横浜線沿線散歩街角散歩
八王子市横山町〜追分町
甲州街道
(横山町〜追分町)
September 2005
甲州街道
初秋のよく晴れた日、八王子市の中心部を国道20号線、いわゆる「甲州街道」に沿って歩いた。八王子市の中心市街は江戸時代には「甲州道中」の八王子宿として大いに賑わったところだ。甲州街道はその八王子市街の中心部を東西に抜ける。道沿いには老舗らしい佇まいの店舗が今も残り、古き佳き時代の商店街の香りを漂わせている。その甲州街道を、横山町から追分町にかけて歩いてみた。
マルベリーブリッジから「桑並木通り」を見る
八王子駅を北口へ出る。「マルベリーブリッジ」という名のペデストリアンデッキがバスターミナルとなった駅前ロータリーを跨ぎ、JR駅構内と各バス乗車場、ロータリー北側の歩道とを繋いでいる。「マルベリー」とは「桑」のことだ。古来、八王子は「桑の都」と呼ばれ、織物が地場産業として発達した土地柄だ。駅北口から北へ「桑並木通り」が延びている。通りの両脇にはさまざまな商業ビルが建ち並んでいる。かつてはその名のように桑の並木だったらしいが、現在はマロニエの並木で、通りの名だけが「桑並木」を残している。「マルベリーブリッジ」と「桑並木通り」は「みち・まちかどの景」として、またロータリーの北西側に建つ「スクエアビル」が「建築物の景」として、それぞれ「八王子八十八景」に選ばれている。
将軍の孫若き日の母
「桑並木通り」を北へ進むと、「八王子駅入口」交差点に至る。国道20号線、すなわち「甲州街道」との交差点だ。「桑並木通り」は交差点からさらに北進し、浅川を越えて「ひよどり山有料道路」へと接続している。交差点の南東側と南西側の角の歩道脇に、それぞれ彫刻作品が置かれている。南東側のものは「将軍の孫」、南西側のものは「若き日の母」という作品名で、長崎市の「平和祈念像」などで知られる著名な彫刻家、北村西望の作品だ。彫刻に興味のある人ならぜひ見ておきたいところだろう。彫刻の置かれた交差点の角にはシダレザクラの木が植栽されており、三月下旬から四月上旬の花期には美しいピンクの花を咲かせ、ビルの建ち並ぶ街角を彩っている。
市守神社
「八王子駅入口」交差点の北東側にはビルに挟まれるようにして市守神社がある。その名が示すように、八王子の宿で開かれる市の取引の平穏無事を祈って「倉稲魂命」を市神として祀ったのが始まりという。鳥居横に八王子市教育委員会による解説があり、そうした説明が記されている。例祭は毎年二月の初午の日だそうだが、江戸時代中期に「天日鷲命」が祀られて以降、十一月の酉の日に「大鷲(おおとり)祭」、いわゆる「酉の市」が開かれるようになり、現在も「お酉さま」として親しまれている。訪れたときは九月だったが、すでに今年(2005年)の酉の市の開催日を告知する案内が設けられていた。酉の市では境内で縁起物の熊手が売られ、甲州街道沿いにも露店が並んで大いに賑わうという。この「酉の市」も八王子八十八景のうちの「まつり・行事の景」として選ばれている。
甲州街道沿道の商店甲州街道沿道の商店
甲州街道
「八王子入口」交差点から、甲州街道を西へ進もう。町名は「横山町」だ。こうした大きな通りは町の境となっていることが多いものだが、ここではそうではない。甲州街道は横山町から西の八日町、さらに八幡町、八木町、追分町と続く町のほぼ中心を貫いて延びる。言い換えれば、それぞれの町が甲州街道と沿道に建ち並ぶ商店をその中心に抱いて広がり、八王子市の中心市街を成している。八王子の街が甲州道中の宿場を中心に発展してきたことを物語るものかもしれない。特にこの横山町から八日町にかけての地域が、江戸時代から栄えた八王子の中心と言ってよく、今も沿道には昔ながらの佇まいを見せる商店が数多く残っている。歩道にアーケードが残っているのも今では昔懐かしい商店街の風情を漂わせ、建ち並ぶさまざまな商店の店先の様子を眺めながらの散策は楽しい。
八幡八雲神社
横山町郵便局が角に建つ「横山町郵便局前」交差点から北へ入り込んでゆくと、道の西側に八幡八雲神社が建っている。その名が示すように、八幡宮と八雲神社(天王社)を合祀したもので、八幡宮は誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)、八雲神社は素盞鳴尊を祭神としている。八幡宮は924年(延長2年)に武蔵守隆泰が国司のときに石清水八幡宮をこの地に勧請したのが起源という。八雲神社は、言い伝えによれば916年(延喜16年)に華厳菩薩妙行が深沢山(八王子城山の古称)に牛頭八王子権現を祀ったのが始まりという。北条氏照がそこに城を築き、八王子城としたのが、「八王子」の名の由来となったのだという。八王子城落城の後、曲折を経て天王のご神体はこの地の八幡宮と合祀されることとなり、八幡八雲神社になったものだ。八王子では「東の鎮守」として人々の崇敬を集めている(「西の鎮守」は元本郷町の多賀神社)。
八幡八雲神社八幡八雲神社
八日町交差点
さらに甲州街道を西へ進むと「八日町」交差点だ。南から国道16号線が甲州街道に合流する。国道16号線は「八日町」交差点で西に折れて西進し、「八幡町」交差点で北へ折れてゆく。だから「八日町」交差点から「八幡町」交差点まで国道20号線と国道16号線が重なっているわけで、交通量もたいへんに多いところだ。「八日町」交差点から北進する道路は「みずき通り」という名で、一方通行の商店街だ。さらに「八日町」交差点から八王子駅北口へ向けて「西放射線ユーロード」という歩行者専用道路も延びており、「ユーロード」へと続く交差点の南東側の角にはちょっとした広場がある。駅方面から甲州街道へ、あるいは「みずき通り」へ、「八日町」交差点周辺を行き交う人々の姿はたいへんに多い。

一般国道八王子道路元標
この「八日町」交差点の南東側、「ユーロード」へと続く広場の脇に、「一般国道八王子道路元標」が置かれている。「道路元標」というのは道路の起終点や経過地点を示すための石標のことで、1919年(大正8年)に制定された旧道路法によって各市町村に一個設置することとされ、たいていは市町村役場の前や主要道路の交差点に置かれていた。八王子では大正9年当時の「八幡町三番ノ一」に定められていたものという。現在では「道路元標」の設置を義務づけた法令などはなく、道路の改修などによって失われた道路元標も多いらしいが、一種のモニュメントのように設置されている例も少なくないようだ。この「一般国道八王子道路元標」は国道16号、国道20号に於ける「八王子」を示す距離の起点として設置されたものであると、説明が添えられている。その説明によれば、実際の起点は道路元標の北西側19メートルの、「八日町」交差点の中央にあるらしい。ちなみにこの地点は国道16号では横浜市桜木町の起点から40km、国道20号では東京都中央区日本橋の起点から45kmであるという。
甲州街道のアーケード
「八日町」交差点の名が示すように、ここから西は八日町になる。交差点近くの歩道にはアーケードが残されているが、少し進むとアーケードは撤去されてしまう。横山町の区域でも、ところどころ櫛の歯が抜けるようにアーケードが撤去されたところがあった。時代が移り、人々の生活や価値観も変わり、商店街の在り方も変わり、アーケードというものは時代にそぐわなくなってしまったのかもしれない。老朽化に伴い、改修よりも撤去の道が選ばれたのだろう。雨天のときにも濡れずに買い物ができたり、アーケードは利点もあったが、陽光を遮り、暗い雰囲気になってしまう側面もある。確かにアーケードが撤去された歩道は明るく開放感を増したようにも感じられる。やがて時が経てば、甲州街道のアーケードもすっかり姿を消してしまうのかもしれない。
荒井呉服店付近
八日町のほぼ中央、甲州街道の北側に荒井呉服店が建っている。1912年(大正元年)創業の、老舗の呉服専門店である。荒井呉服店はまたシンガー/ソングライター、松任谷由実の実家としてもファンには広く知られている。松任谷由実は1954年(昭和29年)1月19日、荒井呉服店の次女として生まれている。中学時代にプロコル・ハルムの「青い影」に触発されて作曲を開始、1971年(昭和46年)、17歳のときに自作曲が加橋かつみ(元タイガースのメンバー)のシングル曲として採用されている。1973年(昭和48年)、多摩美術大学在学中にシングル「きっと言える」とアルバム「ひこうき雲」によってシンガー/ソングライターとして本格デビューを果たしている。もちろんデビュー時は「荒井由実」である。1976年(昭和51年)、22歳のとき松任谷正隆と結婚、以後は「松任谷由実」として活動を続けている。デビュー以降、彼女が日本の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。1970年代後半以降の日本の流行音楽はすべて何らかの形で彼女の影響下にあると言っても過言ではない。
八日市宿跡碑
荒井呉服店の並び、小さな交差点を挟んで西に高層の建物が建っている。「ビュータワー八王子」という。「タワー」という言葉が示すように、この建物は八王子の中心市街の中でもひときわ高い。上部は住居だが、一階部分には店舗が並び、二階は「八王子夢美術館」になっている。その「ビュータワー八王子」の敷地の東南の隅、甲州街道の歩道近くに「八日市宿跡」の碑が建てられている。その名が示すように、この辺りに「八日市宿」が在ったことを示すものだ。八王子の街が現在の市街中心部に形成されたのは戦国時代の終わり頃のことで、北条氏が滅ぼされた後、徳川家康統治下になって八王子城下にあった街が移転したものという。甲州道中が整備され、横山、八日市、八幡の三宿が開かれたのが八王子の街の始まりで、江戸時代も後期になると人々の往来も増えて大いに発展した。八王子には伝馬宿だった横山宿と八日市宿を中心に十五の宿場があり、それらを総称して一般に「八王子宿」と呼ぶ。横山宿では四の付く日に、八日市宿では八の付く日に市が立ち、大いに賑わったという。それらの宿場の名は現在の「横山町」、「八日町」、「八幡町」などの町名に残っている。現在でも横山町から八日町にかけての区域が八王子の市街地の中心と言ってよく、そこからJR八王子駅、京王八王子駅を結ぶラインを中心に繁華街が広がっている。毎年8月初めに開催される「八王子まつり」でも、その中心になるのが横山町から八日町にかけての区域だ。
土蔵造りの商店
「ビュータワー八王子」前から少し西へ行けば「八幡町」交差点だ。交差点から北へ国道16号が延びる。交差点から西は八幡町になる。八幡町に入るとアーケードはさらに撤去が進んでいるようで、残っているところの方が少ないように見える。「織物組合前」バス停を過ぎたところに「本郷横丁東」という交差点がある。その交差点の北東側の角に、土蔵造りの倉をそのままに使った商店が建っている。聞いた話によれば、この建物は戦前のものという。八王子の中心市街には戦前の建物はあまり残っていない。1945年(昭和20年)8月、空襲によって八王子の中心市街が焦土と化してしまったからだ。1945年(昭和20年)8月2日未明、八王子の街は200機近くにもなるB29の爆撃に晒された。落とされた焼夷弾は数十万発、1600トンにも及んだという。燃え広がった火は人々が眠りについた街を焼き尽くした。一夜明けた八王子の市街地は一面の焼け野原だったという。この空襲によって市街地の80%が焼失、400名を超える人命が失われた。忘れてはならない記憶として、この「八王子空襲」は八王子市民の間に今も語り継がれている。「本郷横丁東」交差点角に建つ土蔵造りの建物は、「八王子空襲」にも焼け残った貴重なもののひとつであるらしい。こうした建物は「甲州街道の老舗」として「八王子八十八景」のうちの「建築物の景」のひとつに選ばれている。
八王子信用金庫
「本郷横丁東」交差点から少し西へ進めば「本郷横丁」交差点だ。北へは秋川街道が、南へは松姫通りが延びる。「本郷横丁」交差点から西は「八木町」になる。この辺りまで来ると歩道のアーケードはほとんど残っていない。甲州街道沿いの街並みは再開発されて整然とした佇まいを見せる。歩いていると「八王子信用金庫」の建物が目に入った。「八王子信用金庫」は八日町に本店があり、地元の金融機関として「はちしん」の愛称で市民に親しまれてきたが、多摩中央信用金庫、太平信用金庫と合併し、2006年(平成18年)1月10日からは「多摩信用金庫」となることが決まっている。緑の地に白く「はちしん」と記した看板ももう間もなく見ることができなくなるかと思って、カメラのレンズを向けたのだった。
甲州街道沿道の商店甲州街道沿道の商店
追分道標
八木町を抜けると追分町だ。「追分」の名が意味するように甲州街道から陣馬街道が逸れる。現在の「追分」交差点は東側の甲州街道と北大通り(きたおおどおり)、西側の甲州街道と陣馬街道とがX字型の交差点を成し、さらに細い横道が合わさって複雑な形の交差点になっている。甲州街道は「追分」交差点でわずかに左(南)へ折れるようにして西へ延びる。「追分」交差点を直進すると陣馬街道だ。陣馬街道は陣馬山へと通じる道だからこの名があるわけだが、昔は武州案下に通じる道ということで「案下(あんげ)道」と呼ばれており、甲州街道の裏街道に当たるために甲州裏街道とも呼ばれていたという。「追分」交差点の西側、甲州街道と陣馬街道とが分岐する角に、追分の道標が建っている。道標は人の背丈ほどの四角い石柱で、甲州街道側には「甲州道中」、陣馬街道側には「あんげ道」の文字が刻まれている。傍らには八王子市教育委員会による解説板が置かれており、この解説によれば、この道標は1811年(文化8年)に江戸の清六という足袋屋の職人が高尾山に銅製五重塔を奉納した記念に建てた三ヶ所の道標のうちのひとつという。その後、道標は「八王子空襲」によって四つに折れてしまい、そのときに行方不明となってしまった部分もあるらしいが新たに石を補充して現在の道標が復元されている。道標は折れた跡の継ぎ目が痛々しいが、二段目と四段目が当時のままだという。交通量の多い交差点の片隅に建つ道標を見ながら、この道標が辿った歴史に思いを馳せるのも感慨深い。
イチョウ並木の甲州街道
「追分」交差点から西へ、甲州街道はイチョウ並木だ。並木は「追分」交差点から高尾駅前まで続く。800本近くになるイチョウの並木は1927年(昭和2年)、大正天皇の御陵造営記念として植えられたものであるらしい。大きく育ったイチョウが延々と続く並木はたいへんに美しく、特に秋の黄葉に染まったときの景観は素晴らしいもので黄葉の名所のひとつとしてよく知られている。今はまだ9月だから黄葉には早く、イチョウの並木は緑の葉を茂らせて歩道に木陰を落としている。イチョウ並木の歩道を西へ行けばやがて「千人町」交差点だ。この辺りの町を「千人町(せんにんちょう)」という。この辺りに「八王子千人同心」の拝領屋敷があったことに由来するものだ。「千人町」交差点から北へ延びるのは八王子市役所方面へ至る「市役所通り」、南へ延びるのは「御所水通り」だ。「千人町」交差点からさらに西へ行けば「西八王子駅東」交差点が近い。そこから南へ入り込めばJR中央線の西八王子駅だ。今回の甲州街道散歩はこのあたりで終わりにして、西八王子駅から帰路を辿ることにしよう。
今回の甲州街道散策は、歩き終わってみると少しばかり急ぎ足になってしまった気もする。もっと時間をかけて、寄り道をしながらのんびりと歩いてみるのがいいかもしれない。特に横山町、八日町の辺りはまた別の機会を設けてゆっくりと歩いてみたい。
甲州街道