八王子市高月町〜丹木町
滝山公園
Visited in May 2018
八王子市の最北部、多摩川左岸の丘陵地に、北条氏の名城として知られる滝山城の城跡がある。滝山城は天然の地形を巧みに活かして築城された丘山城で、中世城郭の傑作と言われる。現在は城跡の大半が東京都立の「滝山公園」として整備され、土塁や空堀の施された城址の様子を気軽に見学することができる。公園内には多くの桜が植樹されており、花見の名所としても知られ、多くの花見客を集める公園でもある。
足掛かりを得た北条氏はさらに関東北部へと勢力を広げてゆく。関東管領上杉氏を越後に追いやり、最後まで抵抗を続けた三田氏を滅亡に追い込む。そうなると、脅威は上杉氏が頼った越後の長尾景虎、後に上杉氏の名跡を継いた上杉謙信と、甲斐の武田信玄である。彼らの関東侵攻からの防御のために、滝山城が重要な軍事拠点だったのだ。
1569年(永禄12年)、小田原攻略へ向かう甲斐の武田信玄が滝山城を攻めた。世に言う「滝山合戦」である。武田軍本隊2万が多摩川対岸の拝島に陣取り、小山田信茂率いる別動隊が小仏峠を越えて侵攻、対する北条軍はわずか2千の兵で滝山城に籠城した。熾烈を極めた攻防は三日間に及んだという。落城寸前まで追い込まれながらも何とか北条軍は持ち堪え、小田原城攻略が本来の目的であった武田軍はここで時間と兵力を浪費するのは得策ではないと判断したのか、本軍を小田原に向けるのである。
落城は免れたとはいえ、苦戦を強いられた「滝山合戦」は北条氏照にとって大きな教訓となったのだろう。天然の地形を活かして見事な縄張りの施された滝山城だったが、その防御態勢は完全ではなかった。特に地理的な要因は小さくなかったのだろう。北条氏照は甲州道の監視に適した地に八王子城を築き、城下ともども本拠を移すのである。
滝山城址へのアクセスルートは複数あるが、丘陵の南側、滝山街道に面した大手口から入ってゆくのが最も順当なルートだろう。滝山街道の「丹木町三丁目」交差点のすぐ東側、「滝山城址下」バス停前に「滝山城跡入口」を示す標識が立てられているのでわかりやすい。「丹木町三丁目」交差点の角には観光用駐車場も設けられている。
中央部を辿る園路は舗装されており、雨上がりの際にも歩きやすいのが嬉しい。その園路をさらに北へ辿れば左手に「千畳敷」が現れる。今は公園内の草地の広場という様相で、木製のテーブルも設置されている。「千畳敷」の北側の窪地は往時は弁天池と呼ばれる池が設けられていたという。「千畳敷」を過ぎると右手に「二の丸」跡がある。その奥の「行き止まりの曲輪(ふくろのねずみ)」などの遺構をぜひ見ておきたい。そこからさらに東へ道が延びている。時間と体力に余裕があれば辿ってみるのもいいだろう。
一角に残るお堂のような建物は通称「旧滝山荘」、国民宿舎「滝山荘」の遺構だそうである。「滝山荘」は2000年(平成12年)頃には閉鎖、建物はほとんど取り壊されてしまったようだ。現在残っている建物がその遺構で、2015年(平成27年)から2016年(平成28年)にかけてリニューアル工事や塗装工事が行われたようである。
「二の丸」跡の北端部、パーゴラの設けられたところからは北に視界が開け、多摩川と秋川の合流点付近から昭島市西部、福生市南部の町並みを眺望する。なかなか爽快な眺めである。滝山公園を訪ねた際には、ぜひこの眺望を楽しんでおきたい。
中世の名城と名高い滝山城の遺構が良好な状態で残る滝山公園は歴史好きの人、“城マニア”の人なら必ず訪れておきたいところだろう。それほどのマニアでなくても、現地に設置された案内板を見ながら往時の様子を想像しつつの散策は楽しい。鬱蒼と木々の茂る丘はちょっとした“森林浴”気分でハイキングを楽しむにも好適だ。春には桜の名所として人気を集める公園でもあるが、秋の紅葉や初夏の新緑も美しい。高月町の水田地帯と共に散策を楽しむのもお勧めだ。