横浜市港北区綱島西〜新吉田東〜高田東
早渕川
(綱島〜高田)
Visited in November 2019
お天気に恵まれた11月初め、横浜線から東急東横線に乗り換え、綱島駅を降りた。綱島駅から鶴見川の河岸に出て、早渕川の河岸へと辿って上流側へと歩いてみたいと思ったのだった。綱島駅の西側の周辺は以前少しだけ歩いたことがあった。今回は早渕川の河岸にスポットを当てて、川に沿って歩いてみたい。
空には少し薄雲があるものの、青空が広がって良いお天気だ。11月初め、まだまだ行楽シーズンと言っていい。鶴見川の堤防下の広場にはテントを張ってバーベキューを楽しむ家族連れやグループの姿が少なくない。のんびりとして素敵な光景だ。歩きながら振り返ると、橋梁をひっきりなしに行き来する東急の電車が見える。
合流点の風景を眺めながら左岸の堤防道を早渕川へと逸れる。200mほど辿ると三歩野(さんぶの)橋という橋が早渕川を跨いでいる。三歩野橋は1981年(昭和56年)に竣工した橋だ。橋の上から南に視線を向ければ合流点の周辺がよく見える。北から流れてきた早渕川が鶴見川の直前で左(東)へのカーヴを与えられて合流する。流れの向きがほぼ同じになるようにして合流するわけだ。
早渕川も昔は長閑な田園地帯を流れる川で、水車小屋などもあったという。もちろん大雨が降れば氾濫し、流域に損害をもたらした。早渕川の護岸工事が行われたのは1960年代の終わりから1970年代前半にかけてのことだ。現在の早渕川は全域がコンクリート護岸になっている。
早渕川の左岸側の堤防道を上流側へ向けて進んでいこう。堤防道は自転車と歩行者の専用道路になっている。三歩野橋から300mで新川橋だ。新川橋で早渕川の河岸を離れて、少し寄り道をしたい。
表門は長屋門で、桁行18.4m、梁間4.3m、茅葺寄棟造の堂々としたものだ。傍らには「飯田家住宅」について記した解説パネルが設置されている。飯田家は旧北綱島村の旧家で、代々名主を勤め、荒れ地の開墾や農業の振興、鶴見川の改修などにも尽力したという。そうした、土地の有力者としての家柄を象徴するような表門である。
峰大橋の辺りから早渕川は(下流側から上流側を見れば)左手へ緩やかに曲がる。ここから下流側はほぼ南北に流れているが、上流側では北西側から南東側への流路だ。橋の袂から上流側に目を向けると、早渕川が優美な曲線を描き、堤防道に設けられた白いガードレールが美しい弧を描く。
高田東4丁目の町に入って間もなく、河岸から住宅地の中を北に抜けてゆく舗道があるのに気付く。中央部に植え込みを設けた舗道が、住宅の並ぶ中を真っ直ぐに抜けている。推測だが、かつて河川だったものか。この舗道を100m強、北へ辿ると、舗道脇に小公園がある。高田公園という。小さな公園であるにも関わらず「高田」の名を冠した公園だというところに興味を覚える。おそらく昔からの住宅地で、公園の歴史も古いのだろう。調べてみると供用開始は1965年(昭和40年)だそうである。やはり、なかなか古い公園である。
高田橋から上流側を見ると、真っ直ぐな流路で延びる早渕川の様子がよくわかる。上流側の御霊橋からここまで、1kmほどの区間、早渕川は真っ直ぐに流れている。高田橋の上流側の袂に「河川管理境界」の標識が立てられている。ここから下流側は「国土交通省 京浜河川事務所 新横浜出張所」、上流側は「神奈川県横浜治水事務所」の管轄だそうだ。
都市計画道路宮内新横浜線は港北区下田町六丁目から港北区新横浜二丁目まで、総延長6.5kmの都市計画道路だ。県道102号荏田綱島線の「高田駅入口」交差点から南南西へ辿り、建設中の橋梁で早渕川を跨ぎ、そのまま真っ直ぐに南南西に延びて新吉田東8丁目の「新吉田南」交差点へと繋ぐ計画のようだ。これが全線開通になればずいぶんと新吉田周辺の交通が便利になりそうである。
建設中の橋の北側に横浜市営地下鉄グリーンライン「高田」駅がある。早渕川の河岸を離れて高田駅に向かい、そろそろ帰路を辿ることにしたい。
【追記】
2019年(令和元年)11月時点で工事中だった宮内新横浜線の橋梁は、2020年(令和2年)3月に完成、「高吉橋」として同年12月に供用開始となった。
久しぶりに早渕川の河岸を歩いた。秋晴れに恵まれ、爽快な散策が楽しめた。次の機会には高田駅近くから東山田駅近くまでの早渕川河岸を歩いてみたい。