横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市中区山手町
−元町公園−
エリスマン邸
Visited in May 2012
エリスマン邸
元町公園の敷地内の一角、山手本通りに面してエリスマン邸という洋館が建っている。緑の木立に囲まれて建つ風情も美しく、山手散策を楽しむ観光客を集めている。エリスマン邸はその名が示すようにそもそもはスイス人貿易商エリスマンの私邸として1926年(大正15年)に建てられたものだという。フリッツ・エリスマンはチューリッヒ生まれで、1888年(明治21年)に来日、戦前最大と言われる生糸貿易商シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した人物として知られる。エリスマンは1940年(昭和15年)に亡くなり、今は横浜の外国人墓地に眠っている。

エリスマン邸
エリスマン邸を設計したのは「日本現代建築の父」とも呼ばれるアントニン・レーモンドだ。レーモンドは1888年にチェコに生まれ、後にアメリカ国籍を取得、世界的建築家であるフランク・ロイド・ライトに師事した。1919年(大正8年)、旧帝国ホテルの建築の際にフランク・ロイド・ライトの助手として来日、第二次世界大戦中には一時帰国したものの戦後再び来日、その活躍の舞台を主に日本に求めた。東京女子大学本館、東京女子大学礼拝堂、軽井沢夏の家、イタリア大使館山荘、旧東京ゴルフ倶楽部、札幌聖ミカエル教会、リーダーズダイジェスト東京支社など、日本全国に数々の作品を残し、横浜ではライジングサン石油社宅やスタンダード石油社宅などがよく知られている。日本近代建築に於けるレーモンドの功績の大きさは計り知れず、彼のもとからは吉村順三や前川國男といった高名な建築家が育っている。1973年(昭和48年)にレーモンドは日本を離れ、1976年、ニューホープで他界している。88年の生涯だった。
エリスマン邸
エリスマン邸は1925年(大正14年)から翌1926年(大正15年)にかけてエリスマンの私邸として山手町127番地に建てられた。その後は戦災も免れ、所有者が転々としながらもその姿を保ち続けてきたという。1982年(昭和57年)に集合住宅建設のために解体されたが、その歴史的価値が高く評価され、当時の所有者から横浜市が譲り受けた。それを1990年(平成2年)に元町公園内に移築復元したものが現在の「エリスマン邸」だ。解体前には和館が併設されていたということだが、移築復元の際には省略され、現在は洋館部分のみの美しい姿が公開されている。

エリスマン邸を設計した当時のレーモンドは、師であったライトのもとから独立して間もない頃で、細部にはまだライトの影響が見られつつも、後のレーモンドの作風を感じさせるものだという。その簡潔で清涼なイメージはレーモンドの作品の持ち味とも言えるもので、横浜に残る他の洋館群とは少々異なる風情を醸している。
エリスマン邸
有料の企画展示などを除いて、エリスマン邸は無料で自由に見学できる。館内は整然とまとめられ、室内の様子や調度品の数々を見てゆくのは楽しく飽きない。館内にはダイニングテーブルや六角形のテーブルなどが置かれているが、これは過去にレーモンドが設計した調度品類を復刻したものという。かつてエリスマンがこの家に暮らした時にどのような家具類が使われていたのかは詳しくわかっていないということだが、展示されているエリスマン邸の内部の様子から往時の暮らしぶりを思い描くことは困難なことではない。庭に面して広く窓を取った明るいサンルームの、窓辺に置かれた藤製のデッキチェアなどを眺めていると、かつてこの家に暮らした外国人実業家の家族の姿が光の揺らめきの中に見えるようでもある。
エリスマン邸エリスマン邸
エリスマン邸エリスマン邸

二階部分の展示室には山手本通り沿いに並ぶ洋館のそれぞれについての解説が展示されているので、山手散策の際に参考に見ておくといい。一階部分の奧には喫茶室が設けられており、散策の際の一休みの場所としてお薦めだ。喫茶室の窓の外には元町公園の緑の木立が間近に見え、心休まる静かなひとときを過ごすことができる。
エリスマン邸