「田浦梅の里」は、そもそもは1934年(昭和9年)、当時の皇太子明仁親王のご生誕を記念し、山の所有者である石川金蔵氏を中心にした地元の人たち36名によって梅林組合がつくられ、大六天神社の鎮座する田浦泉町の山林、六反歩(約6,000平方メートル)に700本の梅を植樹し、「田浦梅林」と称したことが始まりという。
1976年(昭和51年)、田浦在住で川村学園大学教授であった石川宏氏から「田浦梅林」周辺の山林緑地337,000平方メートルが横須賀市に寄付される。これを受け、市は周辺の山林をさらに購入、千本の梅を植栽するなどして、市制70周年記念事業として野外レクリエーション施設を整備、1982年(昭和57年)に「田浦緑地」として開園した。これによって田浦泉町に隣接する田浦大作町にも梅林が拡大、従来の「田浦梅林」と「田浦緑地」とを総称して「田浦梅の里」と呼ばれることになる。