鎌北湖は1929年(昭和4年)に着工し、1935年(昭和10年)に完成したものという。1929年(昭和4年)に起きた世界恐慌の影響で不況に陥った農村の振興策として、雇用対策も兼ねた事業だったらしいが、資金難などの問題もあって完成まで6年を要したということのようだ。造られた当時、この辺りが山根村だったことから正式呼称は山根溜池といい、一般には山根貯水池と呼ばれたと、現地に設置された解説パネルに記されている。鎌北湖という呼称は戦後になって毛呂山町観光協会が使用し、それが定着したものらしい。
川を堰き止めて造られた湖であるから、谷筋に延びた湖の輪郭は複雑な形状をしている。堤体上から眺めると右手には西へと延びる谷の奥へと水面が広がり、左手には南へ入り込んだ谷筋が水を湛えている。両者を分ける尾根がまるで島のようにも見える。湖を囲む山々は鬱蒼とした木々に覆われ、山々の稜線は湖の奥へと重畳し、穏やかな水面がその緑を映す。それらが互いに相乗して美しい景観を織り成している。