神奈川県横須賀市の「観音崎」は三浦半島の最東端に位置する岬だ。付近一帯は神奈川県立観音崎公園として整備され、豊かな自然に触れることのできる行楽地として人気を集めている。
岬の海岸に、海食洞がある。傍らに設けられた案内板等によれば、古代、洞窟に大蛇が棲み、航海の邪魔をして人々を苦しめていたという。聖武天皇の御代、741年(天平13年)、諸国修行の途中でここに立ち寄った行基がこの大蛇を退治し、その霊を鵜羽山権現として祀った。船の安全のため、行基は十一面観音を刻んで洞窟内に安置したといい、それが「観音崎」の名の由来だという。その後、その辺りに観音堂が創建され、江戸時代には本殿や般若堂が建ち並び、「船守観音」と呼ばれて村人や漁民、船乗りたちの厚い信仰を集めていたそうだ。1880年(明治13年)、そこに陸軍砲台が築造され、翌年、観音寺は鴨居の亀崎に移されたが、その鴨居観音寺は1986年(昭和61年)の火災によって焼失、行基が彫ったという観音像も今は無い。
岬の海岸に、海食洞がある。傍らに設けられた案内板等によれば、古代、洞窟に大蛇が棲み、航海の邪魔をして人々を苦しめていたという。聖武天皇の御代、741年(天平13年)、諸国修行の途中でここに立ち寄った行基がこの大蛇を退治し、その霊を鵜羽山権現として祀った。船の安全のため、行基は十一面観音を刻んで洞窟内に安置したといい、それが「観音崎」の名の由来だという。その後、その辺りに観音堂が創建され、江戸時代には本殿や般若堂が建ち並び、「船守観音」と呼ばれて村人や漁民、船乗りたちの厚い信仰を集めていたそうだ。1880年(明治13年)、そこに陸軍砲台が築造され、翌年、観音寺は鴨居の亀崎に移されたが、その鴨居観音寺は1986年(昭和61年)の火災によって焼失、行基が彫ったという観音像も今は無い。