神奈川県平塚市のほぼ中心、JR東海道線平塚駅から北に2kmほど離れたところに平塚市の総合公園が設けられている。30ha超という広大な敷地を有した規模の大きな公園だ。「総合」の名が意味するように、広い園内には競技場や野球場、体育館、テニスコートなどの運動施設を備え、さらに日本庭園や広場、各種の遊具や水遊び場などの子どもたちのための施設、さらには規模は小さいながらも動物園まで設けられている。園内には約230種、10万本の木々が植えられているとのことで、梅や桜、バラ、紫陽花など、四季折々の花々を楽しむこともでき、たいへんに充実した公園だと言っていい。
この場所には、もともとは農林省果樹試験場があった。農林省果樹試験場は1902年(明治35年)に農商務省農事試験場園芸部として発足、当時は静岡県庵原郡興津町(現在の静岡県静岡市清水区興津中町)にあった。1921年(大正10年)に農林省園芸試験場として独立した後、1947年(昭和22年)に神奈川県中郡大野町(現在の平塚市)へ移転した。1973年(昭和48年)には園芸試験場から蔬菜(そさい)・花卉(かき)部門が分離され、果樹試験場が発足した。その4年後の1977年(昭和52年)、果樹試験場の本場が茨城県筑波郡谷田部町(現在のつくば市)筑波研究学園都市へ移転、その跡地に平塚市の総合公園が設けられたというわけだ。
この場所には、もともとは農林省果樹試験場があった。農林省果樹試験場は1902年(明治35年)に農商務省農事試験場園芸部として発足、当時は静岡県庵原郡興津町(現在の静岡県静岡市清水区興津中町)にあった。1921年(大正10年)に農林省園芸試験場として独立した後、1947年(昭和22年)に神奈川県中郡大野町(現在の平塚市)へ移転した。1973年(昭和48年)には園芸試験場から蔬菜(そさい)・花卉(かき)部門が分離され、果樹試験場が発足した。その4年後の1977年(昭和52年)、果樹試験場の本場が茨城県筑波郡谷田部町(現在のつくば市)筑波研究学園都市へ移転、その跡地に平塚市の総合公園が設けられたというわけだ。