ここにはかつて多摩川園という小さな遊園地があった。多摩川園は東急の前身企業によって造られ、1925年(大正14年)に開園、メリーゴーラウンドやお化け屋敷などの遊戯施設を設けて人気を集めたという。戦前戦後には経営主体が変わり、それに伴って遊園地の性格そのものも変わった時期があったようだが、やがて東急の経営となり、高度成長期には観覧車や小規模のジェットコースター、サル山なども設置され、多くの来園者を迎えて賑わったらしい。しかし、1970年代以降になるとその人気にも翳りが見え始め、来園者数は減少の一途を辿る。世相も変わり、レジャーが多様化し、こうした小規模の遊園地は集客力を失っていったのだ。多摩川園がその歴史を閉じたのは1979年(昭和54年)のことだ。閉園の際には多摩川園の閉園を惜しむ来園者で大いに賑わったという。
多摩川園が閉園した後、跡地は東急経営による多摩川ラケットクラブというテニスクラブに生まれ変わった。田園調布という土地柄もあって、なかなかの高級テニスクラブだったそうだ。しかしこれもバブル崩壊と共に経営が行き詰まり、2000年(平成12年)に閉鎖されてしまう。その跡地を、紆余曲折の末に大田区が取得、公園として整備して開園したのが現在の「田園調布せせらぎ公園」だ。「田園調布せせらぎ公園」の名は2004年(平成16年)に大田区が公募によって決定、公園が正式に開園したのは2008年(平成20年)のことだ。
ちなみに東急線の多摩川駅は東急の前身企業のひとつである目黒蒲田電鉄の開通と共に1923年(大正12年)に開業、1926年(大正15年)に「丸子多摩川駅」に改称、さらに多摩川園開園から6年後の1931年(昭和6年)に「多摩川園前駅」に改称されている。1977年(昭和52年)には駅名が「多摩川園駅」に改称されたが、長く駅名の由来となっていた多摩川園はそれから間もない1979年(昭和54年)に閉園、やがて2000年(平成12年)、開業時の駅名と同じ「多摩川駅」へと改称されている。駅名の変遷にも歴史の流れというものが感じられて興味深い。