多摩市聖ヶ丘
晩秋の聖ヶ丘
Visited in November 2002
11月の下旬、街の樹木も紅葉に染まる季節、桜ヶ丘公園の紅葉を楽しみに訪れた際、少し足を延ばして聖ヶ丘の街を歩いてみた。昔は里山と谷戸の織りなす農村の風景が広がっていた場所だが、今では多摩ニュータウンの整然とした住宅街だ。その中に残る緑地や遊歩道などを繋いで、秋の風景を探してみた。
「聖ヶ丘橋」バス停の傍らは樹木の茂った緑地になっている。聖ヶ丘緑地という。聖ヶ丘緑地は聖ヶ丘三丁目の南西部に帯のように延びているようで、両端部に広場などが置かれている。聖ヶ丘橋の横手には小さいながらも子どものための遊び場も設けられている。
その聖ヶ丘緑地の「ひじり坂」に面した場所に、野外彫刻のようなおもしろいものがある。高さ二メートルほどの石柱が立ち、その正面に空いた三つの穴からそれぞれ石の狸が顔を覗かせている。石柱の上部にも二匹の石の狸が乗っている。狸はかなりデフォルメしてあるが一目で狸とわかり、その姿も愛嬌があって可愛らしい。この付近は多摩ニュータウンとして開発される以前はのどかな山間の農村だったわけだが、そこに暮らしていた狸をこうしてモニュメントにしたものだろう。
その手前に解説板が置かれている。その解説によれば、「聖ヶ丘」という町名は1980年(昭和55年)に新設されたもので、もともとの大部分は連光寺、一部が関戸であったという。「聖ヶ丘」の「聖」は「聖蹟」から取られたものだ。「聖ヶ丘」となる以前のこのあたりは、「むじないり」などといった狸に因んだ字名も多く、狸が多かった土地柄ではないかという。
解説板のひとつには明治期のこのあたりの字名を記したものがあり、丹念に見るといろいろな名があって興味深い。聖ヶ丘橋付近には「天井返(てんじょうがえし)」という字名があったらしいが、どういった由来でそのような名になったのだろうと考えるのも楽しい。ここから少し北に行ったあたりには「大谷戸」の字名があるが、これは現在の大谷戸公園の付近なのだろう。
広場の横手には聖ヶ丘の街の中央を貫くように延びる「聖ヶ丘遊歩道」が接している。聖ヶ丘遊歩道を歩いて聖ヶ丘小学校の西側を抜けると「元気橋」という名の橋で「聖ヶ丘学園通り」を越えて、見覚えのある場所に出た。逆方向から辿ったために気付くのが遅れたが、馬引沢南公園の傍らへと出たのだ。そのまま「聖ヶ丘遊歩道」を進めば剣橋で広い道路を越えて多摩東公園だが、今回は橋の手前で西へ折れてみる。
道路脇の木々の紅葉を眺めながら進むと、「聖ヶ丘学園通り」へと出た。この通りは東では多摩大学の横を抜け、聖ヶ丘の街の外周を辿るように聖ヶ丘小学校の南側を取って廻り、やがて聖ヶ丘中学校の横で「ひじり坂」へと繋ぐ。この付近の学校を繋いで辿ることからその名があるのだろう。そのまま北へ進むとやがて「聖ヶ丘二丁目」交差点、ここから東へ向けて「ひじり坂」が延びる。「ひじり坂」はここから東へ辿り、北へ折れて、さらに西に曲がって鎌倉街道へと降りてゆく。
聖ヶ丘遊歩道を北へ辿ると、郵便局の横を過ぎ、聖ヶ丘中学校の横を過ぎる。郵便局と中学校の間の道はちょうど聖ヶ丘橋の袂へと抜けている。遊歩道を進むと、「おもいで橋」という橋があった。どのような由来で名付けられたものか、ちょっと興味を覚える。遊歩道が「ひじり坂」を越えると多摩養護学校の東側を通って大谷戸公園が近い。大谷戸公園もすっかり晩秋の風景で、吹きすぎる風も冷たいが、遊具のある一角では母親に連れられた子どもたちが元気に遊んでいる。
大谷戸公園の手前、遊歩道の脇に小さな公園がある。滑り台などの置かれた小さな公園だが、一角に植えられたモミジが美しく紅葉している。もちろん規模の大きなものではないが、散策中にこうした美しい紅葉の景色に出会ったりすると思わぬ拾い物をしたような気持ちになる。公園内には人の姿はなく、子どもたちの遊ぶ姿もない。遊具類が使われないままに晩秋の日差しを受けているが、そうした少し寂しげな風景に紅葉はよく似合う。
鎌倉街道の「熊野橋」交差点の傍らの舗道に、「旧鎌倉街道散歩」のコース上であることを示す案内柱があった。鎌倉街道は今では広く交通量の多い幹線道路だが、旧鎌倉街道の名残を訪ねて歩いてみるのも楽しいに違いない。鎌倉街道の沿道のイチョウが見事に黄葉し、日差しを受けて輝いていた。
今回歩いたところは基本的にニュータウンの住宅街の中であり、誰にでもお勧めできるような「散策コース」ではないが、それでもゆっくりと歩いてみると意外な発見があり、予期していない美しい風景に出会うこともあって、それなりに散策は楽しい。桜の並木となっているところもあるから、春の散策も楽しいに違いない。