からすれば非常に高額なものだった。当時の横浜駅舎はアメリカ人ブリジェンヌの設計によるもので、新橋駅と同じ意匠であり、二階には貴賓室が設けられていたという。乗務員はすべてイギリス人で、乗客も外国人が多く、数少ない日本人乗客は貿易業者などの一部の裕福な人々だけだった。駅頭には乗車の際の注意事項が「乗らんと欲するところの賃金をつり取引なきように用意致し来るべし」などと記されており、乗客は「乗せてもらう」というふうであった。一般の庶民は珍しいイギリス製の蒸気機関車を「陸蒸気(おかじょうき)」と呼び、弁当持参で見物に訪れ、日がな一日眺めていたのだという。「箪笥長持ち質屋に入れて、乗ってみたいな陸蒸気」とはあまりにも有名な言葉だが、当時の庶民の思いを如実に伝えていると言えるだろう。

エドモンド・モレルの肖像
日本の鉄道開通は開国からわずかに十数年を経た頃のことで、この頃の日本の鉄道技術は皆無と言ってよかった。明治初期のさまざまな近代化の際に諸外国に支援を求めた日本だが、鉄道建設に当たってはイギリスから多くの技術者が「お雇い」として招かれることになった。エドモンド・モレルはそうしたお雇い外国人のひとりとして来日、初代鉄道技師長として鉄道建設の全般を指導指揮、さらには日本人鉄道技術者育成のための教育機関の設立を政府に進言した。モレルの功績は大きなもので、日本に於ける「鉄道建設の父」とも呼ばれている。しかしモレルは来日前から結核を病んでおり、慣れぬ日本の地での生活と激務のために病状は悪化、来日二年目の1871年、鉄道開通を待たずして帰らぬ人となった。

現在の桜木町駅改札口横にモレルの肖像が掲げられている。髭をたくわえた姿は一見すると老齢のようにも見えるが、実はわずか三十歳の若さで没している。乗降客の多い桜木町駅で、この肖像の前で足を止める人の姿もあまりない。モレルは横浜山手の外国人墓地に眠っている。

鉄道発祥の地碑
こうして始まった日本鉄道の歴史は以後急激に進歩してゆく。1874年(明治7年)には神戸・大阪間が開通、翌1875年(明治8年)には客車車両の国産化が始まる。1880年代に入る頃から日本人の技術習得も進み、「機関方」と呼ばれた運転士の第一期生が1879年(明治12年)に新橋鉄道局に誕生した。1893年(明治26年)には、イギリス人による設計ではあったが、機関車の国産化がなされている。

桜木町駅の東側の一角には「鉄道発祥の地碑」が置かれているが、あまり目立つものではなく、街路樹の影にひっそりと隠れている。駅周辺の整備が進めば、またこの付近の様相も変わるのだろう。

現在の桜木町駅はJR根岸線の駅と東急線の桜木町駅が軒を並べ、さらには横浜市営地下鉄の駅が寄り添っている。桜木町駅と言えば、かつては北側に港湾地区、南側に野毛の街を控えて庶民的な風情が漂い、どこか猥雑な感じさえあったものだが、今ではみなとみらい地区への玄関口としての意味合いが強く、そのイメージも大きく変わってきたように思える。

みなとみらい地区の整備につれて桜木町駅の乗降客も年々増え続け、1991年度に7万人弱であった一日平均乗降客数は1997年度には12万人を超える。それからさらに増え続けているだろうことは間違いない。1998年(平成10年)には運輸省関東運輸局が主催する「関東の駅百選」の第二次選定駅のひとつにもなり、桜木町駅の重要性と知名度は近年ますます高まっているように思える。
桜木町駅
桜木町駅前からランドマークタワーを見る
桜木町駅を北へ出ると、目の前には整然とした駅前ロータリーが広がっている。案内所なども置かれており、みなとみらい地区への玄関口であると同時に横浜観光の重要な拠点となっていると言ってもよいだろう。視線をわずかに上げると空に届くかのようなランドマークタワーの姿が見える。ランドマークタワー方面へ向けて「動く歩道」も設置されていて、行き交う人々の雑踏が吸い込まれるように流れてゆく。

「動く歩道」へ向かう辺り、線路側には空き地がある。この空き地は近年「お花畑」として有名になった。利用が決定されるまでの暫定的な措置として花の種を蒔いているものだというが、このまま花に溢れた緑の空間として整備できないものだろうかとも思う。

「動く歩道」方面へ向かわず、横断歩道を渡ってバス停横をすり抜けるようにして進み、さらに道路を渡ると「日本丸メモリアルパーク」の傍らに着く。そこから新港地区へと「汽車道」が延び、ワールドポーターズ辺りへ向かう人の流れはこちらへ向かっている。ランドマークタワーからクイーンズスクエア、さらにコスモワールドの観覧車など、みなとみらい地区の建築群の見せる風景は近未来的な美しさを感じさせるものだが、その景観を最も堪能できる場所のひとつが、この汽車道近辺だろう。特に夜景は建物の光が水面に映り込み、幻想的な美しさを見せてくれる。
野毛ちかみち入口
一方、桜木町駅から野毛方面に出ると、すぐに「野毛ちかみち」という地下道への入口が目に入る。交通量の多い国道16号線をかわして野毛方面と桜木町駅からみなとみらい地区とを結ぶための歩行者用通路として1999年(平成11年)4月に開通したものだ。「ちかみち」は「近道」と「地下道」とを兼ねたネーミングなのだろう。

「野毛ちかみち」を抜けて野毛方面へと出ると、古くから庶民の街として賑わってきた野毛の街が広がっている。その背後には野毛山があり、野毛山公園伊勢山皇大神宮、さらに掃部山公園などがあり、行楽や散策にはよいところだ。

東急線の高架下のストリートアート
「野毛ちかみち」に降りずに西へ向かうと、東急線の高架下の歩道の壁面にはいわゆるストリートアートが並ぶ一角がある。「ストリートアート」と言えば聞こえはいいが、すなわち「落書き」であって、厳密には違法な行為なのだが、いつの頃からかアート感覚に溢れるものが多くなって有名になった。描かれているものは常に同じではなく、古いものの上から新しいものが描かれて入れ替わってゆくらしい。こうしたストリートアートの類はたいていの場合は「街の美観を損ねる」ということで対策が講じられるものだが、ここの高架下はそもそもがコンクリート剥き出しの殺風景な場所であったこともあって、それほど「街の美観を損ねる」ようにも感じられなかったのも事実だ。
みなとみらい地区から新港地区にかけては未だに整備途上だが、整備が進むにつれてこの地区の魅力も増してゆくに違いない。桜木町駅からみなとみらい地区へは少々距離がある気もするが、みなとみらい地区を抜けて横浜駅と元町とを繋ぐ地下鉄の路線の建設も進められており、これが開通すればかなり便利になるだろう。そうした周辺に整備につれて桜木町駅の果たす役割も少しずつ変化してゆくのかもしれない。
追記 桜木町駅前はさらに整備が進み、「お花畑」として親しまれた空き地もすでにない。また2002年春に設定された散策ルート「開港の道」の西側の起点となり、横浜臨港部の観光拠点としての役割はますます大きなものになった。さらに2004年2月1日には東急東横線と相互乗り入れとなる「みなとみらい線」が開業、それに伴って東急東横線の横浜駅から桜木町駅間は2004年1月30日の終電をもって廃線となり、東急の桜木町駅は廃駅となった。高架下の“ストリートアート”も今はない。

追記 2000年11月当時に改札横の壁面に設置されていたエドモンド・モレルの肖像は、改札口向かいの観光案内所前の柱の壁面に移設されている。また駅改札には「桜木町駅の今・昔」と題した写真パネルが展示されており、昔の桜木町駅の様子を見ることができる。観光に訪れた人は目をとめておきたい。またその他にもさまざまな資料展示が行われているので、観光の参考にされるとよいだろう。
桜木町駅