福島県下郷町の北端部、山々に抱かれて「大内宿」がある。江戸時代に下野街道の宿場として栄え、今も往時を偲ばせる家並みが残り、観光地として人気を集める。残暑の厳しい九月初旬、大内宿を訪ねた。
大内宿
福島県下郷町の北端部近くの山中に、江戸時代を彷彿とさせる茅葺き屋根の家並みが連なる町並みがある。「大内宿」である。その美しく昔懐かしい景観が評判を呼び、毎年百万人を超える観光客が訪れるという。
大内宿
大内宿
大内は江戸時代に会津と下野(しもつけ、現在の栃木県に相当する)とを繋ぐ下野街道(会津西街道)の宿場として栄えた。江戸時代に入って徳川幕府は江戸と各地を繋ぐ五街道と、それに付属する脇往還を設けたが、下野街道もそうした「脇往還」のひとつで、会津藩の参勤交代にも使われた街道である。大内は会津の若松から約四里半(約17km)、大内の宿は宿泊のできない休憩用の宿、いわゆる「間宿(あいのしゅく)」のひとつであったらしい。

1884年(明治17年)、当時の福島県令であった三島通庸の主導により、いわゆる「会津三方道路」が竣工する。このうちの会津から日光方面へと向かうルートが、大川(阿賀川ともいう、阿賀野川の本川上流部)沿いに新たに整備される。現在の国道121号に当たるルートだ。これによって、下野街道のうち、若松から関山宿を経て大内宿、倉谷宿と辿るルートが新ルートから外れることになってしまった。この変化は大きく、大内も関山も倉谷も、かつて栄えた宿場町から一山村へと衰退してゆくことになる。
大内宿
大内宿
大内宿
主要道から外れて衰退し、日本の近代化の波からも取り残された大内の宿は、皮肉にもそのことによって奇跡的に古い時代の町並みがそのまま残されることになる。その歴史的価値、学術的価値が評価され始めたのは1960年代も終わりを迎える頃だったという。大内宿の町並みの価値に気付き、調査を始めたのは外部の研究者たちだった。しかし大内に暮らす人たちにとっては、茅葺き屋根の家並みは時代に取り残されて近代化も果たせない貧しい村の象徴でしかなかった。保存を望む研究者たちの声をよそに、住民たちは家屋の増改築や茅葺き屋根の葺き替え、あるいは茅葺きをトタンで覆うなどして、近代化を目指したという。

1981年(昭和56年)、大内宿はその家並みの歴史的価値、学術的価値が認められ、「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。宿場町として選定されたのは長野県南木曽町の妻籠宿、長野県塩尻市の奈良井宿に次いで全国で三番目だった。これが地元の意識を大きく変えることになった。無理もないことだったろう。これまで貧しさ故に旧態を残し、恥ずべきものと思われていた町並みが、いわば“国の宝”だと認められたのだ。
大内宿
大内宿
大内宿
これを機に、地元では大内宿の復元、保存へと動き出す。「大内宿保存会」が設立されて住民による保存活動が始まり、旧街道に沿って道路が新設され、観光用駐車場も新設、旧街道はアスファルトが撤去されて土の道が復活、無電柱化の工事も行われた。旧宿場町の景観を取り戻すため、失われていた茅葺き屋根の復元や、葺き替え技術の伝承も始まった。

そうした活動が実を結び、1992年度(平成4年度)に行われた第1回「美しい日本のむら景観コンテスト」に於いて大内宿の「会津宿場町の雪まつり」が農林水産大臣賞を受賞、1996年(平成8年)には文化庁による「歴史の道百選」に大内宿を含む「下野街道」が、さらに同年、環境省による「日本の音風景100選」に「大内宿の自然用水」が選定される。2004年(平成16年)には社団法人日本ウオーキング協会による「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に「下野街道・大内宿をたどるみち」が選定され、国道交通省による「手づくり郷土(ふるさと)賞」では2005年度(平成17年度)に大内宿が大賞を受賞する。

そうした中で大内宿は古き佳き日本の風景を残す宿場町として知名度を高めてゆき、観光客も増加の一途を辿る。2006年(平成18年)に国土交通省が公表した「地域いきいき観光まちづくり-100-」の資料よれば、大内宿と湯野上温泉への観光客数は1985年(昭和60年)には約2万人、20年後の2005年(平成17年)には約80万人を数えたそうだ。現在、大内宿を訪れる観光客は年間100万人を超えるという。今や、南会津のみならず、福島県を代表する観光地のひとつと言ってもいい。
大内宿
大内宿
大内宿
大内宿
大内宿の町並みに足を踏み入れると、古い時代の風景の中に迷い込んでしまったような錯覚を覚える、と言っても過言ではない。未舗装の道の両脇には用水が走り、その外側に茅葺き屋根の家屋や土蔵などが建ち並ぶ。用水は江戸時代には街道の中央にあったが、明治になって脇に移設されたものらしい。旧街道は車両進入禁止、電柱はもちろん、無粋な道路標識などもない。茅葺き屋根の向こうに見えるのは緑の山々と青い空だけ。ビルなどの近代的な建物は視界に入らない。もちろんすべての家屋が茅葺き屋根というわけではないし、近代的な建造物が皆無というわけでもないが、その風景は古い時代の有り様を彷彿とさせ、その情緒を堪能するには充分だと言っていい。その中を多くの観光客が行き交う様子も、かつての宿場の賑わいを思い起こさせるものかもしれない。

旧街道沿いに建ち並ぶ家々のほとんどは蕎麦屋や土産物店などだ。観光地として知名度を得て多くの観光客を迎えるようになり、大内に暮らす人たちのほとんどは観光業で生計を立てるようになったという。“ネギ1本で食べる”という「ねぎそば」が有名で、「ねぎそば」を扱う店には客が絶えないようだ。もちろん箸で食する通常の蕎麦もある。色鮮やかな民芸品風の土産物が並ぶ様子も楽しい。おそらく今も住まいとして使っていると思われる家屋の縁側で、自家製の餅や農産物などを販売しているところもある。そんな様子を楽しみながら歩けば、大内宿の魅力を存分に味わうことができる。
大内宿
旧街道の北端部から丘の斜面へと上ってゆくと子安観音が祀られており、その横を抜けてさらに上ったところに見晴台が設けられている。この見晴台から俯瞰する大内宿の風景は、おそらく最もよく知られた大内宿の風景ではないだろうか。緩やかな曲線を描いて南北に延びる旧街道、その両脇に茅葺き屋根が幾重にも重なって連なっている。その向こうにはさらに緑濃い山々が重畳する。その美しい風景は大内宿を象徴するものだ。大内宿を訪ねたなら、必ずこの見晴台からの眺望を楽しんでおかなくてはいけない。
大内宿
大内宿
観光客で賑わう旧街道のほぼ中間点辺りから、西へ道が延びている。道の入口には鳥居がある。道を辿っていった先に高倉神社が祀られており、この道はその参道なのだ。鳥居をくぐって西へ向かうと旧街道の賑わいが嘘のように静かな風景が広がっている。山々に抱かれるようにして平地が横たわり、その中に道が真っ直ぐに伸びている。平地は田畑だが、耕作されている様子はない。道の右手には下郷町立江川小学校大内分校跡がある。江川小学校大内分校は2005年(平成17年)に廃校になった。今(2014年)も校舎や校庭、校庭の鉄棒やブランコなどが往時のままに残っている。学校跡のさらに西、こんもりと木々が茂ったところがあり、鳥居がある。高倉神社だ。高倉神社まで足を延ばしてみるのもいいかもしれない。大内宿を訪れた観光客のほとんどは、この道へ足を踏み入れることはないようだが、大内という土地を知るためには、やはりこうした風景にも目を向けておきたい。
大内宿
大内宿
大内宿は「観光地」だ。奇跡的に残されてきた古い町割りや茅葺き屋根の家屋を再生復元し、観光地としての魅力創出のためにさまざまな努力と工夫を重ねて造り上げられたものだ。“人々の暮らしと共に今も昔の佇まいを残し続ける集落”というのではない。そこには“人々の暮らしの匂い”はほとんど感じられない。そのために一種のテーマパーク的に“演出された”雰囲気も感じられ、素朴な味わいを求めて訪れると少々興醒めに感じる部分もないわけではない。

しかし、旧街道沿いの家並みはたいへんに美しく、景勝としての魅力に溢れている。景観の美しさを堪能しつつ、観光客で賑わう様子も楽しみながらのんびりと旧街道を歩くのがお勧めだろう。この景観、この空気の中に身を置くだけでも、大内宿を訪れる“甲斐がある”と言っていい。素晴らしいところである。
参考情報
交通
大内宿の鉄道の最寄り駅は会津鉄道の湯野上温泉駅だが、駅から数キロの距離があり、駅からは乗り合いバスや福島交通の観光路線バスなどを利用しなくてはならない。

大内宿入口脇の県道131号沿いに観光客用の駐車場が用意されており、車での来訪が便利だ。駐車場は複数が用意されており、規模も大きいが、それでも行楽シーズンの休日には駐車場の空き待ちを強いられることもあるようだ。

大内宿に車で訪れる場合は東北自動車道白河ICや須賀川IC、磐越自動車道会津若松ICなどを利用するのが便利だ。東北自動車道白河ICからは国道289号(甲子道路)を西進して国道121号を北上、県道131号へ逸れればいい。白河ICから50kmほどだ。東北自動車道須賀川ICからは国道118号を西進、国道121号を南下してすぐに県道131号へ逸れる。60km弱といったところだ。磐越自動車道会津若松ICからは会津若松市の市街地を抜けて国道118号から国道121号へと辿って南下、県道131号へ逸れて30kmを少し超える距離だ。

飲食
大内宿の中には複数の飲食店が営業している。下郷町は蕎麦の産地なので、ほとんどは蕎麦屋だ。有名な「ねぎ蕎麦」などを楽しむのもよいものだろう。

大内宿を離れると周辺の県道131号沿いに飲食店はまったく無い。

周辺
大内宿から県道131号を南下、国道121号へと戻り、南へ辿れば「塔のへつり」だ。大内宿から塔のへつりまで10kmほどだ。
町散歩
福島散歩