宮崎県宮崎市の中心市街近く、大淀川河岸に橘公園が設けられている。色鮮やかなテント「ロンブル」とフェニックスの樹影が織り成す風景は宮崎を象徴するものだ。強い日差しが降り注ぐ夏の日、橘公園を訪ねた。
橘公園
宮崎県宮崎市の中心市街の南側を大淀川が流れている。その河岸、国道220号が大淀川を跨ぐ橘橋からJR日豊本線の大淀川橋梁の袂まで、約900mの距離に設けられた公園が橘公園である。その中でも橘橋から県道341号が大淀川を跨ぐ大淀大橋までの約700mの区間は、フェニックスの並木が施され、赤白や青白のストライプでカラフルに彩色されたテント「ロンブル」が並び、南国情緒溢れる景観を織り成している。この景観こそは、“観光宮崎”を代表するもの、いわば“観光宮崎の顔”である。
橘公園
橘公園
この辺りは宮崎市街中心部からやや外れたところだが、戦前には遊郭や料亭などが建ち並ぶ歓楽街だったという。それらは1945年(昭和20年)8月10〜11日の宮崎空襲によって焼失した(このときの空襲によって大淀川河岸のみならず、宮崎市街中心部の大部分が焦土と化した)。

戦後の復興の際、この大淀川河岸に河岸公園を設けることが決定される。公園が設置されたのは1948年(昭和23年)、整備が完了して完成したのは1954年(昭和29年)のことという。フェニックスの植栽や遊歩道の整備などを担ったのは宮崎交通、当時の宮崎交通社長は、後に「宮崎観光の父」と呼ばれることになる、故・岩切章太郎氏である。

完成した河岸公園、すなわち現在の橘公園は大淀川の河岸に沿って700mほど延びる、幅6mの緑地帯を中心に構成されて、大淀大橋東側のJR日豊本線の橋梁下には野外ステージや遊具類も備えている。全体で約1.9haの面積を有するという。
橘公園
公園のメインとなる緑地帯はフェニックスの並木も美しく、ブーゲンビリアやハイビスカスなどの南国の花々が景観を彩る。そしてまた橘公園の景観に欠かせないものが、赤白や青白のストライプでカラフルな彩色が施された「ロンブル」と呼ばれるテントである。それぞれの「ロンブル」の下にはテーブルとベンチが設けられている。ちなみに「ロンブル」とはフランス語で「影」を意味する「L'Ombre」のことである。
橘公園
橘公園
橘公園
この「ロンブル」とフェニックスの並木の組み合わせがリゾート感溢れる南国情緒を漂わせて印象的な景観を織り成し、“観光宮崎の顔”たる風景として市民、県民、さらに訪れた人たちに親しまれている。この風景に欠かせないカラフルな「ロンブル」の設置も、他ならぬ岩切章太郎氏らの発案であったという。岩切氏の先見の明には感動を禁じ得ない。完成からすでに半世紀以上を経ているが、フェニックスの並木もカラフルな「ロンブル」も絶えず整備の手が加えられ、開園時のままの美しい景観を保ち続けている。

大淀川河岸に沿ってほぼ東西に延びる橘公園は朝と夕刻の風景が特に美しい。近くのホテルに宿泊したなら、朝食の前に、あるいは夕食の前に、のんびりと散策してみるのをお勧めする。朝は大淀川河口側から上る朝日に照らされてフェニックスや「ロンブル」が輝き、西から東を見れば逆光の中に風景の美しさが際立つ。夕刻になれば大淀川が夕暮れの空を映し、旅情溢れる風景を演出する。観光客の立場であれば、“宮崎に来たのだな”と実感するひとときになるに違いない。
橘公園
橘公園の北側を公園に沿って延びる道路は「橘公園通り」である(正式には「宮崎市道川原通線」という)。「橘公園通り」は橘公園と半ば一体化し、美しい風景を見せる。「日本の道百選」のひとつにも選定されている。「橘公園通り」の東端近く、通りの北側に建つのが宮崎観光ホテルだ。宮崎観光ホテルはの創立は1954年(昭和29年)、宮崎で最も格式高いホテルと言っても過言ではない。ホテルの外観も美しく、その姿も含めての「橘公園通り」だろう。
橘公園
橘公園
橘公園からは大淀川の“河川敷”へと降りてゆくことができる。“河川敷”とは言っても、石畳の遊歩道として整備されており、水量の多くない通常時は散策を楽しむこともできる。大淀川の流れを間近に感じながら、橘公園のフェニックス並木を見上げつつの散策は楽しいひとときだ。言うまでもなく、大淀川は宮崎を代表する河川だ。蕩々と流れる大淀川の姿もまた、宮崎の人々にとって“心の拠り所”的な風景である。

たまゆらの碑
橘公園の東側の一角、宮崎観光ホテル前に川端康成「たまゆら」文学碑が建っている。この文学碑は、川端康成の「たまゆら」執筆の記念碑として1987年(昭和62年)に建立されたものだ。

川端康成は1964年(昭和39年)11月、取材のために宮崎を訪れ、大淀川河畔の宮崎観光ホテルに滞在、「たまゆら」を執筆した。川端康成は当初、2泊の予定で宮崎を訪れたそうだが、客室バルコニーから見える夕日の景観に感動し滞在を延長、滞在期間が約2週間になったことはよく知られている。

「たまゆら」は1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて放送されたNHK連続テレビ小説、いわゆる“朝ドラ”の「たまゆら」の原作で、川端康成にとっては初のテレビ書き下ろし、主演を務めた笠智衆もテレビ初出演であったという。昭和40年代に宮崎は新婚旅行先として人気を集め、宮崎は空前の観光ブームに沸くのだが、「たまゆら」の放送はそのひとつのきっかけになったとも言われる。
追記 1964年(昭和39年)に宮崎を訪れた川端康成は宮崎観光ホテルの西館A棟、和洋室のある522号室に宿泊した。ホテル側は2014年(平成26年)頃から建物の耐震化に伴うリニューアルを検討、西館の全客室は洋室に改装される予定だったが、川端が宿泊した部屋の保存を求める声も多く、2019年(平成31年)3月、522号室に限って間取りや内装をそのまま維持することをホテル側が決定している。以後、同室は川端縁の資料などを展示しつつ、客室として活用するという。
橘公園/たまゆらの碑
橘橋
橘公園の西端から国道220号を通して大淀川を跨ぐのが橘橋だ。時代が明治を迎えるまで、大淀川に橋はなく、両岸を結ぶ唯一の交通機関は渡し舟だった。それが宮崎市の発展を阻害する要因であったことは言うまでもなく、架橋は住民たちの悲願だった。1873年(明治6年)になって現在の橘橋の近くに鹿児島の商人によって橋が架けられたということだが、簡素な木橋で、ほどなく流失してしまっている。

最初の橘橋が架けられたのは1880年(明治13年)、医師の福島邦成が私費を投じて架橋したものだった。橘橋の名は福島邦成自らが命名したものという。住民にとっては念願の橋だったが、賃取橋、すなわち有料の橋であったこともあり、揶揄する声もあったらしく、渡し舟業者との軋轢もあったようだ。この初代橘橋は架橋からわずか4ヶ月後、8月の大水で流失したが、再び架橋、1883年(明治16年)に宮崎県庁が開庁された(宮崎県は1873年(明治6年)に発足したものの、1876年(明治9年)に鹿児島県に合併、1886年(明治19年)に分割、再び宮崎県の再置県が行われた)のを機会に、県に寄贈されている。

1884年(明治17年)、県は橘橋の架け替えを行い、これによって上野町通りと中村町通りが橋によって結ばれている。この二代目の橘橋は1884年(明治17年)6月に完成したが、その3ヶ月後の9月、暴風雨のために流失している。三代目の橘橋は資料がほとんど残されておらず詳細がわからないが、これも1888年(明治21年)に大雨で流失、四代目の橘橋が同年8月に着工、12月に完成している。この四代目橘橋の開通によって新しく開削された国道と中村町通りが接続、国道は「橘通」と呼ばれるようになってゆく。40年近く使われた四代目橘橋だったが、1927年(昭和2年)8月の台風によって、これも流失してしまっている。

五代目の橘橋は1930年(昭和5年)に着工、1932年(昭和7年)に完成した。橘橋としては初めての鉄筋コンクリート橋で、アーチの連なる美しい橋だった。橘通り沿いの町並みもほぼ同時期に整備され、現在へ繋がる宮崎の象徴的景観が造られていったのがこの時期である。

長く市民に愛された五代目橘橋だったが、昭和30年代が終わりを迎えるころになると自動車の普及によって市内の交通量も飛躍的に増加、片側一車線の第五代橘橋は増加し続ける交通量をさばききれなくなっていく。県が橘橋の架け替えを発表したのは1966年(昭和41年)のことである。新橘橋の工事が始まったのは1972年(昭和47年)、完工し全面開通を迎えたのが1979年(昭和54年)のことだ。第六代目の橘橋は橋長389m、幅員28m、片側2車線の車道と、その外側に幅5mの歩道を備えている。この六代目橘橋が、現在の橘橋である。

大淀川に架かる橘橋の姿は宮崎市のシンボルのひとつとして市民、県民から愛されている。五代目橘橋の重厚で優美な姿に比べれば六代目橘橋は現代的ですっきりとしたデザインだが、なかなか美しい姿である。もちろん今は橘橋の他にも多くの橋が大淀川を跨いでいる。橘橋の上流側900mほどのところには国道269号を通して天満橋があり、橘橋の下流側700mほどのところでは大淀大橋が県道341号を通している。それでも、橘橋は宮崎市民、宮崎県民にとって特別な橋である。
橘橋
橘橋
橘橋
参考情報
交通
橘公園はJR宮崎駅から約1.5km、徒歩でも30分足らずで着く。

公園には駐車場は用意されていない。車で来訪する場合は近隣に点在する民間駐車場を利用するといい。

飲食
橘公園通り沿いには飲食店はないが、ホテルのレストランなどが利用できる。また橘公園通りの北側、300mほど離れた旭通り沿いにも各種の飲食店が点在している。観光で宮崎を訪れた人なら、「瀬頭」交差点近くの「おぐら 瀬頭店」で有名な「チキン南蛮」などを楽しむのもお勧めだ。

周辺
橘公園は宮崎市の中心部に近い。橘橋から1kmほどへ辿れば「橘通3丁目」交差点、交差点へ至る橘通りが宮崎で最も繁華なところだ。のんびりと寄り道しながら町歩きを楽しむのもお勧めだ。

橘公園から北へ約3.5kmで宮崎神宮だ。周辺には古民家園を併設する宮崎県総合博物館や宮崎県立美術館などが建つ宮崎県総合文化公園などがある。宮崎神宮からさらに北西側に足を延ばせば平和台公園、はにわ園などを見学しておきたい。

北東側へと約5.5km辿ればみやざき臨海公園、マリーナなどを併設した美しい臨海公園だ。
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