横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市神奈川区
神奈川宿歴史の道
(滝の川〜青木橋)
January 2002
現況と異なる内容を含んでいます
神奈川宿歴史の道
神奈川は1601年(慶長6年)に伝馬の制の制定とともに宿場に定められて以来、東海道の宿場として賑わった町だった。神奈川湊を抱えた立地によって交通の要衝でもあり、中世から栄えた場所だったらしい。「神奈川」の地名の由来にはさまざまな説があるようだが、1200年代にはすでに「神奈河」の文字が文書の中に登場するという。横浜市に併合される以前は神奈川町として往時の繁栄を受け継ぎ、横浜開港期には横浜の発展を側面から支えた街だったといってもよいだろう。

そうした神奈川宿の歴史を今に伝える史跡や寺社などを繋いで「神奈川宿歴史の道」という散策ルートが設けられている。かつて神奈川宿の中心であった滝の橋のあたりから、京浜急行神奈川駅のあたりまで、「神奈川宿歴史の道」を歩いてみた。
JR線の東神奈川駅を北口へ降り、西へしばらく歩くと、右手の交差点の角に反町公園が見えてくる。木立に囲まれたのんびりとした空間が魅力の公園だ。公園の横には神奈川区総合庁舎があり、この近辺が神奈川区の行政の中心と言ってよいのだろう。

土橋から滝の川下流側を見る
その交差点の西側を道路の下をくぐって流れる川がある。滝の川という。かつては権現山から落ちる滝があり、そこからこの名があるという。交差点から滝の川に沿った道を南下すると、左手にJR線と京急線の線路に挟まれるようにして慶運寺がある。浦島寺の異名を持つ寺で、「神奈川宿歴史の道」のコースにもなっている。慶運寺前を過ぎて京急線の線路をくぐると、右手の川向こうに寺が見えている。浄滝寺だ。さらに少し進むと滝の川を渡る橋がある。土橋(どはし)という橋で、「昭和4年1月竣功」とある。土橋の上から見る滝の川は石垣に組まれた河岸の風情がなかなかいい。土橋を渡って少し進んで右手に入り込んでゆくと浄滝寺だ。

浄滝寺
浄滝寺は1260年(文応元年)、日蓮聖人に出会って弟子となった妙湖尼が自らの庵を法華経の道場としたことに始まるという。それにちなんで山号は妙湖山という。もともとは東海道沿いにあったが、徳川家康の江戸入部の際に現在地に移ったらしい。横浜開港期当初にはイギリス領事館が置かれた寺でもあり、門前にはそれを示す碑が建てられている。

浄滝寺から土橋の袂に戻り、南へ歩を進める。滝の川の西岸には遊歩道が設けられ、川沿いの風景を眺めながらのひとときが楽しい。遊歩道には梅が植えられており、すでに咲き始めていた。訪れたのは一月の末だったが、今年は梅の開花が早いらしく、紅梅はもう満開に近く、白梅もちらほらと咲いている。ほんのりと漂ってくる甘い匂いが早春の風情を誘う。

神奈川宿歴史の道解説パネル
梅の咲く遊歩道を少しばかり歩くと、目の前を横切る国道15号とその上の高速道路が間近になる。

国道15号が滝の川を越える橋が滝の橋、今では幅の広い国道をひっきりなしに車が走り抜け、車からは橋であることすら気付かないかもしれない。かつてはこの滝の橋のあたりが神奈川宿の中心で、滝の川の東を神奈川町、西を青木町と呼び、それに応じて滝の橋の東に神奈川本陣、西に青木本陣が置かれていたという。遊歩道の途中にその旨を記した解説パネルが設けられ、「金川砂子」に描かれた神奈川宿の様子を見ることができて興味深い。

ヘボン診療所記念碑
「滝の川と本陣跡」の解説パネルのある場所から西へ路地を入り込むと宗興寺がある。ヘボンが診療所を開いた寺として知られ、それを記念した石碑が境内に設けられている。ヘボンの診療所はすべて無料診療であったという。宗興寺の傍らの道脇には「神奈川の大井戸」と呼ばれる古井戸がある。天気が良くなる前には水量が増えるというので「お天気井戸」とも呼ばれたという。古くは神奈川御殿に宿泊する将軍のお茶にも使われたという井戸である。
滝の川河畔の遊歩道
神奈川台場跡
「神奈川宿歴史の道」は国道15号の北側を西に辿っているが、少し寄り道をして国道15号を横断し、滝の川の東岸を南へ向かう。やがて住宅や店舗などが並ぶ区画の隅に神奈川台場跡がある。神奈川台場は横浜開港直後に設けられた海防砲台のことで、当時は扇形で海に突き出していたという。幕府の命令によって伊予松山藩が工事に当たり、1859年(安政6年)に着工、翌1860年(万延元年)に完成、総工費は約七万両を要した。設計は勝海舟である。約八千坪の台場の埋め立てには、現在は幸ヶ谷公園のある権現山を削り取って用いたという。台場には14門の大砲が備えられ、礼砲用として使われた後に1899年(明治32年)に廃止されている。台場周辺は1921年(大正10年)頃から埋め立てられ、現在は石垣の一部を辛うじて残すのみで、往時の面影はない。

神奈川公園
神奈川台場跡を跡にして国道15号へと戻る。滝の橋近くの交差点の角にある公園は神奈川公園だ。関東大震災からの復興事業として整備された歴史の古い公園だが、特筆するほどの広さはない。2001年の秋に改修工事が施され、遊歩道の真新しい舗装が目立つ。季節柄、園内のケヤキなどは葉を落とし、花壇にも花はなく、少々殺風景だが、春になればまた印象も変わるだろう。風は少々冷たいが、広場の遊具では子どもたちの遊ぶ姿があった。
宮前商店街ゲート
神奈川公園横の歩道橋で国道15号の北側へ渡り、西へ辿るとすぐに宮前商店街の入口が見えてくる。商店街の歩道を「神奈川宿歴史の道」は辿っている。宮前商店街は「神奈川宿歴史の道」の中で旧東海道の面影を残す数少ない場所のひとつだ。さまざまな店が軒を並べ、食事の出来る店もいくつかあるので、散策途中の食事や一休みにもよいだろう。

「浦志満」
宮前商店街を少し進むと左手に「浦志満」という老舗らしい佇まいの菓子店がある。昔から神奈川宿の名物とされてきた「亀の甲せんべい」を今も販売している店だ。「亀の甲せんべい」は浦島伝説にあやかって亀の甲羅の形状にしたお菓子で、1717年(享保2年)に「若菜屋」が売り出したものだという。街道を行き交う旅人が買い求めたのはもちろん、参勤交代の諸大名の御用達にもなったものであるらしい。「若菜屋」は1989年(平成元年)に閉店、「浦志満」がその後を受けて「亀の甲せんべい」の味を引き継いでいるのだという。

「浦志満」
「浦志満」に立ち寄り、「亀の甲せんべい」と「神奈川せんべい」を買い求めた。「神奈川せんべい」は表面に安藤広重が「東海道五十三次」の中で描いた「神奈川宿」の絵柄をあしらったものだ。応対してくださった女性は「手伝わせて頂いている」とおっしゃっていたので「浦志満」の方ではないようだったが、「この土地に生まれ育って七十年(ご自身の談)」ということで、いろいろと面白い話も聞かせて頂いた。昔は街道沿いに並ぶ家々のすべてに井戸があったそうで、それらのほとんどは関東大震災で埋まるなどして今は無くなってしまったという。また「滝の橋」のことを「かねのはし」と呼んでおられたのも印象に残る。

店構えの写真を撮らせて頂いてもいいだろうかと訊ねると、奥で作業中のご主人にわざわざ確かめてくださった。「亀の甲せんべい」はぱりぱりとした食感とほのかな甘さの素朴なお菓子で、その素朴さが長い伝統を感じさせてくれるようでもある。昔気質のご主人はあまり宣伝をなさらないそうだが、最近は雑誌などの取材を受けられることも少なくないという。神奈川宿の面影を訪ねての散策の際には買い求めてみるとよいだろう。
追記 2011年春に宮前商店街を訪ねたとき、菓子店「浦志満」の姿がなかった。どうやら2005年(平成17年)に閉店してしまったらしい。「亀の甲せんべい」もついに途絶えてしまった。残念である。
洲崎大神
「浦志満」を後にして少し進むと、右手に洲崎大神がある。権現山を背負って神域らしく深い木立に囲まれている。州崎大神は1191年(建久2年)、源頼朝による創建という。1180年(治承4年)の石橋山の合戦で敗れた源頼朝が安房(現在の千葉県)に渡って安房神社に再起を祈願、安房神社の祭神をこの地に勧請したもとだと社伝にあるらしい。祭神は天太玉命と天比理刀売命で、江戸期には牛頭天王を合祀、古くから近隣の住民や宿場の信仰を集めている。社殿は関東大震災や戦災などで何度か焼失し、現在のものは1956年(昭和31年)の再建という。

洲崎大神
例祭は六月上旬で、「お浜下り」という神事が執り行われる。「お浜下り」は分霊の神輿を浜に担ぎ入れ、船上の安房神社本霊と見合うものだということだが、昭和5年からは神輿を海に入れることはなくなったという。そもそも現在では神社から海岸へは距離もあり、伝統通りに執り行うのも難しいのだろう。この例祭は「提灯祭り」の異名もあり、数多くの提灯が掲げられ、トラクターに曳かれた大提灯などが登場して賑わうのだという。

現在では周辺はビルの林立する市街地だが、かつてこのあたりが東海道の神奈川宿として賑わっていた当時、州崎大神の参道をわずかに南に下がると海岸で、神奈川湊として栄えた土地であった。今はその名残を探すのも難しいが、鳥居前から延びる道路が国道15号にぶつかるあたりがかつての船着き場で、横浜開港時は開港場と神奈川宿とを結ぶ要衝の港として栄えたという。

宮前商店街の北側は小高い丘になっている。かつては「権現山」と呼ばれる急峻な山だったのだという。洲崎大神から宮前商店街を少し西に進むと丘へ至る小道があり、辿って登れば「チェリーハウス」という名のコミュニティハウスの建物をくぐって幸ヶ谷公園に至る。幸ヶ谷公園は桜の名所としてよく知られているが、普段はあまり人の姿もなく静かだ。公園の北端に立つと、眼下にJRと京急の線路が通り、その向こうの丘の上に本覚寺が見える。今では鉄道の線路によって隔てられているが、本覚寺の建つ高島台の丘とこの幸ヶ谷公園の丘とは尾根続きだったのらしい。

宮前商店街に戻って西に進むと、普門寺や甚行寺といった寺がある。普門寺は横浜開港期にイギリス士官の宿舎に充てられた寺、甚行寺は開港当時にはフランス公使館として使われた寺だという。甚行寺の傍らを抜けると宮前商店街も終わり、抜け出ると京浜急行線の神奈川駅と青木橋だ。
青木橋
青木橋から東を見る
かつての旧東海道は現在の宮前商店街から台町方面へと続いていたものだが、鉄道路線によって分断されてしまった。青木橋は鉄道線路を跨いで分断された旧東海道を繋ぐ。青木橋の中ほどに立って東を見ると、右手に幸ヶ谷公園の丘が、左手には本覚寺が見える。かつては連なってひとつの尾根だったものが鉄道線路によって抉られている様子が、そこから見るとよくわかる。

京浜急行神奈川駅
青木橋の南東側の袂には京浜急行神奈川駅がある。往時の神奈川宿を彷彿とさせる意匠の駅舎が目を引く。「神奈川宿歴史の道」のコース上に位置することもあって、建て替えの際に建物の意匠が考慮されたのだという。駅前には「神奈川宿歴史の道」を解説するパネルが設置されている。

駅は小さなものだが、駅舎の意匠と、かつての神奈川宿の中心近くという立地は、「神奈川」の名を冠する唯一の駅に相応しいと言えるかもしれない。1999年(平成11年)には運輸省(現 国土交通省)関東運輸局が主催する「関東の駅百選」の第三次選定駅のひとつにもなった。名実ともに「神奈川宿歴史の道」の散策の重要な拠点のひとつと言えるだろう。
「神奈川宿歴史の道」はさらに西へは青木橋を渡って台町から高島台方面へ、東へは成仏寺や能満寺といった寺社を繋いで京急神奈川新町駅近くまで延びている。「神奈川宿歴史の道」に沿ってさらに足を延ばすのもよいだろう。桜の季節を選べば幸ヶ谷公園でのお花見を中心に据えての散策が楽しめるだろう。
神奈川宿歴史の道