この土地はかつては砂利ばかりの土壌に草の生い茂る河岸の荒れ地だったという。大王わさび農場の創業者である深澤勇市氏は、その土地に安曇野の豊富な湧水を利用したわさび畑の開拓を着想する。大正初期のことだそうだ。2年の歳月をかけて土地を取得し、そこへわさび栽培の畑を開拓した。一連の開拓が終わったのは1935年(昭和10年)のことで、土地の取得を開始してから20年の歳月を要した。その6年後の1941年(昭和16年)、深澤勇市氏は55年の生涯を終えている。
その後、さらにわさび畑が拡大され、1976年(昭和51年)には売店が、1982年(昭和57年)にはレストランが、農場内に造られている。推測だが、大王わさび農場が単なる“わさび栽培農場”から“観光地”として認知されるようになったのがこの頃ではないだろうか。1970年代中頃から1980年代にかけての時期、いわゆる“アンノン族”と呼ばれる若い女性たちの(当時としては)新しいスタイルの旅が脚光を浴びた。安曇野は“アンノン族”に人気の観光地のひとつだったから、その中で大王わさび農場も観光地としてのスタンスが確立されていったのかもしれない。
現在の大王わさび農場は名実共に安曇野を代表する観光地のひとつだ。年間120万人ほどの人々が訪れるという。1989年(平成元年)には水車小屋の建つ蓼川(たでがわ)の岸辺が黒澤明監督作品「夢」の舞台となり、さらに2011年(平成23年)4月から六ヶ月間放送されたNHKの連続テレビ小説「おひさま」のロケ地としても蓼川の岸辺が使われ、それらの作品中に登場した風景を求めて訪れる人も少なくないようだ。