町田市小野路町
新緑の小野路町東部
Visited in May 2002
町田市小野路町は中央部に小野路宿の面影を残し、その周囲にはかつての多摩丘陵の姿をそのままに残していて、里山散策の定番とも言える地域だ。新緑の雑木林が日増しに緑濃くなってゆく五月の初め、この小野路町の東部を歩いてみた。
今回の小野路町散策は多摩市側の尾根からスタートすることにした。多摩市南野の妙櫻寺の傍ら、駐車場を通り抜けて畑地の中へと小径が延びている。この小径が畑地の中を辿って谷戸へと降りて鎌倉街道の別所交差点付近へと達しており、その周囲には美しい里山の風景が広がっていて、散策の楽しいところだ。
妙櫻寺脇の駐車場から小径へと進むとすぐに眼前には丘陵の麓に広がる畑地が見えてくる。のどかな山村を思わせる風景だが、一部の畑は近くに建つ恵泉女学園大学の所有のようだ。恵泉女学園大学の名で「実習農場」と書かれてある。恵泉女学園大学では園芸を必修の科目としているのだそうで、この農場で有機農業の実践を学ぶのだそうだ。当日も畑には実習中の学生たちの姿があり、慣れぬ手つきで畑仕事に取り組んでいた。
畑地の中に曲線を描く小径を辿り、実習中の学生たちを横目に見ながら進むと、道はやがて木立の中へ分け入ってゆくように畑地を後にする。小径に迫る鬱蒼とした木立の中のあちらこちらからウグイスの声が聞こえてくる。まるで出迎えてくれているようで心が和む。林の中を進むように小径を辿ると、すぐに右手に視界が開けてくる。周囲は谷戸の最も奥まったところの様相を呈している。本来であれば谷戸の奧をさらに分け入った丘の上の畑地であったところから、逆に入り込んできたことを、それは示している。
竹林を左に見ながら進み、頭上に覆い被さるように広がった樹木の枝の下をさらに進む。小径は車一台がようやく通れるほどの幅だが、轍が残っているところを見ると地元の人たちが農作業のために軽トラックなどで通り抜けたりするのだろう。このくらいの幅の道は歩いていてとても楽しい。狭すぎず広すぎない。道の真ん中を歩くときの、道脇の木々や草むらとの距離感がちょうどよいのだ。そしてまた丘の裾に沿うように辿る道の描く微妙な起伏と曲がり具合がいい。緩やかに上ったり下ったり、大きく曲がったり真っ直ぐに延びていたり、その脇をさまざまな樹木や野草が彩り、林が迫り、畑地が広がる。歩いていて飽きることがない。里山歩きの醍醐味と言っていい。
道はやがて別の小径との合流点に至る。他方の小径は左手の木立の中へと延びている。そちらへと辿れば、民家の傍らを抜けて丘の上の尾根道へと出て、やがて尾根幹線と鎌倉街道との交差点近く、京王の車庫の裏手へと抜け出る。ちょうど近くの幼稚園か保育園らしい子どもたちの集団とすれ違った。地元の人と挨拶を交わしながら子どもたちは左手の小径へと進んでゆく。手にはショベルを持っており、どうやら筍掘りに向かう途中であるらしい。
子どもたちを見送り、さらに小径を辿る。その辺りから右手に畑地が広がる。古い時代に丘陵の斜面を切り開いて作られた畑地なのだろう。わずかに起伏を伴った畑の表情が美しい。畑ではさまざまな作物が作られており、片隅に農作業に勤しむ地元の人の姿があった。畑の向こうに見える丘の木立の中に、藤が多く咲いている。新緑の木立の中にひっそりと藤色が滲んでいる。公園の藤棚もよいものだが、林の中に見え隠れする藤の花は野趣溢れる姿がいい。
畑の脇を辿った小径が大きく曲がる辺りで、周囲に民家が多くなる。鎌倉街道が近いのだ。右手眼下には谷戸に広がる水田の風景が見えてくる。水田は田起こしが行われて田植えを待っている。木々の間から見え隠れする谷戸の風景がとても美しい。小径は坂を下りて、この谷戸田の中へと延びる道へと合流する。道の合流点の傍らに見事な桜の木がある。花の咲く時期はさぞ美しいだろうと思うのだが、なかなかそれを確かめる機会がない。
このあたりまで来ると鎌倉街道を走る車の音も聞こえてくる。道の左には民家が並ぶようになるが、右手はのどかな谷戸の風景が続く。田植えの時期や稲刈りの時期にまたこの谷戸を歩いてみたいと思うのだが、これもまた機会を逸したままだ。地元の人が軽トラックで谷戸の奧へと向かうのをやり過ごし、畑で農作業中の人の姿を眺めつつさらに歩を進める。やがて谷戸を出て、道は鎌倉街道の別所交差点付近へと抜け出た。
畑地の中に曲線を描く小径を辿り、実習中の学生たちを横目に見ながら進むと、道はやがて木立の中へ分け入ってゆくように畑地を後にする。小径に迫る鬱蒼とした木立の中のあちらこちらからウグイスの声が聞こえてくる。まるで出迎えてくれているようで心が和む。林の中を進むように小径を辿ると、すぐに右手に視界が開けてくる。周囲は谷戸の最も奥まったところの様相を呈している。本来であれば谷戸の奧をさらに分け入った丘の上の畑地であったところから、逆に入り込んできたことを、それは示している。
道はやがて別の小径との合流点に至る。他方の小径は左手の木立の中へと延びている。そちらへと辿れば、民家の傍らを抜けて丘の上の尾根道へと出て、やがて尾根幹線と鎌倉街道との交差点近く、京王の車庫の裏手へと抜け出る。ちょうど近くの幼稚園か保育園らしい子どもたちの集団とすれ違った。地元の人と挨拶を交わしながら子どもたちは左手の小径へと進んでゆく。手にはショベルを持っており、どうやら筍掘りに向かう途中であるらしい。
鎌倉街道は片側二車線の広い道路で交通量も多い。信号を待って横切って、交差点から東側の丘へと続く小道へと進む。これも車一台分の幅しかない道だが、ときおり地元の人の車が行き過ぎる。道の右手には丘の斜面を利用した畑地があり、農作業中の人の姿がある。鎌倉街道を車で通り過ぎればまるで気付くこともないが、まだまだこうした風景が残っているのだ。
道は上り坂で続く。左側は林によって視界が遮られていたのだが、やがてそれが途切れて丘の上の畑地が広がった。ふり返るとなかなか眺めもよく、吹き渡る五月の風が爽やかだ。前方の丘の上には住宅が多く建ち並んでいる。庭仕事中の人と挨拶を交わしつつ民家の横を抜けて坂を登ると、丘の上の道へと抜け出た。車両の通行も充分な幅の道路で、丘の上を辿って小野路から真光寺町方面へと繋ぐ道だ。地元の人たちにとっては重要な生活道路であるらしく、けっこう車の通行量も多い。
この道を左手、北方へ向かえば小野路浄水場の傍らを経て東光寺方面へ、あるいは多摩ニュータウン市場の横へと抜け出ることができる。右手に道なりに進むと小さな峠越えを思わせる切り通しを抜けて大きく曲がり、谷戸の奧と思える地形の窪地を横切って真光寺町との境の尾根へと至っている。谷戸に沿って南へ降りる道が分かれており、これはほぼまっすぐに鎌倉街道の下堤バス停付近へと達している。
真光寺町との境は尾根の鞍部となった地形で、道は十字路となって四方へ延びている。前方、東へ降りる道は真光寺町のほぼ中央を辿って降りてゆく。右手の道は真光寺町と小野路町との境界尾根を辿る道で、進めば和光鶴川幼稚園の傍らへと至っている。この十字路の傍らには町田市のNPO「みどりのゆび」による案内標識が設置されている。案内標識には「中世 伝甲州道」とある。真光寺町も里山の風景を残す地域だが、足を延ばすのは次の機会にしたい。
この道を左手、北方へ向かえば小野路浄水場の傍らを経て東光寺方面へ、あるいは多摩ニュータウン市場の横へと抜け出ることができる。右手に道なりに進むと小さな峠越えを思わせる切り通しを抜けて大きく曲がり、谷戸の奧と思える地形の窪地を横切って真光寺町との境の尾根へと至っている。谷戸に沿って南へ降りる道が分かれており、これはほぼまっすぐに鎌倉街道の下堤バス停付近へと達している。
道を北へ辿ると東光寺の上部を経てやがて国士舘大学体育学部西門へと至り、多摩センター市場の傍らへと抜け出ることができる。国士舘大学の門の傍らから東へ木立の中を抜ける尾根道が延びているが、そこへ進むのはまた次の機会にしたい。
眺めを楽しみながら坂道を下り、東光寺の脇を抜けると鎌倉街道が近い。別所交差点のすぐ北側の信号のところだ。このあたりは街道脇に店舗などが並んで賑やかだ。鎌倉街道の歩道をそのまま北へ向かう。旧道と思われる小径を見つけては入り込んでみる。今は広く真っ直ぐに整備された鎌倉街道だが、昔はこのような細道がうねうねと尾根の間を縫って延びていたのだろう。やがて多摩市へと至り、鎌倉街道は尾根幹線と交差する。今回の散策はここまでにしたい。
小野路町の東部、特に鎌倉街道より東は、緑濃い丘陵の中にも住宅は多く、そのまま尾根を越えて真光寺町と同じ生活圏を有しているようにも思える。その中にも昔ながらの里山の風景が残り、美しい畑地を見ながらの散策は楽しい。時間と体力が許せば真光寺町の西部も含めて歩いてみたいところだが、やはりあまり急がずに、丘の風を楽しみながらのんびりと歩くのがいいように思える。