川崎市麻生区はるひ野
はるひ野の街
Visited in March 2024
三月半ばのよく晴れた日、川崎市麻生区はるひ野に出かけた。この辺りはかつては長閑な里山風景の広がるところだったが、今では美しい住宅街だ。昔の風景を探しながら、小田急多摩線はるひ野駅を中心に、はるひ野の街を歩いてみたい。
はるひ野は川崎市麻生区の最北端に位置する街だ。小田急多摩線はるひ野駅を中心に広がる住宅街で、駅周辺の線路西側に四丁目、線路東側に五丁目があり、その南東側に一丁目、その西側に二丁目、三丁目と並んで広がっている。
はるひ野駅がはるひ野の街の中心と言っていいのだろう。地理的にもほぼ中心に位置し、駅前には商業施設も建っている。それほど繁華な印象はなく、駅前とは言っても静かで穏やかな佇まいだ。
はるひ野は新しい街だ。はるひ野の住宅街が誕生する以前、この辺りは川崎市麻生区黒川の一部で、長閑な里山風景の広がる丘陵地だった。開発の構想はすでに1970年代からあったようだが、この辺りが三沢川の源流域に当たることから反対運動も起こり、計画策定にはかなりの時間を要したようである。
はるひ野の造成が開始されたのは1992年(平成4年)のことで、2003年(平成15年)の秋には入居が開始されている。2006年(平成18年)3月に住居表示が施行されて「はるひ野」の町名が与えられ、「川崎市麻生区はるひ野」が誕生している。
はるひ野の街を多摩ニュータウンの一部だと思っている人もいるのではないかと思うが、はるひ野は多摩ニュータウンの区域内ではない。そもそも「多摩ニュータウン」は東京都と東京都住宅供給公社、UR都市再生機構による東京都の事業であり、はるひ野は神奈川県川崎市麻生区に位置している。
はるひ野の開発と同じ頃、北東側に隣接する東京都稲城市若葉台が多摩ニュータウン計画に基づいて開発が進められており、それに呼応する形ではるひ野の開発も行われたということのようだ。
ちなみに小田急多摩線は新百合ヶ丘と小田急永山間で1974年(昭和49年)に開業、翌年には小田急永山から小田急多摩センター間が開業している。現在の小田急多摩線は唐木田がターミナルだが、唐木田まで延伸したのは1990年(平成2年)のことだ。
はるひ野駅が開業したのは2004年(平成16年)11月、はるひ野の入居が開始されて間もなくの頃で、駅周辺にはまだまだ開発途上の更地が広がっていた頃である。
はるひ野駅がはるひ野の街の中心と言っていいのだろう。地理的にもほぼ中心に位置し、駅前には商業施設も建っている。それほど繁華な印象はなく、駅前とは言っても静かで穏やかな佇まいだ。
はるひ野は新しい街だ。はるひ野の住宅街が誕生する以前、この辺りは川崎市麻生区黒川の一部で、長閑な里山風景の広がる丘陵地だった。開発の構想はすでに1970年代からあったようだが、この辺りが三沢川の源流域に当たることから反対運動も起こり、計画策定にはかなりの時間を要したようである。
はるひ野の造成が開始されたのは1992年(平成4年)のことで、2003年(平成15年)の秋には入居が開始されている。2006年(平成18年)3月に住居表示が施行されて「はるひ野」の町名が与えられ、「川崎市麻生区はるひ野」が誕生している。
はるひ野の街を多摩ニュータウンの一部だと思っている人もいるのではないかと思うが、はるひ野は多摩ニュータウンの区域内ではない。そもそも「多摩ニュータウン」は東京都と東京都住宅供給公社、UR都市再生機構による東京都の事業であり、はるひ野は神奈川県川崎市麻生区に位置している。
はるひ野の開発と同じ頃、北東側に隣接する東京都稲城市若葉台が多摩ニュータウン計画に基づいて開発が進められており、それに呼応する形ではるひ野の開発も行われたということのようだ。
ちなみに小田急多摩線は新百合ヶ丘と小田急永山間で1974年(昭和49年)に開業、翌年には小田急永山から小田急多摩センター間が開業している。現在の小田急多摩線は唐木田がターミナルだが、唐木田まで延伸したのは1990年(平成2年)のことだ。
はるひ野駅が開業したのは2004年(平成16年)11月、はるひ野の入居が開始されて間もなくの頃で、駅周辺にはまだまだ開発途上の更地が広がっていた頃である。
はるひ野駅の北側、小田急多摩線の線路と京王相模原線の線路に挟まれた立地で「黒川谷ツ公園」という公園が設けられている。開発前の土地の自然をそのままに残すことを目的とした公園で、約3.2haの面積を有する、自然豊かな公園だ。
その目的のため、公園は定められた開放日(月に3日ほど)以外は入園することができない。今回訪れた日(2024年3月上旬)は開放日ではなく、入園することができなかった。また日を改めて、開放日に合わせて訪ねることにしたい。
その目的のため、公園は定められた開放日(月に3日ほど)以外は入園することができない。今回訪れた日(2024年3月上旬)は開放日ではなく、入園することができなかった。また日を改めて、開放日に合わせて訪ねることにしたい。
はるひ野駅南口から北西の方角へ500mほど進むと、住宅街の中の十字路脇に緑地の中へ延びる小径がある。緑地は「黒川よこみね緑地」の一部のようだ。小径は斜面となった緑地を上るように北西の方角へ延び、200mほどで「多摩よこやまの道」へ至っている。
「多摩よこやまの道」は都市基盤整備公団(現在のUR都市機構)が整備した散策ルートで、多摩市南東部から八王子市南東部の尾根筋に沿って延びている。東側では多摩市と川崎市麻生区との都県境、西側では八王子市と町田市との市境にほぼ沿っている。この辺りではちょうど多摩市と川崎市麻生区との都県境で、北側は多摩市諏訪、南側は川崎市麻生区はるひ野だ。
はるひ野の街から「多摩よこやまの道」へ上がってきたところは、ちょうど「さくらの広場」という広場が設けられたところだ。「さくらの広場」にはエドヒガンの大木があり、春になると見事に咲き誇って素晴らしい景観を見せてくれる。
訪れたときはまだ三月半ば、さらに今年(2024年)は3月になっても気温の低い日が続いて桜の開花が遅れているようだ。「さくらの広場」のエドヒガンも周辺のヤマザクラも開花はまだしばらく先のようだ。
「多摩よこやまの道」の少し東側へ辿ってみよう。少し行くと、尾根の上からはるひ野駅の辺りが見える場所がある。2005年(平成17年)の初夏、「多摩よこやまの道」を歩いたとき、ここからはるひ野駅方面を眺めたことがある。はるひ野駅が開業したばかりの頃で、駅周辺には更地が多く、そこへ少しずつ建物が建てられている途中だった。
あれからほぼ20年、線路西側の風景はすっかり様変わりした。線路と線路東側の「黒川谷ツ公園」の木々だけが昔のままの景観を保っている。その変貌ぶりが感慨深い。
「多摩よこやまの道」は都市基盤整備公団(現在のUR都市機構)が整備した散策ルートで、多摩市南東部から八王子市南東部の尾根筋に沿って延びている。東側では多摩市と川崎市麻生区との都県境、西側では八王子市と町田市との市境にほぼ沿っている。この辺りではちょうど多摩市と川崎市麻生区との都県境で、北側は多摩市諏訪、南側は川崎市麻生区はるひ野だ。
はるひ野の街から「多摩よこやまの道」へ上がってきたところは、ちょうど「さくらの広場」という広場が設けられたところだ。「さくらの広場」にはエドヒガンの大木があり、春になると見事に咲き誇って素晴らしい景観を見せてくれる。
訪れたときはまだ三月半ば、さらに今年(2024年)は3月になっても気温の低い日が続いて桜の開花が遅れているようだ。「さくらの広場」のエドヒガンも周辺のヤマザクラも開花はまだしばらく先のようだ。
「多摩よこやまの道」の少し東側へ辿ってみよう。少し行くと、尾根の上からはるひ野駅の辺りが見える場所がある。2005年(平成17年)の初夏、「多摩よこやまの道」を歩いたとき、ここからはるひ野駅方面を眺めたことがある。はるひ野駅が開業したばかりの頃で、駅周辺には更地が多く、そこへ少しずつ建物が建てられている途中だった。
あれからほぼ20年、線路西側の風景はすっかり様変わりした。線路と線路東側の「黒川谷ツ公園」の木々だけが昔のままの景観を保っている。その変貌ぶりが感慨深い。
「多摩よこやまの道」からはるひ野の街へ戻ろう。はるひ野の住宅街の中を抜け、はるひ野の西端部を目指す。はるひ野の西端部には「黒川よこみね緑地」のメインと言っていい場所がある。緑地はフェンスで囲まれているが、扉が設けられており、開けて入ることができた。
「黒川よこみね緑地」は都市緑地法によって特別緑地保全地区に指定されている。昔からの自然環境を保つ貴重な緑地で、約7.2haの面積を有し、樹林や湿地などが残されている。この辺りはその西端部に当たり、市民参加による保全整備が行われているという。はるひ野の街に暮らす人たちにとっても、貴重な自然環境と言っていい。
「黒川よこみね緑地」は都市緑地法によって特別緑地保全地区に指定されている。昔からの自然環境を保つ貴重な緑地で、約7.2haの面積を有し、樹林や湿地などが残されている。この辺りはその西端部に当たり、市民参加による保全整備が行われているという。はるひ野の街に暮らす人たちにとっても、貴重な自然環境と言っていい。
「黒川よこみね緑地」の南端部から東へ緑地帯の中を抜ける小径が辿っている。「黒川池谷戸緑地」との名がある。「黒川池谷戸緑地」がはるひ野の範囲内なのか、あるいは黒川に属するのか判然としないが、どうやらはるひ野と黒川との境に沿って東西に延びているようだ。
「黒川池谷戸緑地」の小径を歩いていると、ところどころで南側の黒川の里山風景が見えるところがある。その風景や小径の様子に妙な既視感を覚えた。はるひ野の開発が進んでいた2002年(平成14年)の春、まだ「多摩よこやまの道」の整備も完了していない頃だったが、その頃にこの辺りを歩いたことがあった。もしかしたら、あの時歩いたのはこの辺りだったか。すでに大きく風景が変わり、記憶も定かではなく、はっきりとはわからなかった。
「黒川池谷戸緑地」の小径を歩いていると、ところどころで南側の黒川の里山風景が見えるところがある。その風景や小径の様子に妙な既視感を覚えた。はるひ野の開発が進んでいた2002年(平成14年)の春、まだ「多摩よこやまの道」の整備も完了していない頃だったが、その頃にこの辺りを歩いたことがあった。もしかしたら、あの時歩いたのはこの辺りだったか。すでに大きく風景が変わり、記憶も定かではなく、はっきりとはわからなかった。
「黒川よこみね緑地」の南端部から「黒川池谷戸緑地」を辿って500mほど進むと、「海道ひだまり公園」という小公園がある。公園の名の「海道」は黒川の海道谷戸に由来するものだろう。
公園ははるひ野二丁目の南西の端に位置している。面積は2600平方メートルほどで、住宅街の中の小さな街区公園だが、遊具類がいろいろと設置されていて、楽しそうな公園だ。近くに暮らす子どもたちの遊び場になっていることだろう。
公園ははるひ野二丁目の南西の端に位置している。面積は2600平方メートルほどで、住宅街の中の小さな街区公園だが、遊具類がいろいろと設置されていて、楽しそうな公園だ。近くに暮らす子どもたちの遊び場になっていることだろう。
「海道ひだまり公園」からはるひ野二丁目の住宅街の中を抜けて駅を目指すことにしよう。はるひ野は美しい街だ。整然と建ち並ぶ家々の風景も美しく、街路そのものも美しい。三月の半ばではまだ冬枯れを残す風景だが、春の芽吹きの頃から夏頃にかけては街路樹の緑も美しいだろう。
はるひ野の街は都道19号町田調布線(鶴川街道)や都道137号上麻生連光寺線などと接続されているが、基本的に幹線道路が街の中を通り抜けているわけではなく、街として独立した立地と言っていい。だからはるひ野の街の中は基本的に住民の車しか通らない。歩いていても静かなもので、まさに“閑静な住宅街”である。
はるひ野の街は都道19号町田調布線(鶴川街道)や都道137号上麻生連光寺線などと接続されているが、基本的に幹線道路が街の中を通り抜けているわけではなく、街として独立した立地と言っていい。だからはるひ野の街の中は基本的に住民の車しか通らない。歩いていても静かなもので、まさに“閑静な住宅街”である。
はるひ野駅の南口側の駅前ロータリーの歩道脇には美しい花壇が整備されている。まだ三月だというのに、花壇ではルピナスが咲いていた。花壇には木を使って作られた“人形”も置かれている。単純な造形だが、“妖精”を思わせる姿が可愛らしい。
この花壇はエコガーデンはるひ野のボランティアの方々が整備されているという。自分たちの暮らす街を自分たちで美しく整備しようということだろう。訪問者の立場であれこれ言うのはおこがましいが、この花壇を見ただけで、はるひ野という街の魅力がわかる気がする。素敵な街である。
この花壇はエコガーデンはるひ野のボランティアの方々が整備されているという。自分たちの暮らす街を自分たちで美しく整備しようということだろう。訪問者の立場であれこれ言うのはおこがましいが、この花壇を見ただけで、はるひ野という街の魅力がわかる気がする。素敵な街である。
以前から機会をつくってはるひ野を訪ねてみたいと思っていた。開発途上の風景を知る身として、その変貌ぶりを見てみたいという思いもあった。三月半ばでは街路樹はまだ冬枯れを残していたが、充分に楽しい散策だった。新緑や紅葉の頃にも訪ねてみたいと思いながら、はるひ野の街を後にしたのだった。