東京都世田谷区の北西部、粕谷一丁目の町に位置して「蘆花恒春園」という都立の公園がある。蘆花恒春園は明治から大正期にかけて活動した小説家、徳冨蘆花が晩年を過ごした旧邸跡とその周辺を公園として整備、公開しているものだ。
徳冨蘆花は1907年(明治40年)2月まで青山高樹町で借家住まいをしていたそうだが、土に親しむ生活をしたいと、武蔵野の豊かな自然が広がる、この地に移り住んだ。蘆花が40歳の時だったそうだ。以後、1927年(昭和2年)に療養先の伊香保で亡くなるまで、蘆花はここに暮らした。蘆花が亡くなって10年後、この地の旧邸すべてが愛子夫人から当時の東京市に寄付された。それを受けて市は旧邸地を「蘆花恒春園」と名付けて保存、周辺を公園として整備し、1938年(昭和13年)に開園、一般公開を開始している。
徳冨蘆花は1907年(明治40年)2月まで青山高樹町で借家住まいをしていたそうだが、土に親しむ生活をしたいと、武蔵野の豊かな自然が広がる、この地に移り住んだ。蘆花が40歳の時だったそうだ。以後、1927年(昭和2年)に療養先の伊香保で亡くなるまで、蘆花はここに暮らした。蘆花が亡くなって10年後、この地の旧邸すべてが愛子夫人から当時の東京市に寄付された。それを受けて市は旧邸地を「蘆花恒春園」と名付けて保存、周辺を公園として整備し、1938年(昭和13年)に開園、一般公開を開始している。