鹿児島県鹿屋市、中心市街地の西方、大隅半島のほぼ中央部辺りに海上自衛隊鹿屋航空基地がある。
ここはそもそもは1936年(昭和11年)に鹿屋海軍航空隊が開隊した鹿屋基地が前身である。それから1945年(昭和20年)の終戦まで、海軍の航空基地として使われていた。特に1945年(昭和20年)2月からは第5航空艦隊司令部が置かれ、いわゆる特攻作戦が行われた。828名の若者が出撃したという。終戦後、1950年(昭和25年)に警察予備隊の鹿屋駐屯部隊が開隊、1954年(昭和29年)には海上自衛隊鹿屋航空隊に改称、以後、航空隊の新編や統合などを経て現在に至っている。
その海上自衛隊鹿屋航空基地に史料館が併設されている。海軍と鹿屋基地の歴史資料、海軍特別攻撃隊に関する資料、さらに現在の海上自衛隊航空部隊の歴史や活動状況といった内容が展示された施設だ。史料館の公式サイトによれば「旧海軍航空の興亡の軌跡及び戦後の海上自衛隊の歩みとその中で活躍する隊員の姿を伝えることにより、国を守ることの意味を理解してもらうため」に開設されたものだそうだ。
ここはそもそもは1936年(昭和11年)に鹿屋海軍航空隊が開隊した鹿屋基地が前身である。それから1945年(昭和20年)の終戦まで、海軍の航空基地として使われていた。特に1945年(昭和20年)2月からは第5航空艦隊司令部が置かれ、いわゆる特攻作戦が行われた。828名の若者が出撃したという。終戦後、1950年(昭和25年)に警察予備隊の鹿屋駐屯部隊が開隊、1954年(昭和29年)には海上自衛隊鹿屋航空隊に改称、以後、航空隊の新編や統合などを経て現在に至っている。
その海上自衛隊鹿屋航空基地に史料館が併設されている。海軍と鹿屋基地の歴史資料、海軍特別攻撃隊に関する資料、さらに現在の海上自衛隊航空部隊の歴史や活動状況といった内容が展示された施設だ。史料館の公式サイトによれば「旧海軍航空の興亡の軌跡及び戦後の海上自衛隊の歩みとその中で活躍する隊員の姿を伝えることにより、国を守ることの意味を理解してもらうため」に開設されたものだそうだ。