横浜線沿線散歩街角散歩
横浜市中区横浜公園〜山下町〜山手町〜元町
晩秋の関内から山手・元町へ
Visited in December 2016
晩秋の関内から山手・元町へ
横浜の街もようやく紅葉に染まった12月の初旬、JR根岸線関内駅を降りた。この季節の横浜にも幾度も訪ねたことがあるが、久しぶりに紅葉に彩られた横浜の街を見てみたいと思ったのだった。関内駅から横浜公園日本大通りへ、さらに山下公園通りを経て山手本通りへ、そこから元町へと、晩秋の風景を楽しみながら辿ってみたい。
港町魚市場跡
JR根岸線を関内駅で降り、市役所側へと出て、横浜公園へと向かうと、歩道の脇に何やら碑があるのに気付く。碑には「港町魚市場跡」とあり、「港町魚市場を偲ぶ」と題した碑文が刻まれている。碑文には1872年(明治4年)に当時の神奈川県令陸奥宗光が高島嘉右衛門に市場開設を許可し、1876年(明治7年)に高島嘉右衛門が船便の良い港町に市場を移し、1910年(明治43年)、高島嘉兵衛の代に横浜港町魚問屋組合長太田徳治郎が横浜食品市場株式会社を設立、市場一切を買収、水産物青果物問屋に店舗を貸し、日増しに繁昌したとの旨が記されている。

陸奥宗光は、後に第二次伊藤内閣で外務大臣を務め、開港以来の不平等条約の改正を成し遂げた、あの陸奥宗光である。神奈川県令を務めた経歴はあまり知られていないかもしれない。また高島嘉右衛門はガス事業を興し、鉄道を敷設するなど、数々の事業に成功し、晩年には易学で名を馳せる人物だ(通常は「高島」と書くが、「港町魚市場跡」の碑には「高嶋」とある)。

そもそもこの辺りには開港以来、魚を商う露天商が軒を並べていたらしいが、やがて無秩序に規模が拡大し、問題も発生するようになった。紆余曲折の末に県令陸奥宗光の認可を受けた高島嘉右衛門が水産物や青果物など四品を扱う市場を開き、それをこの地に移したのが1876年(明治7年)のことだったようだ。やがて時を経て、1931年(昭和6年)、横浜市中央卸売市場が開かれ、市場の機能がすべて移転、跡地が横浜市に譲渡されたという。この碑は1981年(昭和56年)、横浜市中央卸売市場開場50年周年を記念して建てられたものらしい。
横浜スタジアム南側
関内駅前から「関内駅南口」交差点を渡り、横浜公園の南側の道路を辿ってゆこう。歩道はユリノキの並木だ。ユリノキはかなり落葉が進んでいるが、秋色の染まった葉が残って日の光を浴びている。見上げれば澄み渡った青空を背景に、横浜スタジアムの建物とのコントラストが美しい。

「関内駅南口」交差点から250mほどで「横浜スタジアム前」交差点、「大桟橋通り」が北東の方角へ延びている。その名が示すように、真っ直ぐに辿ってゆけば大さん橋へ至る通りだ。「大桟橋通り」へと折れて、横浜スタジアムを左に見ながら進んでゆこう。

横浜公園東側入口
「横浜スタジアム前」交差点から200mほどで横浜公園の東側の入口だ。入口脇で黄金に染まったイチョウが日差しを浴びて輝いている。その横から入ってゆけば横浜公園の北東側の角部分に設けられた日本庭園だ。

日本庭園にはモミジの木も多く、この季節には美しい紅葉の景観を見せてくれる。紅葉を楽しみながら庭園を一回りしてゆこう。庭園の紅葉が目当てなのか、横浜観光の途中なのか、庭園にはカメラを携えた人の姿も少なくない。その人たちに混じって写真を撮ってゆこう。

日本大通り
横浜公園の日本庭園を通り抜け、日本大通りへと歩を進めよう。日本大通りはイチョウ並木だ。すでに12月の始めではすっかり落葉が進んでしまっているが、中にはまだまだ黄葉を残すイチョウもあって、美しい秋の景観が楽しめる。イチョウの黄葉そのものももちろん美しいものだが、通り沿いの建物との競演が日本大通りの景観の何よりの魅力だろう。

日本大通りは長さ約400m、北の端の「横浜開港資料館前」交差点で「海岸通り」にぶつかり、丁字路の交差点を成している。交差点の名が示すように、交差点の南東側の角には「横浜開港資料館」が建っている。交差点は今では「象の鼻パーク」のエントランスの役目も担っている。象の鼻パークにも少し立ち寄っていこう。空気が澄んでいて景観を楽しむには最適な日だ。

「横浜開港資料館前」交差点から「海岸通り」を東へ数十メートル進むと「開港広場前」交差点だ。交差点の南西側の角には「開港広場」が設けられている。交差点を北へ進めば「象の鼻パーク」の東側を通って「大さん橋」へ至る。交差点から東は山下公園に沿って山下公園通りが延びる。横浜観光の中心と言ってもいいような交差点だ。

山下公園通り
「開港広場前」交差点から山下公園通りを辿ってゆこう。山下公園通りもイチョウ並木だ。イチョウの黄葉が低い角度で指す日の光を浴びて輝いているが、落葉も進み、落ちた葉が歩道を覆っている。その景観も晩秋の風情を漂わせて素敵だ。

山下公園通りを約1km、「ポーリン橋」が山下公園通りを跨いで山下公園と「横浜人形の家」とを繋ぐ。このポーリン橋上から見る山下公園通りの景観が美しい。これまでさまざまな季節に幾度も訪れたが、何度見ても飽きない。
港の見える丘公園
ポーリン橋からフランス橋へと辿ればその先は「港の見える丘公園」、フランス橋を降りたところは港の見える丘公園の中の「フランス山」区域の下の広場だ。

港の見える丘公園でも美しい紅葉の景観を楽しむことができるが、特にこの広場ではモミジの紅葉が美しい。斜面林の端に植えられたモミジが広場へ枝を張りだし、日差しを受けて美しく浮かび上がる。その鮮やかな色に誘われてか、立ち寄ってカメラを向ける人の姿も少なくない。

このままフランス山を登って山手本通りへと辿ってもいいが、今回は元町側へと進んで、元町プラザを回り込み、外国人墓地の下を辿って元町公園を目指そう。

元町公園
元町の住宅街の中を抜けると元町公園、園内の坂道を上れば山手本通りだ。通り沿いにはエリスマン邸山手234番館ベーリックホールといった洋館が建っている。この辺りはイチョウやケヤキの黄葉が美しい。今回訪れたときにはイチョウは落葉が進んでいたが、山手234番館前のモミジが美しい紅葉に染まっていた。

この辺りは山手観光の中心地だ。すでに12月で、山手の洋館を舞台に開催される「世界のクリスマス」が今年(2016年)もすでに始まっており、山手を訪ねる人も多く、山手本通りは賑わっている。

「汐汲坂」交差点のイチョウ
エリスマン邸の前から山手本通りを西に300mほど辿ると「汐汲坂」の交差点だ。交差点から北へ、汐汲坂が元町へと降りている。交差点の北西側の角にはフェリス女学院高校が建っている。

交差点の北東側の角、道脇にイチョウの木が立っている。このイチョウが今はちょうど黄葉の盛りだ。このイチョウの見せる景観が素敵だ。山手本通りの南側の歩道から眺めるのもいいし、汐汲坂を少し下って、坂下から見上げるのもいい。個人的にお気に入りの景観で、この季節に山手を訪れたら必ずここに立ち寄る。今回はうまく黄葉の盛りの時期で、充分にその景観を堪能できたひとときだった。
元町厳島神社
そのまま汐汲坂を降りよう。山手本通りから200mほど、坂を下りきって最初の横道を西へ(左へ)折れる。道は路地と呼んでいいような細道だ。

数十メートル進むと、元町厳島神社が鎮座している。参道脇にはイチョウの木が立ち、これも今が黄葉の盛りだ。社殿脇にはモミジの木があって、こちらは鮮やかな紅色に染まっている。地元の人なのか、ときおり神社に参拝してゆく人の姿がある。今回の散策の無事を感謝して手を合わせたら、そろそろ石川町駅へ向かい、帰路を辿ることにしよう。
関内駅から横浜公園へ、さらに日本大通りから山下公園通りを経て、山手、元町へ、気の向くままに足を延ばした。これまで幾度となく訪れたことのある街だから新鮮さという点では少し物足りないが、この辺りは何度訪れても散策は楽しく、この季節ならではの景観が楽しめるのが嬉しい。満足できた紅葉散歩だった。
晩秋の関内から山手・元町へ
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