東日本旅客鉄道(JR東日本)横須賀線の横須賀駅が開業したのは1889年(明治22年)のことだ。当時の横須賀は軍港を抱える重要な軍港都市だったが、人員や物資の輸送は横浜とを繋ぐ船便に頼っており、鉄道の敷設は軍の求めるところだったようだ。1886年(明治19年)に軍から請議書が提出されたのを受けて、翌年から測量が始まり、1888年(明治21年)初頭には起工、一年半ほどの工事期間を経て1889年(明治22年)6月、大船から鎌倉、逗子を経て横須賀へと延びる路線が開通している(「横須賀線」の名称が設定されたのは1909年(明治42年)のことらしい)。軍は観音崎付近までの路線を要望したようだが、費用や用地確保などの問題で実現できず、現在の横須賀駅が終着駅となったものという。
開業以来、軍港に直結した駅として人員や物資の輸送に大きな役割を果たした駅だった。往時は港への引き込み線もあったそうだ。戦後、横須賀港が米軍横須賀基地となってからも、しばらくの期間は物資輸送を担っていたという。1960年代半ばからは自動車輸送基地としても使われていたようだが、しかしやがて時代の変遷と共に鉄道による貨物輸送そのものが衰退、横須賀駅も貨物駅としての役目を終える。自動車輸送基地も1980年(昭和55年)に閉鎖、1984年(昭和59年)には貨物の取り扱いが廃止されている。かつては広大な敷地の操車場があったそうだが、その大部分は公共施設や高層住宅などの敷地として転用され、現在はわずかな留置線などを残すのみだ。
開業以来、軍港に直結した駅として人員や物資の輸送に大きな役割を果たした駅だった。往時は港への引き込み線もあったそうだ。戦後、横須賀港が米軍横須賀基地となってからも、しばらくの期間は物資輸送を担っていたという。1960年代半ばからは自動車輸送基地としても使われていたようだが、しかしやがて時代の変遷と共に鉄道による貨物輸送そのものが衰退、横須賀駅も貨物駅としての役目を終える。自動車輸送基地も1980年(昭和55年)に閉鎖、1984年(昭和59年)には貨物の取り扱いが廃止されている。かつては広大な敷地の操車場があったそうだが、その大部分は公共施設や高層住宅などの敷地として転用され、現在はわずかな留置線などを残すのみだ。