横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市緑区中山町〜十日市場町
恩田川河畔
(中山〜十日市場)
June 2002
恩田川河畔
六月の中旬、梅雨の晴れ間となった快晴の日に、恩田川の河畔を歩いた。すでに何度も訪ねたことのある場所ではあるが、小山町の水田の風景の中を歩きたいと思ったのだ。田植えが済んで、若い稲がようやく根付いて育ちつつある頃の水田の風景が、とても好きなのだ。
横浜線を中山駅で降りて北口から中山大橋を渡って川沿いに西へ向かう。このあたりの恩田川北岸には畑地が広がっているが、南岸は住宅地で高層の建物が並んでいる。恩田川を挟んでずいぶんと印象が違う。北岸の畑地の中にちょっとした広場が設けられ、地元の人たちがゲートボールを楽しむ姿があった。雨が続いていたので、ようやくお天気に恵まれてのゲートボールだったのだろう。

河岸の堤防の小径を歩いて、やがて小山橋へ至る。三保交差点と小山町交差点を結ぶ道路で、交通量は多い。車の切れ間を待って道路を横切り、企業の敷地の脇を進む。前方には観護寺の屋根が見えている。
恩田川河畔の水田地帯
水田地帯の横を走る横浜線
観護寺の前まで来ると、目の前に水田地帯の風景が広がる。初秋の刈り取りの時期の、黄金に輝く稲穂の景観もよいものだが、田植えの後の水を湛えた水田とそこに育つ若々しい稲の緑が織りなす風景はとても清々しい魅力がある。

水田の向こうには一段高くなって横浜線の線路が通り、歩いていると上り下りの電車を幾度となく見る。線路のさらに向こうに見えているこんもりと小高い木立は榎下城址の林だ。水田を碁盤の目のように区切って農道が縦横に延び、そこを自転車やバイクで地元の人が通り抜けてゆく。地元に暮らす人にとっては農道であると同時に生活道路でもあるのだ。水田の稲の間にはところどころで鴨の姿も見える。
恩田川河畔の水田地帯
梅田川合流点
水田の風景を楽しみながら歩くと、やがて圓光寺が間近に見えるようになり、旭谷橋で梅田川を越える。そこから道なりに進んで新良橋で恩田川を越える。恩田川の北岸を少し東へ戻って、梅田川の合流点を対岸から見てみた。これといって特徴のあるものではないが、何故か川の合流点を自分の目で確かめておきたいと思うのだ。

このあたりから西の方へ、恩田川の北岸に水田地帯が広がっている。農作業中の人の姿がある。肥料だろうか、畦道から水田に何かを撒いておられた。他にも幾人か農作業中の人を見かけたが、そのほぼすべての方々が老齢なのだった。後継の方はおられるのだろうか。後継者もなく、やがてはこの水田も稲の育たなくなる日が来るのだろうか。ときおりその風景を楽しみながら歩くだけの立場の者に、そのような心配をする資格はないのかもしれない。しかし時代の変遷と共に少しずつ水田が減ってゆくことを思うと、やはり少し寂しい。
農作業中の人
河畔から見る宝袋寺
水田の中を歩き、再び恩田川の河岸に戻った。対岸はすでに十日市場町、河岸を少し歩くと小高い丘の上に宝袋寺の建物が見え隠れするが、恩田川は緩やかに蛇行してやがて宝袋寺から遠ざかる。河岸の畑にはすでにヒマワリの咲く姿があった。

八十橋(やそはし)で恩田川を渡って、南岸の堤防道を歩く。八十橋を過ぎると恩田川北岸は青葉区さつきが丘になり、恩田川が区境となる。やがて眼前に東名高速が見えてくる。恩田川と水田とを一跨ぎにして真っ直ぐに延びる高速道路の姿が印象的だ。東名をくぐると、環状4号と呼ばれる道路へと至る。環状4号は青葉台の駅前を抜けて南下し、十日市場駅の横を過ぎて霧が丘を抜けて国道16号へと延びており、交通量も多い。環状4号へ出た時点で時刻はちょうどお昼だった。
恩田川と水田を越えてゆく東名高速
ランチをどうしようかと思いつつ、環状4号に沿って青葉台方面へと歩いてみた。少しばかり行くと、通りから少し引っ込んだところになかなか洒落た喫茶店を見つけた。喫茶がメインのお店のようだが、軽い食事も可能なようだった。店はテーブル席がふたつとカウンター席があるだけのこぢんまりとしたものだが、シックで洒落た内装が落ち着いた印象で、実はこうした店を見つけるのも、散策中の楽しみのひとつだ。

Cafe Mountain
店主はまさに「喫茶店のマスター」という風情だ。三年ほど前からここに店を出しておられるという。店名が「Mountain」というので、「山がお好きなのですか」とよくお客さんに訊かれるらしいのだが、実はマスターのお好きなロック・バンドの名が由来であるらしい。「フェリックス・パパラルディのマウンテンですか?」と訊ねると、「ご存じですか!」と驚きつつ喜んでおられた。なかなか「マウンテン」を知るお客さんには巡り会えないらしい。「Mountain」は1970年代の初期に活動していたアメリカのハード・ロック・バンドで、日本では特に人気があった。マスターはお若く見えるが、マウンテンがお好きということはそれなりの年齢なのだろう。

それをきっかけにマウンテンの音楽の魅力などについて話が弾んだ。店内に備え付けのビデオでマスターの秘蔵の映像ソフトなども見せて頂いた。散策中に偶然に飛び込んだ喫茶店で、そこのマスターとこうして昔のロック・ミュージックの話などで盛り上がるのはなかなか新鮮で楽しい経験だった。

マスターは地元の方で、このあたりが市街化する以前の様子も聞かせて頂いた。昔は店の前あたりまで水田が迫り、背後の丘は桑畑だったという。住宅や店舗などの並ぶ現在の様子からは想像もできないが、かつてはそうしたのどかな田園風景が広がっていたのに違いない。恩田川も昔はよく洪水になったという。現在の恩田川は護岸工事の施された巨大な溝のような有様だが、治水という点が最優先された結果と考えれば、その景観の無粋さを一概に責めることはできない。「昔は北門(ぼっかど)堰というのがあって、よくそこで泳いだものですよ」とマスターがおっしゃっていた。北門堰は江戸時代から流域の水田地帯の灌漑のために設けられていた堰で、現在のいぶき野の付近にあった。大正時代末期にコンクリート製の堰となったが、恩田川の改修工事と共に姿を消し、こうして昔を知る人の記憶の中に残るのみとなった。

Cafe Mountain
「Mountain」は料理もコーヒーも美味しく、ひととき楽しい時間を過ごすことができた。マスターは店の宣伝はなさらないそうだが、こちらが散策記をWEB上に公開している旨を説明し、お店のことを記すことにご了解を頂いた。最近では大手チェーンのカフェをあちこちの街角で見かけるようになったが、こだわりを持った「マスター」のいる、こうした喫茶店もまだまだ健在であることが嬉しい。一時間ほどをお店で過ごし、マスターの「お気をつけて」の声に送られながら、さらに上流へ向かっての恩田川河岸の散策に戻ったのだった。
朝の十時半頃に中山駅を出て、一時間半ほどをかけてゆっくりと恩田川河岸から小山町の水田地帯の中を歩いた。ランチタイムの後は横浜線十日市場駅や東急線青葉台駅に向かって帰路を辿ってもよかったのだが、快晴の空に誘われてさらに散策の足を延ばしたのだった。
恩田川河畔