横浜市緑区中山町〜青葉区市ヶ尾町
鶴見川河畔
(北八朔)
Visited in October 2001
すっきりと晴れた十月の初め、鶴見川の河畔を歩いた。今回は横浜線を中山駅で降り、中山大橋の袂から恩田川を下流に向かい、鶴見川との合流点から北へ辿って北八朔町を散策しながら青葉区の東急田園都市線市が尾駅へ向かうというコースを選んでみた。
中山駅の周辺は緑区役所の所在地でもあり、緑区の中心の町と言って良いと思うが、1999年の4月に旭区上白根町にズーラシアが開園してからはその最寄り駅として有名になった観もある。最寄り駅と言っても歩いて行ける距離ではなく、駅からバスを使うことになるが、休日になるとズーラシアに向かう家族連れなどで駅は大いに賑わう。
その中山駅を降り、北口から中山大橋を目指した。中山大橋からは恩田川の南岸を東に辿り、都橋の人道橋を渡って北岸に移り、鶴見川との合流点を目指す。この辺りの恩田川の北側一帯は青砥町で、工場が多く建ち並んでいる。多くはかつてこのあたりがまだまだのどかな田園地帯であった頃に都内から移ってきた企業であるらしい。
鶴見川と恩田川の合流点、対岸は佐江戸町で、都筑下水処理場が見えている。そこから鶴見川の河畔を北へ向かう。少し歩けば千代橋に至るが、その手前、工場群の隅に釣り堀がある。ヘラ鮒と鯉だそうで、この日も幾人かの釣り人が釣り糸を垂れている。千代橋は交通量も多く、近辺に工場が多いこともあって大型トラックなども多く通行する。そのまま道路を横切ろうかと思うのだがなかなか車の流れが途切れず、千代橋の人道橋を渡って鶴見川東岸を辿るサイクリングロードを歩いてみることにした。
サイクリングロードは「鶴見川青少年サイクリングコース」といい、鶴見川の東側の堤防上を辿っている。10キロほどの全長があるという。自転車で走りやすいように舗装され、橋の部分ではアンダーパスで通過する。自転車で行き過ぎる人、ジョギングの人、のんびりと散策を楽しむ人など、さまざまな人たちがこのサイクリングコースを利用している。千代橋から少し進むと鶴見川の西岸は住宅街に姿を変えるが、東岸は相変わらず工場が並んでいる。それらの工場がやがて少なくなり、畑が現れるようになると精進橋へ着く。
精進橋の人道橋を渡って再び鶴見川の西岸へと移動する。北八朔町だ。精進橋には「谷本川」の名がある。恩田川との合流点から上流の鶴見川はかつては谷本川と呼ばれていた。かつての谷本村を流れていたことに由来するという。今でも「谷本川」の呼称を使う人は少なくない。
谷本川の西岸を進む。小道の脇に野菜の無人販売所があった。傍らの農家のものなのだろうが、それほど人の往来が多いとは思えないこの道で、どれほどが売れるのだろう。販売所には冬瓜が一個百円で並べられ、他に米と小豆が並べられている。米は通常の粳米が500gで200円、糯米は400gで200円と値が付けられていた。道脇には小さな墓所などもあり、養豚場もあった。養豚場の横には小さな社があり、赤い鳥居が秋の青空に映えている。かつてはのどかな河畔の農村だったことをうかがわせるが、それらに混じってアパートらしい建物もあるところなどは時代の流れを感じるところだ。
小さな社の傍らの道から河畔を離れて西へ歩を進めた。周囲は水田だ。稲穂が実り、秋の日に黄金に輝いている。ところどころで刈り取りの作業が行われている。北八朔町は東部は鶴見川河畔の水田地帯、西部は丘陵地帯で、まだまだあちこちにのどかな田園の風景が残っているところだが、宅地化も進み、特に北部ではすいぶんと印象も変化しつつある。
農道を西へ歩き、水田の中を真っ直ぐに延びるバス通りを横切って進むと、緑の丘に抱かれるようにして十二神社がある。木立に囲まれた社の風情は昔ながらの里山の風情を醸している。ちょうど近くの小学校の子どもたちが先生に引率されてやってきたところだった。秋の自然を見つける、というような野外学習であるようだ。
十二神社を後にして、丘へ登る小道を見つけて入り込んでみる。小道を登り詰めて丘の上に出ても木立に遮られてあまり開放感はない。畑の脇を辿る小道は昔ながらの里山の風情を残してはいるが、周辺には住宅も多く、のどかな里山散策というわけにはいかない。下へ降りるとバス通りだ。少し北へ進むと「寒谷戸(さぶやと)」のバス停がある。谷戸へ入り込む小道を辿ってみる。谷戸には住宅が多く建っているが、その中に小さな墓所や畑などが残り、木立を縫って坂を登る小道の様子なども昔の里山の名残をとどめている。坂を上り詰めると、丘の上は住宅が多く建ち並んでいた。ひとまわりしてバス通りへと降りる。降りる途中、色付いた柿の向こうに河畔の水田が見えた。美しい初秋の風景だった。
バス通りに降りると「大池下」のバス停が近い。傍らの交差点から丘へ登る道路を少し辿ると北八朔公園があるが、今回はここからまた鶴見川の河畔へと戻った。ここからはすでに北八朔町ではなく下谷本町になる。北方には東名高速の青葉インターチェンジが迫っている。青葉インターチェンジから延びるアプローチの道路は高架で造られ、ちょうど東急田園都市線の線路の上を跨ぐように造られた料金所へと繋がり、さらに国道246号へと繋がっている。大きな曲線を描いて頭上を往く道路、そこを走る大型トラックの姿がまるでおもちゃのように見える。その巨大な構造物の姿はある意味では醜悪なものであるのかもしれないが、曲率を変えつつ本線から分岐し、あるいは合流するその姿はどこか近未来的な美しさを伴っているのも事実だ。
田園都市線の線路が鶴見川を越える横に、わずかな幅の橋が架かっている。人と人とがようやくすれ違うことのできるほどの幅で、もちろんフェンスはしっかり取り付けられてはいるものの高所恐怖症の人などはちょっと躊躇するのではないだろうか。その橋を原付のバイクで駆け抜けていった若い女性もいたのにはちょっと驚いた。
橋を渡ると、左手は青葉区役所の別館だ。交差点を渡り、市が尾駅へ向けて坂道を上る。道の途中には市ヶ尾第三公園がある。公園内のベンチに座る人の姿が見えたが、よく見ると彫像なのだった。市が尾駅前はずいぶんと賑やかだ。この辺りもこの何年かの間にかなり印象が変わってしまった観がある。1994年(平成6年)に横浜市の行政区再編成によって青葉区が誕生し、近くに青葉区役所ができたことと、東方の港北ニュータウンの存在が大きいのだろう。
鶴見川と恩田川の合流点、対岸は佐江戸町で、都筑下水処理場が見えている。そこから鶴見川の河畔を北へ向かう。少し歩けば千代橋に至るが、その手前、工場群の隅に釣り堀がある。ヘラ鮒と鯉だそうで、この日も幾人かの釣り人が釣り糸を垂れている。千代橋は交通量も多く、近辺に工場が多いこともあって大型トラックなども多く通行する。そのまま道路を横切ろうかと思うのだがなかなか車の流れが途切れず、千代橋の人道橋を渡って鶴見川東岸を辿るサイクリングロードを歩いてみることにした。
精進橋の人道橋を渡って再び鶴見川の西岸へと移動する。北八朔町だ。精進橋には「谷本川」の名がある。恩田川との合流点から上流の鶴見川はかつては谷本川と呼ばれていた。かつての谷本村を流れていたことに由来するという。今でも「谷本川」の呼称を使う人は少なくない。
農道を西へ歩き、水田の中を真っ直ぐに延びるバス通りを横切って進むと、緑の丘に抱かれるようにして十二神社がある。木立に囲まれた社の風情は昔ながらの里山の風情を醸している。ちょうど近くの小学校の子どもたちが先生に引率されてやってきたところだった。秋の自然を見つける、というような野外学習であるようだ。
橋を渡ると、左手は青葉区役所の別館だ。交差点を渡り、市が尾駅へ向けて坂道を上る。道の途中には市ヶ尾第三公園がある。公園内のベンチに座る人の姿が見えたが、よく見ると彫像なのだった。市が尾駅前はずいぶんと賑やかだ。この辺りもこの何年かの間にかなり印象が変わってしまった観がある。1994年(平成6年)に横浜市の行政区再編成によって青葉区が誕生し、近くに青葉区役所ができたことと、東方の港北ニュータウンの存在が大きいのだろう。
鶴見川西岸の北八朔町の一帯は昔から水田の広がるのどかな田園地帯だった。今はその北方には東名高速の青葉インターができて風景も一変してしまった。市が尾駅もかつては田園都市線の駅のひとつとして特筆するほどのものはなかったのだが、今では青葉区の中心地としての佇まいを見せる。それらも行政区の再編成以前はすべて緑区だった。緑区の中心である中山駅周辺から青葉区の中心の市が尾駅へ、鶴見川を辿って歩く。少しばかり時代の変遷を感じる散策コースだったかもしれない。季節柄、行く先々で金木犀の匂いに包まれての散策だった。