東京都国分寺市の南部、国分寺崖線からの湧水を集めた池がある。「真姿の池」という。付近は湧水の多いところで、「真姿の池湧水群」の名で知られる。また湧水の流れに沿って散策路も整備され、「お鷹の道」と呼ばれている。新緑眩しい四月の下旬、「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」を訪ねた。
真姿の池
東京都武蔵村山市から東南の方角へ延び、国分寺市南部から世田谷区へ抜け、さらに大田区の田園調布へ至る崖線がある。遙かな昔に武蔵野台地が多摩川の流れによって削られた河岸段丘の跡だという。この崖線を「国分寺崖線」という。数メートル程度の高低差しかない崖線だが、各所で多くの湧水を生む。そのひとつが「真姿の池」とその周辺の湧水群、すなわち「真姿の池湧水群」である。
真姿の池
「真姿の池」とは何とも趣のある名だが、その由来は遠く平安時代にまで遡る。「真姿の池」脇に設置された東京都教育委員会の解説板によれば、848年(嘉祥元年)、不治の病に冒された玉造小町という女が病気平癒祈願のために国分寺に参詣すると、二十一日目に一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるように告げた。その通りにすると薬師如来の霊験か、たちどころに病気が癒え、元の美しい姿に戻ったという。それから人々がこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったというのだ。
真姿の池
真姿の池付近
「真姿の池」は鬱蒼とした雑木林の中に抱かれるようにひっそりと水を湛えている。周辺には国分寺市の住宅街が広がる土地柄だが、しっとりとした空気と静けさに包まれて「真姿の池」の周辺はまるで別世界という印象だ。池の中央には小さな島があり、弁財天を祀った祠がある。昔から湧水の恵みを受けてきた人々が祀ったものだろう。島へは小橋が架かっており、その入口には鳥居がある。鳥居と橋の欄干の赤い色が緑深い風景の中にアクセントを添えている。池の水はたいへんに澄んでおり、その中に鯉が泳いでいる。滴るような緑の中、鳥の声を聞きながら池の様子を眺めていると時の経つのを忘れる。
お鷹の道
「真姿の池」横の小径を十メートルほど南へ辿ると、小川に沿った小径が東西に延びている。「お鷹の道」だ。江戸時代、1748年(寛延元年)から1867年(慶応3年)まで、この辺りの村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたという。そのことから、湧水を集めて流れる小川沿いの小径が「お鷹の道」と呼ばれるようになったものらしい。1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて国分寺市が遊歩道として整備し、現在は「真姿の池」と共に国分寺市の名所として知られている。
お鷹の道
お鷹の道
お鷹の道
「お鷹の道」は国分寺崖線の南側を東西に延びる。遊歩道として整備されているのは350メートルほどだ。地図にも載らないほどの細道で、湧水を集めた小川に沿って続いている。小径の北側は崖線に沿った緑地で、「真姿の池」もその緑地内に位置している。南側は基本的に住宅街で、区間によっては家々のすぐ脇を抜けてゆくところもあるが、一帯は木々が茂って緑濃く、静かな佇まいを見せている。「真姿の池」から東側は家々の隙間を縫うように抜けてゆき、西側は周辺に緑地などが多くなるようだ。西側の一角にはベンチなどを設けた部分もあり、近くの人なのか、ベンチでお弁当を食べている人の姿もあった。

今回「お鷹の道」を訪れたのは四月の下旬だったが、小径沿いではシャガやカラーの花が咲いていた。シャガは西側で、カラーは東側で、多く見ることができるようだ。シャガはアヤメ科の植物で、四月下旬から五月上旬に薄紫の花を咲かせる。カラーはサトイモ科の植物で、四月下旬から六月頃にかけて花を咲かせる。花の形が「襟(カラー)」に似ているのでこの名があるが、実は「襟」のように見える部分は花弁ではなく、中央部の黄色い軸のようなところが花である。このカラーの花は「お鷹の道」の“名物”のひとつであるらしい。
国分寺
楼門
仁王門
薬師堂
「お鷹の道」の西端部辺りには国分寺が建っており、楼門や仁王門といった貴重な建築物を見ることができる。「お鷹の道」の散策に訪れたときにはこれらも併せて見ておきたい。

現在も残る国分寺は、焼失したかつての武蔵国分寺が江戸時代の社寺保護政策によって復興されたものという。本堂は1733年(享保18年)に建立されたそうだが、現在のものは1987年(昭和62年)に改築されたものという。国分寺境内には国分寺市の天然記念物に指定されている「万葉植物園」がある。その名が示すように「万葉集」が編纂された時代の歌人たちが好んで歌に詠んだ植物が集められている。国分寺市教育委員会の解説によれば、国分寺元住職の星野亮勝氏によって1950年(昭和25年)に計画され、1963年(昭和38年)までの十三年をかけて採集されたものという。植物に興味のある人、「万葉集」に興味のある人はぜひ見ておきたいところだろう。

国分寺の門前に堂々と建っているのが楼門だ。元々は米津出羽守田盛の元菩提寺として建立された米津寺の楼門だったものを1895年(明治28年)に移築したものという。国分寺市指定重宝である。周辺には同じく国分寺指定重宝の仁王門や薬師堂も建っている。仁王門は宝暦年間(1751年〜1763年)に建立されたもの、薬師堂は1335年(建武2年)に新田義貞の寄進によって国分僧寺の金堂跡付近に建てられたと伝えられているそうで、宝暦年間に現在地に再建されたものという。薬師堂には平安時代末期から鎌倉時代初期の頃に制作されたという木造薬師如来坐像が安置されており、この薬師如来坐像は国指定重要文化財になっている。

「万葉植物園」も「楼門」、「仁王門」、「薬師堂」も、国分寺市教育委員会による解説を記した案内板が設けられている。訪れたときには目を通しておきたい。
武蔵国分寺跡
国分寺の建造物群のある一角の少し南には武蔵国分寺跡がある。奈良時代中期、仏教の力を借りて国を統治しようと考えた聖武天皇が諸国に建立した国分寺のうちのひとつが、武蔵国分寺だ。武蔵国分寺は他の国分寺に比べても規模が大きいという。その歴史的価値から1922年(大正11年)に国の史跡に指定されている。現在の武蔵国分寺跡は公園のように整備され、草はらの広場になっている。その隅に「史跡 武蔵国分寺址」と刻まれた石碑が建っている。普段は地元の人たちの憩いの場として長閑な風景を見せるところだが、壮大な伽藍が建っていた遙かな昔に思いを馳せながら歩いてみるのも楽しい。
お鷹の道と真姿の池湧水群
お鷹の道と真姿の池湧水群
「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」は、その周辺環境の良さなどが認められ、「お鷹の道・真姿の池湧水群」として環境庁(現環境省)が選定した「名水百選」のひとつに選定されており、さらに東京都の名水57選のひとつにも選定されている。また「真姿の池湧水群」は東京都指定名勝でもある。「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」はふたつでひとつと言ってもいいほど切り離せない関係で、まさに国分寺市の誇る名所のひとつである。

訪れたときには湧水の見せる涼やかな風景と、その周辺の緑濃い風景、小川に沿った小径の風情、そこに咲く花などを存分に楽しむのがお薦めだ。少し足を延ばして国分寺の建造物群や武蔵国分寺跡も併せて訪ねてみると、より楽しめる。
参考情報
交通
「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」へはJR中央線西国分寺駅、JR武蔵野線西国分寺駅、あるいはJR中央線国分寺駅、西武国分寺線国分寺駅、西部多摩湖線国分寺駅が近い。西国分寺駅からも国分寺駅からも徒歩で十数分といったところだが、強いて言えば西国分寺駅からの方が近いか。「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」はJR中央線の南側に位置し、西国分寺駅からは東南の方角、国分寺駅からは西南の方角に位置している。

「お鷹の道」と「真姿の池湧水群」には来訪者用の駐車場は用意されていない。車で来訪したときには国分寺駅や西国分寺駅周辺の民間駐車場に車を駐めておくといい。

飲食
「お鷹の道」周辺は基本的に住宅街で、飲食店などはない。飲食店を利用したいときには駅周辺へ戻ればいい。

お弁当持参のときには「お鷹の道」の途中に設置されたベンチを利用してもいいが、北側に隣接する武蔵国分寺公園や南西側に位置する武蔵国分寺跡に設けられた公園などを利用するのもお薦めだ。

周辺
「真姿の池湧水群」のすぐ北側には隣接するように武蔵国分寺公園がある。国分寺駅の東南側には殿ヶ谷戸庭園がある。散策の足を延ばすのもいい。

西国分寺駅からまず武蔵国分寺跡を目指し、そこから国分寺の建造物群を楽しみつつ「お鷹の道」へと歩を進め、「真姿の池」に立ち寄り、武蔵国分寺公園でアウトドアランチ、「お鷹の道」へ戻って東へ抜けたらそのまま殿ヶ谷戸庭園を目指し、国分寺駅から帰路を辿る、というコースを、お薦めのモデルコースとしておきたい。
水景散歩
東京多摩散歩