横浜市緑区小山町
初秋の小山町
Visited in September 1999
JR横浜線の中山を北に出て、恩田川を渡って西に進むと小山町だ。このあたりは今でも水田が広がり、田植えから刈り取りの時期まで、日本の原風景とも言えるような美しい田園の風景を見ることができる。秋の稲刈りの時期、この小山町の水田地帯を歩いてみた。
JR横浜線の中山駅を北口に降り、整然としたロータリーから北へ向けて延びる道路を進むと、すぐに中山大橋によって恩田川を渡る。恩田川の南側には商店や住宅が並ぶが、北側の小山町はまったく印象が異なっている。この辺りは蛇行する恩田川の描く円弧の内側に当たるのだが、古来より肥沃な土地だったのだろう。点在する民家を繋ぐように畑の間を巡る細い道は、かつてからの農耕地帯だったことを伺わせる。道沿いには季節柄彼岸花が咲き、美しい秋の風景を彩っている。
小山橋を渡って再び恩田川の南側に戻ると、前方に寺が見える。観護寺という。寺というと山深い立地を想像しがちだけに、その広々とした水田地帯のただ中に建つ風情が目を引く。現在の寺の建物は近年に建て替えられたものだが、寺の歴史は古く、1400年代には存在していたらしい古刹なのだ。観護寺は、数々の業績を残した真言密教の僧、印融法印がここに住まったことでも有名で、寺の墓所内には印融法印の墓も残っている。恩田川に架かる小山橋はこの印融法印が架けたものだという。観護寺はその南西側に間近に榎下城を見る位置にあり、中世の城と寺の関連は想像に難くない。
観護寺から西、恩田川の両岸に水田が広がっている。時期はちょうど刈り取りの頃で、あちらこちらで稲刈りの作業を行っている姿がある。住所はやがて新治町となり、恩田川の支流である梅田川が流れている。横浜線の線路を左に見ながら梅田川を渡ると、円光寺がある。円光寺の傍ら、住宅の並ぶ中を過ぎて、恩田川を渡ると小山町に戻り、眼前には広々とした水田地帯が再び現れる。畦道には彼岸花が咲いて散策の目を楽しませてくれたりもする。
南には横浜線が通り、中山から十日市場にかけての街並みがその向こうに見えている。北には交通量の多い道路が走り、その向こうは西八朔町の丘陵が控えている。その間に挟まれたこの恩田川流域に現在も宅地化もされずこうして広々と水田が残り、それがきっちりと毎年耕作されているという事実に、なぜか嬉しい驚きを感じてしまう。農作業はすっかり機械化されており、昔懐かしい風景を見ることはできないが、それでも秋の風に揺れる黄金の稲穂に妙な懐かしさを覚えるのは、やはり稲作が日本人の原風景となっているということなのだろうか。
南には横浜線が通り、中山から十日市場にかけての街並みがその向こうに見えている。北には交通量の多い道路が走り、その向こうは西八朔町の丘陵が控えている。その間に挟まれたこの恩田川流域に現在も宅地化もされずこうして広々と水田が残り、それがきっちりと毎年耕作されているという事実に、なぜか嬉しい驚きを感じてしまう。農作業はすっかり機械化されており、昔懐かしい風景を見ることはできないが、それでも秋の風に揺れる黄金の稲穂に妙な懐かしさを覚えるのは、やはり稲作が日本人の原風景となっているということなのだろうか。
小山町を西の端まで歩くと、すでに十日市場駅が近い。恩田川流域の水田地帯から駅を見ると、一段高くなった台地であることがよくわかる。駅へ向かって帰路を辿るのも良いし、東名高速をくぐってさらにいぶき野の方へ足を延ばすのも良いかもしれない。