行政上の町名としての「かっぱ橋」は存在しないが、「かっぱ橋道具街通り」のほぼ中央に「合羽橋」という交差点があるから、“地名”としては存在すると言っていいのだろう。漢字で書けば“合羽橋”で、“河童橋”ではない。しかし、そもそもなぜ「かっぱ」なのか。由来には二つの説があるという。
そのひとつは、現在の金竜小学校(「かっぱ橋道具街通り」と「言問通り」との「金竜小前」交差点の北東側の角にある)の辺りに、かつて伊予新谷の城主、加藤家の下屋敷があり、そこに住む侍や足軽が内職で作った雨合羽を近くの橋にかけて乾かしたことから「合羽橋」と呼ばれるようになったというものだ。
もうひとつの説はもう少し夢がある。昔、この辺りは水はけが悪く、度々水が出て被害があったという。そこで合羽屋喜八という商人が私財を投じて治水のための堀割工事を始めたのだが、なかなかの難工事でいっこうにはかどらない。かつて喜八に助けられたことのある隅田川の河童たちがその様子を見て夜な夜な現れては工事を手伝い、それによって工事は無事完成したというのである。文化年間(1800年代初期)のことで、この工事で造られた堀割は現在は暗渠になっている。この時に河童たちを目撃した者は不思議に商売が繁盛したともいい、この故事にちなんで「合羽橋」としたというのだ。
どちらの由来が正しいのかどうか、検証するのも無粋というものだろう。あるいはどちらも正しいのかもしれない。果たして本当に治水工事を河童が手伝ったのかどうかも、もはや歴史の彼方だ。