相模原市田名塩田〜下当麻
八瀬川
(田名塩田〜下当麻)
Visited in June 2009
相模原市の田名塩田地区は昔は相模川左岸の段丘上に畑地の広がる長閑なところだったが、今では整然とした住宅地に姿を変えている。この辺りの行政上の住所表示は以前は「相模原市大字田名」の一部だったのだが、土地区画整理事業に伴って改められ、2002年(平成14年)6月に「田名塩田一丁目」から「田名塩田四丁目」の町名が新設されている。「田名塩田一丁目」の町は「塩田原工業団地」だが、二丁目から四丁目は主として住宅地だ。その田名塩田の住宅地の中を八瀬川が流れている。河岸には遊歩道が設けられ、のんびりとした散策が楽しめる。田名塩田の住宅地からさらに東側の当麻の方へ、この八瀬川に沿って歩いてみよう。
田名塩田地区の中心は県道48号線(鍛冶谷相模原線)に設けられた「塩田中央」交差点の辺りと考えて良いのだろう。丁字路の交差点を成しており、県道48号線から北西側へ、田名塩田地区の住宅地の中を貫いて道路が延びる。「塩田中央」交差点から住宅地の中へ進むと「しおだせせらぎ公園入口」交差点、さらに行くと「塩田さくら橋」交差点があり、そのまま進めば塩田原工業団地の横を抜けて国道129号の「上溝南高校前」交差点へと至っている。「塩田中央」交差点の付近には大型のホームセンターやスーパーなどが建ち、「しおだせせらぎ公園入口」交差点の角にはコンビニエンスストアが建っている。いかにも地区の中心といった佇まいだ。「しおだせせらぎ公園入口」交差点と「塩田さくら橋」交差点との間に「塩田さくら橋」バス停が、「しおだせせらぎ公園入口」交差点の南側に「塩田」バス停が設けられている。バスで訪れるときにはこれらのバス停を使うことになるのだが、便数が一時間に一本ほどと少ないのが難点だ。
八瀬川に沿っての散策に出かける前に、「塩田中央」交差点から県道48号を少し西へ辿り、望地河原へと降りてみよう。これまでも何度か訪れたことのあるところだが、田植えの時期に訪れたことはない。田植えの頃の水田の風景が好きで、ぜひ見てみたいと思ったのだ。「塩田中央」交差点から望地河原へと降りるにはずいぶんと遠回りして河岸段丘に設けられた斜路を降りなくてはならないが、がんばって歩こう。
六月の望地河原は、やはり美しい風景だった。ほとんどの田圃ではもう田植えが終わっているようだったが、農作業中の人の姿もあった。田圃は水を湛えて緑濃い風景を映し、植えられたばかりの苗が風に揺れている。少し頼りなさげだが、しっかりと根を張ろうとしているように見えるのがいじらしい。水田の風景を堪能して、再び河岸段丘の上に戻り、八瀬川に沿っての散策に向かおう。
「塩田さくら橋」交差点は「橋」の文字が示すように下を八瀬川が流れている。あまり“橋”という様相ではないのだが、交差点全体が橋の上という構造のようだ。交差点の角には小さな緑地スペースも設けられている。「塩田さくら橋」交差点から少し八瀬川の上流へ向けて歩いてみよう。八瀬川の右岸側に遊歩道が沿っている。河岸は草地のスロープに造られており、潤いのある景観を見せる。スロープには川面近くまで降りて行けるように階段が設けられている。八瀬川の水はなかなかきれいで、夏になれば子どもたちが水遊びする姿を見ることができるのかもしれない。
河岸の小径を上流側へと進もう。右岸側の河畔は田名塩田四丁目の住宅街だが、左岸側には鬱蒼と木々が茂っている。地図を見るとどうやら天地宮というお社が木々に包まれて建っているようだ。ずいぶんと大きなクスノキも枝を広げている。河岸には小公園のようなスペースも設けられている。右岸側にも木々が植栽されて緑濃い佇まいだ。そのまま上流側へと辿ってゆくと、やがて「こぶし橋」という橋で遊歩道が終わっている。田名塩田四丁目の住宅街もここまでだ。ここから先の八瀬川上流部は畑地の中を真っ直ぐに延びる用水路のような様相で、これが昔の姿だ。土地区画整理事業によって田名塩田の住宅地が造られた際、その区域の八瀬川も“親水”という点に重点を置いて整備されたことがよくわかる。
「塩田さくら橋」交差点まで戻って、今度は下流側に向かって歩いてみよう。「塩田さくら橋」の下流側では川の両岸に遊歩道が沿っている。河畔は田名塩田二丁目の住宅地だ。辿ってゆくと南へ向かって流れていた八瀬川が東に向かって流れを変える。八瀬川が曲線を描くところに小さな人道橋が架かっている。人道橋の右岸側に「しおだせせらぎ公園」という小公園があり、人道橋も公園の一部のように機能している。しおだせせらぎ公園は広場を中心にした小公園で、その名が示すように園内を小さな“せせらぎ”が流れている。もちろん人工的なものだが、ここも夏には子どもたちの水遊び場となることだろう。
「しおだせせらぎ公園」の隅に「相模原市しおだ土地区画整理事業 完成記念碑」が置かれている。記念碑の裏には塩田地区の簡単な歴史や土地区画整理事業までの経緯などが記されている。経済成長期に周辺が都市化してゆく中、塩田地区は市街化調整区域の規制があって“身動き出来ない状態”であったという。この規制の解除を求める運動に十年を費やし、さらにその三年後の1992年(平成4年)に土地区画整理事業組合が設立され、それから十年をかけて事業が完成する。施工地区面積は33万平方メートルほど、総事業費は171億超であるという。整然とした住宅地に姿を変えた田名塩田地区も、こうした背景を知った上で見るとまた違った視点で見ることができるような気がする。訪れたときにはぜひ目を通しておきたい。
しおだせせらぎ公園からさらに下流側へと辿ってゆこう。右岸側の遊歩道を歩く。八瀬川は自然のままの川を思わせるように美しく整備されている。護岸工事の施された中に、さらに緩やかに蛇行して流れる川を造り、その岸辺には草が生い茂っている。ところどころに川面近くへ降りて行けるように階段が設けられ、親水公園のような佇まいだ。川岸には木々が並んで緑濃い風景を成している。もちろん人工的に作り上げられた風景だが、なかなか美しい。河畔に建ち並ぶ住宅の意匠も洒落たものが多い。その風景を楽しみながら歩く。
川岸の遊歩道を辿ってゆくといくつかの橋が架かっている。橋にはそれぞれ「もみじ橋」、「あじさい橋」、「ひばり橋」と風雅な名を与えられている。やがて「さかい橋」という名の橋に辿り着き、そこで遊歩道は終点だ。橋には「この先とおりぬけできません」と書かれたパネルが取り付けられている。さかい橋から下流側を見ると、川の両岸には鬱蒼と木々が茂り、八瀬川はその林の中へ吸い込まれてゆく。なるほど、とおりぬけはできないようだ。ここからは河岸に沿って歩くのをあきらめ、八瀬川の南側を東西に抜ける道路を辿ることにしよう。
さかい橋から少し南へ辿ると「しおだせせらぎ公園入口」交差点から西へ延びる道路との交差点へ出る。その道路を西へ、当麻方面へと向かって辿るつもりだが、その前に寄り道をしてゆこう。
200メートルほど南西側へ進むと、県道48号沿いに
田名向原遺跡公園があるのだ。約二万年前の後期旧石器時代の住居跡の遺跡が発見されたところで、その遺構を保存活用する目的で設けられた公園だ。田名向原遺跡公園自体は県道48号の西側、相模川を見下ろす段丘上にあり、前述の後期旧石器時代の住居跡遺構や、「谷原古墳群」を復元したものなどが屋外展示されている。県道48号を挟んで「史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館」という施設もあり、館内には旧石器時代の人々の暮らしを再現したものなどが展示されている。
田名向原遺跡公園を見学したら、また八瀬川に沿っての散策に戻ろう。さかい橋南側から西へと歩く。道路の両脇は畑地が広がり、昔日の塩田地区の姿を偲ばせる。畑では農作業中の人たちの姿もある。北側には畑地の向こうに鬱蒼と木々が茂っている。八瀬川はあの木々に包まれて流れているのだろう。長閑な風景だが、その畑地の中に送電線の鉄塔がいくつも聳え立っているのはいかにも現代的な風景だという気がする。その姿を無粋な人工物と見るか、あるいはそれもまた“風景”としての興趣と見るか、ひとそれぞれだろう。
畑地の中を抜ける道路を西へ辿ってゆくと、道路の南側に「神奈川県内広域水道企業団 相模原ポンプ場」という施設がある。その門脇に「当麻谷原古墳について」と題された案内板がある。それによれば、谷原地区から塩田地区にかけて、かつて十数基の古墳があったという。1959年(昭和34年)に1号墳を調査したところ、人骨や直刀、金環、玉類が発見され、この1号墳は1960年(昭和35年)に相模原市の史跡に指定されている。1969年(昭和44年)、この地にポンプ場の建設が計画され、古墳群の一部にも工事が及ぶことになったため、発掘調査の後、1号墳と3号墳、4号墳を元の状態に整備して敷地内に保存してあるのだという。残念ながら敷地内に入って見学することはできない。施設の東側に回り込むと「当麻谷原古墳見学位置」と記されたパネルの取り付けられたフェンスがあり、そこから覗き見るだけだ。前述の田名向原遺跡公園にはこの「当麻谷原古墳」の13号墳と14号墳が保存されているから、田名向原遺跡公園でしっかり見学しておく方が良さそうだ。
「神奈川県内広域水道企業団 相模原ポンプ場」前を過ぎるとすぐに「谷原橋」で国道129号を越える。谷原橋から国道129号を見下ろす。南側を見ると新昭和橋で相模川を一気に跨いでほぼ真っ直ぐに国道が延びる。一般国道だがかつてバイパスとして造られたもので、まるで高速道路をような様相だ。交通量もたいへんに多い。国道129号は、特に橋本から厚木までの区間、国道16号と国道246号とを繋いで重要な役割を担っている。この地域には南北に延びる幹線道路が少ないからで、相模縦貫道の完成が待たれる。
国道129号を越えてさらに東へ辿ると、カーヴを成した坂道がある。「ひかげ坂」という名の坂道だ。“一日中日があたらない”ことからその名があるという。今では車の通行も可能な道路だが、昔は鬱蒼と木々が茂る崖を小径が辿っていたのだろう。その頃の様子を想像すれば、“一日中日があたらない”ことにも納得がいく。坂道は南側は石垣で、北側には木々が茂っている。なかなか風情のある佇まいの坂道だ。坂道の下には乳牛を飼育している農家もあった。昔からここで酪農を営んでおられるのだろう。その農家の横手を八瀬川が流れている。
農家脇をそのまま進むと大きな道路へ抜け出る。県道508号(厚木城山線)、旧国道129号だ。すぐ南側で県道52号(相模原町田線)に合流する。合流点の三叉路には「下当麻」の名がある。北東側には木々の茂った丘がある。この丘には
無量光寺が建っている。「下当麻」交差点を横切り、相模川の河畔に広がる水田地帯へと向かおう。この水田地帯は
以前、歩いたことがあるが、何しろこうした水田地帯の風景が好きだから今回も少し歩いてみたい。こちらの田圃も田植えが終わったばかりのようだ。水を湛えた田圃で揺れる小さな苗の姿が頼りなさげに見える。水田地帯の風景を楽しみながら歩き、そろそろ相模線の原当麻駅を目指して帰路を辿ることにしよう。
田名塩田の住宅地は以前から歩いてみたいと思っていたところだった。その中を流れる八瀬川が美しく整備されていることを知って、川沿いに歩いてみたいと思っていたのだった。今回ようやく機会を得て歩くことができた。少し足を延ばし、望地河原や当麻の水田地帯も歩くことができてなかなか楽しい散策だった。