横浜市青葉区寺家町
寺家ふるさと村
Visited in June 1999
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
横浜市の北端に位置する青葉区の、さらにその北端に近く、町田市と川崎市麻生区に接して寺家町がある。「寺家」は「じけ」と読む。古くからの農村の風景を残す寺家町は「寺家ふるさと村」として知られ、特に西部の「ふるさとの森」の周辺は雑木林の里山とそこに入り込む谷戸田の風景が美しく、季節を問わず多くの人々が訪れている。その「寺家ふるさと村」を歩いてみた。
「寺家ふるさと村」の歴史は日本の経済成長著しい1960年代に始まる。次第に都市化してゆく周囲の状況を見ながら、寺家町だけが取り残されて行く危機感もあったかもしれない。あるいは都市化の波から寺家の自然を守りたいという思いもあったかもしれない。地元寺家町の人々によって地域の特徴を活かした地域活性化の方法が模索され、ようやく基本計画が策定されたのは1982年(昭和57年)のことだったという。1984年(昭和59年)、寺家ふるさと村体験農業振興組合が設立され、諸施設の整備を経て、1987年(昭和62年)に「四季の家」が開館、総事業費9億円以上という「寺家ふるさと村」は完成する。地元主体で始まり、市と県と国との協力を得て、それらが一体となって推し進めた「ふるさと村」は、それまでに例を見ない、初めての試みであったという。
寺家ふるさと村を訪れるほとんどの人にとって、いちばんの魅力はやはり「ふるさとの森」周辺の豊かな自然だろう。寺家の自然は手つかずの自然というのではない。人々の営みの中で守り、受け継がれてきた里山と谷戸田の自然だ。それらは首都圏の町中や新興住宅街に暮らす人々にとって郷愁を誘う風景であるのかもしれない。
寺家ふるさと村にはさまざまな施設が点在しているが、その中心とも言えるのが「四季の家」だ。「四季の家」は研修室や農産加工室などを備える施設で、レストランも併設している。エントランスから入ったところのホールギャラリーでは寺家ふるさと村の自然や農業などについての紹介が展示されており、訪れた際にはぜひ目を通しておきたい。エントランス横では農産物の直売が行われていて、買い求める人の姿も少なくない。農産物加工室では料理教室や味噌づくり教室なども催されるとのことだ。
「四季の家」から「ふるさとの森」の方へと足を向けると、雑木林の里山を背景に熊野神社の白い鳥居が見える。水田越しに見る鳥居周辺の景観が美しい。鳥居をくぐると神社へと続く石段が林の中へと延びている。神社の境内にはモミの大木があり、これもぜひ見ておきたいものだ。樹高25メートル、胸高周囲2.5メートル、樹齢は約150年というモミの木で、神奈川名木百選と横浜市の名木古木の双方に指定される美しい樹木である。
熊野神社の傍らから林の中へと散策路が延びている。散策路は全体的に整備が行き届いているが、山道と言うべき小道や急な坂もあり、いかにも昔ながらの里山の風情を残していて散策は楽しい。途中にはテーブル付きのベンチが設置されている場所もあり、お弁当を広げたり、一休みするには絶好の場所だ。散策路をしばらく行くと、「ふるさとの森」を横断する別の散策路を小さな橋で越える。そちらの散策路に降りて左手に進むと「熊の池」だ。「熊の池」は釣り堀で、釣りをしない人の入場はできないとのこと。「熊の池」から「ふるさとの森」を横断して反対側に出ると「むじな池」がある。雑木林の中に抱えられるようにひっそりと横たわる池の佇まいにはどことなく幽玄の雰囲気が漂い、野鳥の声を聞きながら水面を見ていると時の経つのを忘れる。
「むじな池」の北側には水田が広がっている。「四季の家」前あたりから西へと入り込む谷戸の水田で、この谷戸の最も西に奥まったあたりに「大池」がある。寺家には「大池」「むじな池」「新池」「熊の池」「居谷戸池」という五つの池があるが、すべて農耕用の溜池なのだという。これらの溜池の水の使い方など、「四季の池」のホールギャラリーに説明があって興味深い。谷戸はさらに小さな谷戸が分かれて里山の間に延び、それらの織りなす風景はのどかで穏やかで、どこか懐かしい。やはり初夏から秋にかけての季節の風景がよく、青々と稲の育つ夏の谷戸田や、
黄金に実って刈り取りを待つ秋の谷戸田などの風景は寺家の最も魅力的な風景のひとつと言ってよいだろう。例えば真夏の快晴の日、降り注ぐ蝉時雨の中、谷戸田も里山も濃い緑に覆われ、その上には真っ青な空が広がり、真っ白な入道雲が山の向こうに湧き起こっている。そんな風景には何とも言えない郷愁のようなものを感じる。
「ふるさとの森」の北側に、「大池」付近から「四季の家」の付近にかけて広がる谷戸田の両脇には道路が通っており、のどかな風景を眺めながらそぞろ歩きを楽しむ人の姿は多い。道沿いには水車小屋や郷土資料館などもあって散策の足を止めたくなるところだ。この道沿いで木立を見上げながら虫取り網を構える人の姿があった。蝶を探しているのだという。東京近郊ではあまり見られなくなった珍しい蝶も、このあたりではまだその姿を見つけることもできるのだろう。
「寺家ふるさと村」は体験農園などもあって来訪者を迎える体制があるとは言え、決して「公園」ではなく地元の人々が日常の暮らしを営む場所であることを忘れてはならない。水田の畦道などにもつい足を踏み入れたくなるが、特に耕作中であれば美しい水田の景観を道路から眺めるだけにしたい。道路も車輌の通行があるので散策の際には注意が必要だ。
寺家町の東側は鶴見川流域の平坦な地形で、体験温室やテニスコート、ゴルフコース、梨園、バーベキュー施設など、さまざまな施設が点在している。「寺家ふるさと村」のイラストマップを兼ねたこれらの施設の利用案内が「四季の家」に用意してあるので、初めて訪れた際にはまずこれを貰っておくとよいだろう。
駐車場は「四季の家」に50台分ほどが用意され、さらに4〜5月と8〜11月の土曜・日曜・祝日には東側の寺家橋近くに臨時駐車場が用意されるので利用するとよいだろう。バスであれば東急田園都市線青葉台駅から「鴨志田団地行き」の路線に乗って終点で降りるのが最も近いが、横浜上麻生道路を通るバス路線の「早野」バス停や「鉄町」バス停なども利用できる。
「寺家ふるさと村」の景観はそのあまりの整然さに多少の作為的なものを感じなくもない。しかし、古くからの里山と谷戸の自然を活かしての地元の活性化という目的のために整備された「ふるさと村」の生い立ちを考えれば、それも無理のないことだと言える。そうした取り組みがなければ、大規模な造成による新興の住宅街が間近に迫るこの地域において、これほどの景観を残し、維持してゆくことは不可能だっただろうし、これからはさらに難しいことだと言っていい。寺家町では新しい建物を造る際にも景観を壊すことのないように配慮されるのだとも聞く。地元の努力によって守られる里山と谷戸の自然が来訪者の手によって壊されてしまうことのないように、訪れる際には充分に気を付けたい。
【追記】
本頁の内容は1999年6月に寺家ふるさと村を訪れたときのものである。この後、熊野神社は不審火による火災で焼失、現在のものは2002年に再建された新社殿である(本頁掲載の写真は焼失前の旧社殿)。また熊野神社裏手から「ふるさとの森」へと続いていた散策路は2002年3月末で廃止されている。