横浜線沿線散歩街角散歩
町田市小山ヶ丘〜相模原市淵野辺
境川河畔
(小山ヶ丘〜淵野辺)
October 2011
境川
今回もまた境川に沿って歩こう。今回は橋本で横浜線から京王線に乗り換え、多摩境で降りた。多摩境駅から境川の河岸に出て、下流側へと向かって歩き、淵野辺駅を目指そうというコースだ。十月の末、澄み渡った青空に恵まれた日で、散策には絶好の日和だった。
多摩境駅
京王線の多摩境駅は半ば地下に造られたような様相の駅だ。駅のすぐ北側は八王子市との市境の尾根になっており、線路はその尾根をトンネルでくぐってゆく。多摩境駅も深い切通の地形になっているために、半地下のような状態なのだ。電車を降りて改札から出ると、“地上に出た”という感じがする。駅への出入り口はまるで地下鉄の出入り口のようだ。

周辺は小山ヶ丘と名付けられた住宅地で、南に境川河畔を見下ろす丘になっている。北を見れば市境の尾根が横たわっている。尾根はこの辺りでは都立小山内裏公園として整備されているが、今回は小山内裏公園に背を向け、境川河岸の散策へと出発することにしよう。
小山多摩境公園からの景観
多摩境駅の出入り口から南側の道路を渡ったところに小山多摩境公園という小公園がある。ふたつの広場を設けて、遊具類を配した、近隣に暮らす人たちのための公園だ。

この公園、京王線の線路のすぐ東側に位置し、線路が深い切通の形状になっているために公園の隅から視界が開け、橋本駅へ向かって延びる線路の様子がよく見える。線路の先には橋本駅周辺に林立する高層ビルのシルエットや橋本変電所周辺の鉄塔のシルエットが見え、その向こうに遠く山並みの稜線が墨絵のように浮かんでいる。あの山並みは津久井から城山にかけての辺りだろうか。なかなか壮観な眺めだ。
札次神社
眺めの良い公園の隅から石段を下りてゆくと公園のすぐ下に札次神社という神社がある。武御雷命(たけみかづちのみこと)を祀る神社で、境内に建てられた御由緒によれば、常陸国(現在の茨城県)の一之宮鹿島神宮を勧請したものらしいが、創建の年代は不詳という。「寛文六年の検地の時札次大明神の朱印社領高二石二斗を受ける」と御由緒にはあるから、少なくとも寛文6年(1666年)以前に創建されたものなのだろう。現在の社殿は1999年(平成11年)に建て替えられたものという。かつては緑濃い丘を北に背負って鎮座していた神社なのだろうと思うが、今は小山多摩境公園を背負って建っている。

札次神社参道
札次神社の前から南へ延びる道は参道なのだろう。道の僅かなカーヴや、道脇の様子が昔からの道であることを窺わせる。道脇には農家らしい家も建っている。今ではすっかり住宅街だが、かつては長閑な風景の広がるところだったのだろう。道を南へ辿ってゆくとやがて丁字路に行き当たった。交差点の角には「指定村社 札次神社」と刻まれた石柱が建っている。おそらくここが参道の入口、東西に延びる道路は町田街道の旧道なのだろう。丁字路を西へ折れるとすぐに京王線の高架をくぐる。その高架に沿うように線路西側に新しい道路が通っている。その道路を南へ歩けばすぐに町田街道だ。
坂本橋から境川を見る
町田街道は近年になって拡幅工事が行われた。広くなった町田街道を京王線の高架が一跨ぎにする。町田街道は交通量が多く、今日も渋滞しがちだ。この付近では町田街道のすぐ南側に沿って境川が流れており、京王線高架下には坂本橋という橋が架かっている。境川の流れは比較的直線的で、曲がりも緩やかだが、地図を確認すると町田市と相模原市との市境(すなわち都県境、かつての武蔵国と相模国との境)は境川の右岸側にくい込んだり、左岸側に渡ったりと曲がりくねっている。その曲がりくねった都県境が、かつて蛇行していた頃の境川の流路を示しているのだろう。

境川河岸
坂本橋から境川の左岸を下流側に向かって歩こう。町田市側の河岸は小山町、対岸の相模原市側は宮下本町、どちらも住宅地だ。左岸側には舗道が設けられており、車の通行を気にせずに河岸を歩くことができる。舗道は桜並木だ。春になれば美しい景観を見せてくれることだろう。その桜の並木の中に石榴の木が植えられていたり、コスモスが花を咲かせていたりする。石榴はちょうど実が色づく季節だ。木々の間から境川の川面を眺めれば、日差しが水面に煌めいている。
境川河岸にて境川河岸にて
境川河岸の風景
河岸を歩いて行くとやがて大正橋、大正橋のほぼ真上で送電線が境川を斜めに横切っている。大正橋から下流側を眺めると、左岸側に立つ鉄塔の姿が見えた。

さらに下流側へと辿って昭和橋、昭和橋を渡って、ここからは境川の右岸側を歩こう。歩いて行くと河岸のフェンス際にコスモスが咲いているところがあった。近隣の人が植えたものだろうか。澄み渡った秋空の下、赤やピンクのコスモスの花と白いガードレール、空を横切る送電線と聳える鉄塔といったものが面白い風景を作り出している。

河岸の風景
大正橋、昭和橋と続いたので大方の察しは付くが、次は平成橋だ。境川は緩やかなカーヴを描いて流れてゆく。河畔は相変わらず住宅地だが、ところどころに畑地も残っている。

平成橋から200メートルほど行くと小山橋、神奈川県道・東京都道503号線が境川を跨ぐ。しばらく町田街道から離れていた境川が、この辺りでまた近づく。小山橋のすぐ北側には町田街道と503号線との「小山」交差点がある。小山交差点付近の町田街道はちょうど拡幅工事の最中で、終了間際という様子だった。

カヴァーのかけられた鉄塔
小山橋から再び境川の河岸を歩く。さらに下流側へ歩いていると、見慣れない光景に気付いた。境川に沿うように並んでいた送電線の鉄塔に、その半分を覆うようにカヴァーがかけられているのだ。一基だけではなく、数基の鉄塔にカヴァーが架けられている。小山小学校の横まで来ると、その鉄塔を間近に見上げることのできるところがあった。どうやら鉄塔のメインテナンスに際して安全のためにカヴァーが取り付けられているようで、カヴァーの中では作業が行われているようだったが、見慣れないために何やら不思議な雰囲気を感じてしまう。
境川河岸にて境川河岸にて
小山中村広場
小山小学校横を過ぎ、上中村橋を過ぎると境川左岸に細長く伸びる小公園があった。小公園は小山中村広場という名があるようだ。形状から考えれば、蛇行していた境川を真っ直ぐな流れに整備した際に発生した河岸の土地を小公園としたものだろう。地図を確認するとこの辺りではかつての蛇行の跡を示すように市境がうねうねと曲がり、河岸の広場の一部は相模原市に位置しているようだ。この小山中村広場の真上を送電線が通っており、河岸の公園ののんびりとした風景と送電線の鉄塔とが奇妙に調和して独特のコントラストを見せる。“鉄塔のある風景”の好きな人にはお勧めの場所かもしれない。

境川河岸の風景
小山中村広場の横に架かる中村橋を過ぎ、さらに下流側へと歩を進める。小山中村広場の付近では直線的に流れていた境川が、この辺りから緩やかだが大きな蛇行を描くようになる。まず下流側に向かって左手に曲がり、それから大きな弧を描いて右手に曲がってゆく。優美な曲線を描く境川の河岸をさらに辿る。

やがて高橋、すぐ北側に町田街道の「馬場」交差点がある。さらに進んで馬場橋を過ぎると境川は再び左手へと緩やかに曲がってゆく。境川の左岸に広い畑地があった。広々として長閑な風景が広がっている。対岸の御嶽神社を見ながらさらに進むと、今度は右へと曲がる。そして常矢橋、「常矢」は「ときや」と読む。町田市の「常盤(ときわ)町」と相模原市の「上矢部」との間に架かる橋だからだろう。つい最近まで常矢橋の横には古い橋が架かっていたのだが、2005年(平成17年)頃に廃橋となり、現在は撤去されてしまったようだ。

道祖神
常矢橋を過ぎると境川は左手に曲がり、その先300メートルほど、真っ直ぐに流れてゆく。境川の対岸、相模原市側の河岸は住宅地だが、こちら側の町田市側には畑地なども残っている。やがて境川は右へと曲がり、南へと流れてゆく。河岸は住宅地だが、その中にも畑地が残っている。真新しい住宅の建ち並ぶ中に残された畑地の一角、河岸の舗道脇に道祖神が祀られていた。きれいに整備され、水や花が供えられている。今でも地元の人の信仰によって護られているのだろう。

河岸の水田
道祖神脇を過ぎ、共和橋を過ぎると、河岸には水田の横たわる長閑な風景が広がった。今では周辺にもたくさんの住宅地が建っているが、昔は境川に沿って広くこのような風景が広がっていたのに違いない。氾濫を繰り返して災害をもたらしてきた境川だが、河畔に肥沃な土壌を生んだのも事実だ。こうした風景を眺めながら、境川の河畔が水田の広がる農村だった頃の風景を思い浮かべてみるのも感慨深いものがある。

水田の風景を後にしてさらに進むと、すぐに宮前橋だ。以前、古淵から境川の河岸を上流側へと辿って、この辺りまで歩いたことがあった。ちょうど区切が良いということで、今回の境川河岸散歩はこの辺りまでにして、ここから淵野辺駅を目指すことにしよう。
境川河岸にて境川河岸にて
宮前橋を通る道路は横浜線淵野辺駅と桜美林大学とをほぼ直線敵に結んでいるため、両者を行き来するバスが幾度となく通り抜ける。ほとんどが直行バスだ。そのバスを横目に見ながら淵野辺駅方面を目指そう。

山王日枝神社
宮前橋から数十メートル進んで交差点から北側に入り込んだところに山王日枝神社が建っている。宮前橋の「宮前」は、この神社の前だという意味合いなのだろう。1307年(徳治2年)に創建されたという神社で、大山咋神(おおやまくいのかみ)、飯綱大神(いいづなのおおかみ)、大鳥連祖神(おおとりむらじのおやがみ)の三柱の神を祀っている。現在の社殿は1965年(昭和40年)に再建されたものという。神社の周辺は今ではすっかり住宅地になってしまったが、境内には木々が茂り、昔ながらの神域らしい佇まいを保っている。淵野辺には1300年代の初期、地頭淵辺義博が境川に棲んで人を襲っていた大蛇を退治したという伝説が残っているが、この大蛇退治に際に祈願したのが、この神社であるらしい。

淵野辺駅前
山王日枝神社を後にして、1kmほど進むと淵野辺駅北口前だ。淵野辺駅は1908年(明治41年)に横浜線の前身である横浜鉄道が開業したときから設けられていた駅のひとつだ。駅前にはアーケードを設けた商店街もあり、なかなか繁華な佇まいを見せる。淵野辺駅は駅のすぐ東側に青山学院大学相模原キャンパスがあり、また前述したように境川を渡った町田市には桜美林大学もあり、高校、中学などもあり、駅には学生らしい若者たちの姿が少なくない。そのためか、淵野辺駅は横浜線の駅の中でも比較的利用客が多く、JR東日本の統計によれば2010年(平成22年)の統計では一日平均の利用客は4万人近い。その数は東神奈川より多く、ほぼ鎌倉駅と同程度だということに少しばかり驚く。

淵野辺駅を今回の散策の終点にしよう。駅近くのお店で遅い昼食にして、それから横浜線に乗って帰路を辿ることにしたい。
境川の河畔は今では基本的に住宅地だが、ところどころに畑地や水田が残され、長閑な風景が広がっている。河岸を歩かなければ出会えないような風景も少なくなく、今回も楽しい散策だった。今回歩いた区間には送電線の鉄塔が数多く建ち並んでおり、“鉄塔のある風景”の好きな人にもお勧めの散策コースかもしれない。
境川

境川

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