多摩市諏訪〜唐木田
多摩よこやまの道
Visited in May 2005
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
例えば中央自動車道を都心から郊外に向けて走っていると、調布インターを過ぎたあたりからだろうか、前方左手、町並みの広がる景色の向こうに低く連なる山々の稜線が見え始める。中央道を走る車からは南西の方角に見えるために、山々の稜線はたいていおぼろげに霞むシルエットになって見える。穏やかな曲線を描きながら延々と連なる稜線は、どこかほんの少しだけ幻想的な雰囲気さえ伴っている。この稜線を描く山々が、他ならぬ多摩丘陵である。
横に長く連なるその様子から、昔の人々は「多摩の横山」と呼んだのだという。武蔵野の歌人、宇遅部黒女は「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遺(や)らむ」という歌を万葉集に残している。馬は山野に放してしまって捕らえることができない、(防人の務めのために旅だってゆく夫に)多摩の横山を歩いて行かせることになってしまった、と、夫を気遣う歌である。現在の多摩丘陵は多摩ニュータウンに姿を変えたところも多いが、町田市の北東部を中心にかつての風景をそのままに残す地域も少なくない。鬱蒼とした雑木林の中の小径を歩いていると、「多摩の横山」を歩いて越えてゆくことがどれほど大変なことだったか、少しだけわかる気もする。
その「多摩の横山」を冠した名の散策ルートがある。「多摩よこやまの道」という。都市基盤整備公団が整備を進めてきたもので、東は多摩市諏訪の多摩東公園脇から西は八王子市別所の長池公園手前まで、9.5kmほどのルートであるという。この内、多摩東公園脇から唐木田駅近くまでの7.5kmほどの区間の整備が完了し、2003年(平成15年)4月から利用することができるようになった。
「多摩よこやまの道」は基本的に多摩ニュータウンの南端、多摩市と川崎市、多摩市と町田市との市境に沿って延びている。ルートは多摩丘陵の尾根を辿り、見事な眺望の楽しめる場所も少なくない。またルート上には古道跡などの史跡も点在し、随所に解説板も設けられている。実は以前に、この「多摩よこやまの道」の東側の区域をそれとは知らずに歩いてみたことがある。2002年の4月だった。東端にあたる「丘の上広場」からエコプラザ多摩脇の広場までの区間を歩いたのだった。その時はエコプラザ多摩脇から川崎市黒川へと降りて一巡りした。その時は案内板などもまだ設置されておらず、それが「多摩よこやまの道」の一部であることは、恥ずかしながら後になって知った次第だった。今回はこの「多摩よこやまの道」の、2005年5月現在での整備済の全区間、「丘の上広場」から唐木田駅近くまでを、ルートに沿って歩いてみたい。
横に長く連なるその様子から、昔の人々は「多摩の横山」と呼んだのだという。武蔵野の歌人、宇遅部黒女は「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆか遺(や)らむ」という歌を万葉集に残している。馬は山野に放してしまって捕らえることができない、(防人の務めのために旅だってゆく夫に)多摩の横山を歩いて行かせることになってしまった、と、夫を気遣う歌である。現在の多摩丘陵は多摩ニュータウンに姿を変えたところも多いが、町田市の北東部を中心にかつての風景をそのままに残す地域も少なくない。鬱蒼とした雑木林の中の小径を歩いていると、「多摩の横山」を歩いて越えてゆくことがどれほど大変なことだったか、少しだけわかる気もする。
その「多摩の横山」を冠した名の散策ルートがある。「多摩よこやまの道」という。都市基盤整備公団が整備を進めてきたもので、東は多摩市諏訪の多摩東公園脇から西は八王子市別所の長池公園手前まで、9.5kmほどのルートであるという。この内、多摩東公園脇から唐木田駅近くまでの7.5kmほどの区間の整備が完了し、2003年(平成15年)4月から利用することができるようになった。
「多摩よこやまの道」は基本的に多摩ニュータウンの南端、多摩市と川崎市、多摩市と町田市との市境に沿って延びている。ルートは多摩丘陵の尾根を辿り、見事な眺望の楽しめる場所も少なくない。またルート上には古道跡などの史跡も点在し、随所に解説板も設けられている。実は以前に、この「多摩よこやまの道」の東側の区域をそれとは知らずに歩いてみたことがある。2002年の4月だった。東端にあたる「丘の上広場」からエコプラザ多摩脇の広場までの区間を歩いたのだった。その時はエコプラザ多摩脇から川崎市黒川へと降りて一巡りした。その時は案内板などもまだ設置されておらず、それが「多摩よこやまの道」の一部であることは、恥ずかしながら後になって知った次第だった。今回はこの「多摩よこやまの道」の、2005年5月現在での整備済の全区間、「丘の上広場」から唐木田駅近くまでを、ルートに沿って歩いてみたい。
「丘の上広場」へは京王相模原線の若葉台駅から歩いた。駅から「丘の上広場」まで15分ほどだろうか。少しばかり距離がある。永山駅から最短ルートを歩いても同じくらいだろうか。永山駅から多摩東公園近くのバス停までバスを利用するのもよいかもしれない。
「多摩よこやまの道」の東の起点となる「丘の上広場」は、まさに丘の上、北側への眺望が開けて多摩ニュータウンの街並みが見渡せる。爽快な眺めだ。真下には尾根幹線と呼ばれる道路が東西に延びている。尾根幹線を挟んで、「丘の上広場」の向かい側には多摩東公園があり、「弓の橋」が両者を繋いでいる。永山駅方面から訪れるなら、この「弓の橋」を渡って「丘の上広場」へ来ることになるだろう。「弓の橋」の正面に立つと橋の両脇に立つ樹木の緑が初夏の青空に映えてとても美しい。
「丘の上広場」からの眺望を楽しんだ後は、いよいよ「多摩よこやまの道」へと歩を進めよう。「丘の上広場」から西へ、都県境の尾根を辿るように散策路が整備されている。散策路の脇に「多摩よこやまの道」について記した大きな案内板が設置されている。一通り目を通して、先へ進もう。散策路の南側、向かって左手は林だが、右手北側は視界が開けて多摩ニュータウンの街並みが広がっている。すぐ下を通る尾根幹線が近いために車の騒音も届いてくるのが少々残念なところか。
少し進み、伊藤忠飼料と協和の建物の横を通るころ、左手の木立が途切れ、その向こうに殺風景な造成地の風景が見えてくる。その造成地の中に、開業間もない小田急多摩線の「はるひ野駅」が見える。駅は開業したが、周囲はまだまだ開発途上だ。2002年の4月に歩いたときにはまだ「はるひ野駅」は開業しておらず(「はるひ野駅」は2004年12月11日開業)、この造成地は今以上に殺風景だったが、その時に比べれば少しばかり「街」の様相が見え始めているようにも思える。「はるひ野駅」から「多摩よこやまの道」のちょうどこのあたりへ直接来ることができるようになれば、「はるひ野駅」が「多摩よこやまの道」の最寄り駅ということになるだろう。整備されることを期待して待ちたい。
やがてエコプラザ多摩の裏手へと至る。広場のようになった場所から黒川側の林の中へ小径が延びている。2002年の4月に歩いたとき、この小径へと進んだ。その時には知らなかったのだが、これは「瓜生黒川往還」といい、現在の川崎市麻生区黒川と多摩市永山瓜生を結んでいた道であるという。傍らにそのことを記した解説板が立てられている。それに依れば、江戸時代から昭和初期にかけて、黒川と瓜生とを結ぶ往還道として使われ、黒川の特産品である「黒川炭(くろかわすみ)」や「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」を八王子方面や江戸市中に運ぶ近道であったという。
エコプラザ多摩の横手に広場が設けられている。「もみじの広場」と名付けられている。広場のすぐ横は尾根幹線で、走り抜ける車の音が響いている。エコプラザ多摩前の交差点の横断歩道で尾根幹線を渡れば、道路向かいには諏訪南公園がある。トイレも設置されているから、散策途中のトイレ休憩などに便利だ。
「もみじの広場」の背後は小高い丘になっている。その丘の上には現在は黒川配水場があるのだが、この丘をかつて黒川の人々は「丸山城」と呼んでいたという。中世には物見や狼煙台が存在したとも考えられるという。そうしたことを記した案内板が広場の隅に立てられている。「古代東海道と丸山城」と題した案内板には、飛鳥時代後半から平安時代初期にかけて相模の国府と武蔵の国府を繋ぐ「古代東海道」がこの辺りを通っていたのではないかと記されている。緑の木々を眺めながら、古代の人々が行き交う姿を思い浮かべてみる。遥か昔の光景に心を遊ばせるのは楽しい。
「もみじの広場」の尾根幹線寄りの端から西側の丘へ「多摩よこやまの道」のルートが上っている。丘の上に上がると、左手南側は畑地になっている。2002年の4月に歩いたときには、黒川の谷戸を一巡りした後、黒川配水場の横を抜けてこの畑地脇へ出てきた。畑地はそのときとまったく風景が変わっていない。周囲が開けた丘の上で、風が吹き渡り、爽快な気分だ。畑地脇を抜ける小径の土の感触も心地よい。丘の風景を楽しみながら、のんびりと歩く。
前方に小高くなった場所がある。そこに展望台がある。少し行き過ぎて、逆戻りするように脇道へ逸れると展望台だ。「多摩よこやまの道」の案内板に「展望広場」として記されているところだ。標高は約145メートルあるらしい。この「展望広場」からの眺望は、おそらく「多摩よこやまの道」のルート上で最も見事なものではないかと思う。多摩市域の多摩ニュータウンの全貌を一望すると言っても、あながち間違いではないかもしれない。正面には多摩センター付近の建物群が見えている。天候に恵まれれば富士山も見えるという。どの方角に何が見えるのか、解説を記した案内板が設けられている。「展望広場」に立ち寄ったとき、双眼鏡を片手に眺望を楽しむ人の姿があった。「多摩よこやまの道」の散策の際には双眼鏡などを携帯するとより楽しめるかもしれない。
「もみじの広場」の背後は小高い丘になっている。その丘の上には現在は黒川配水場があるのだが、この丘をかつて黒川の人々は「丸山城」と呼んでいたという。中世には物見や狼煙台が存在したとも考えられるという。そうしたことを記した案内板が広場の隅に立てられている。「古代東海道と丸山城」と題した案内板には、飛鳥時代後半から平安時代初期にかけて相模の国府と武蔵の国府を繋ぐ「古代東海道」がこの辺りを通っていたのではないかと記されている。緑の木々を眺めながら、古代の人々が行き交う姿を思い浮かべてみる。遥か昔の光景に心を遊ばせるのは楽しい。
「展望広場」から西へ気持ちの良い尾根道が続く。北側の尾根幹線沿いに給食センターが建っており、その裏手の丘の尾根を辿っている形だ。給食センターの横には尾根幹線沿いに小公園のようなスペースが設けられており、トイレも設置されているので一休みによいかもしれない。
このあたりの散策路脇の林の中には古道跡らしいものが残されているという。歩いていると「並列する謎の古道跡」や「堀割状の古道跡」などと題した解説板があるのに気付く。この近くの薮の中に数本の古道跡が残されているということだが、古代東海道の跡なのか、中世の鎌倉道の跡なのかは不明であるという。また1333年(元弘3年)の新田義貞軍と北条泰家軍との分倍河原決戦前夜、北条軍が野営したのもこのあたりであるらしい。古い時代の営みに思いを馳せながら歩く。
散策路はやがて一般道に抜け出る。ここまでの区間は「多摩よこやまの道」として整備された散策路だったが、ここからしばらくルートは一般道を辿る。車両の通行もあるので散策の際には注意を、との旨の注意書きがあったが、それほど頻繁に車両が通行するわけではない。今回歩いたときにも車両と出会うことはなかった。道は国士舘大学の裏手、同校校舎とグラウンドとの間を抜けてゆく。両脇に大学の施設を見ながら歩いてゆくと、やがてひょっこりと小さな交差点に出る。この交差点は昔から道の集まるところであったらしく、「古道五差路と軍事戦略的な鎌倉街道」との解説板が設けられている。南は町田市小野路町で、交差する道を南へ辿れば東光寺の傍らから浄水場横を経て小野路町南部へと降りてゆくことができる。2002年の5月、新緑の美しい小野路町の東部を歩いたとき、ひとまわりしてこの交差点まで歩いたことがあった。「古道五差路」の交差点から西へ辿ると多摩ニュータウン市場の傍らへと降りることができる。降りてゆくと目の前を鎌倉街道が通っている。東の起点から鎌倉街道まで、約3.2kmの距離だそうだ。
妙櫻寺の前の道路は一本杉公園通りといい、その名が示すように一本杉公園を回り込むように延びる道路だ。「多摩よこやまの道」のルートは、その一本杉公園通りの歩道を辿って一本杉公園へと向かっている。一本杉公園通りは桜並木だが、もちろん今は青々と葉が茂っている。桜の根方の植え込みはツツジで、そろそろ花の時期を終えようとしている。左に恵泉女学園大学を見ながら一本杉公園通りを進むと、向かって左手に一本杉公園への入口が現れる。
一本杉公園の周辺は鎌倉古道跡の残る地域だ。妙櫻寺付近の山道は鎌倉街道上ノ道本路跡ではないかという。また一本杉公園内の杉並木の辺りにも鎌倉街道跡があり、これは通称「鎌倉裏街道」と言われ、江戸時代には小野路道、あるいは日野往還などとも呼ばれた道であるという。要所要所に解説板が設置されており、解説にはどのようなルートを辿って道が延びていたのかが記されていて興味は尽きない。鎌倉裏街道の解説には「後に新選組となる土方歳三や沖田総司らが小野路での出稽古に日野宿方面から通った」と記されている。歴史のひとこまを思い浮かべながら古道の面影を探すのも楽しい。
この広場からさらに道路を越えて西へ小径が延び、大妻女子大の入口横へと辿っている。大妻女子大入口横から尾根幹線を横断して唐木田の街を抜けると小田急線の唐木田駅が近い。唐木田以西の区間の整備が完了するのを待ちながら、唐木田駅へと帰路を辿ることにしよう。
「多摩よこやまの道」は整備された散策路や既存の公園、住宅街の歩道や一般道を繋いで設定されたコースだ。ところどころルートがわかりにくいところもあるが、案内板や道標が随所に設置されているからそれらを見落とさないように気をつけていれば迷うことはないだろう。東の起点となる「丘の上広場」へは駅から距離があるのが少々難点だが、近くまでバスを利用するのもよいし、駅からのんびりと歩くのもそれはそれで楽しい。「多摩よこやまの道」のルートのすべてを歩くとなかなかの距離がある。全ルートを踏破することに固執しなくても、途中の一部分だけでも充分に楽しめる。多摩ニュータウンの住宅街の散策や、黒川地区、小野路地区、小山田地区などの散策と組み合わせてうまくルートを考えて利用するのもよいだろう。
「多摩よこやまの道」のルートを成す尾根筋は多摩丘陵でも最も高所に当たるところであるらしく、随所で見事な眺望を楽しめる。それらの眺望や雑木林の表情を楽しみながら、時には史跡の解説に目を留め、古(いにしえ)の人々の営みに思いを馳せながら、のんびりと散策を楽しむのがいいだろう。
「多摩よこやまの道」のルートを成す尾根筋は多摩丘陵でも最も高所に当たるところであるらしく、随所で見事な眺望を楽しめる。それらの眺望や雑木林の表情を楽しみながら、時には史跡の解説に目を留め、古(いにしえ)の人々の営みに思いを馳せながら、のんびりと散策を楽しむのがいいだろう。
【追記】
上記内容を記した2005年5月現在では未開通だった「唐木田口〜長池公園手前の別所配水場」区間は2006年(平成18年)7月20日に開通、これによって「多摩よこやまの道」の全ルートが利用できるようになった。