埼玉県越生町の北東端、鳩山町に接して「大谷」という地区がある。丘陵地と谷戸地の広がる長閑なところだ。この大谷地区の北部に大亀沼という溜め池がある。この大亀沼周辺が、万葉集に歌われた「おおやがはら」であるらしい 。
万葉集の十四巻東歌に「伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流々々 和尓奈多要曽祢(いりまぢの おほやがはらの いはゐつら ひかばぬるぬる わになたえそね)」(入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね)という歌が収められている。この「於保屋我波良(おほやがはら)」が「大谷ヶ原」、すなわち大亀沼周辺の、この辺りのことだろうという。1824年(文政7年)に刊行された「武蔵名所考」に「大亀の沼」の記述があり、万葉集の歌の舞台であるとしているようだ。1868年(明治元年)に編纂された「武蔵国郡村誌」にも「於保屋我波良」が「大谷ヶ原」だとする記述があるという。
大谷ヶ原萬葉公園は大亀沼の周辺を公園として整備したものだ。1986年(昭和61年)から4年の工期で大亀沼の堰堤改修工事が行われ、1992年(平成4年)から3年をかけて周辺が公園として整備されたものという。公園とは言っても大亀沼の岸辺に遊歩道を設けた程度で、広場などもなく、もちろん遊具なども置かれていない。公園の範囲も判然としない。大亀沼とその周辺の環境を保全活用する目的での公園設置なのだろう。
大亀沼の堰堤横、道路脇に小さなスペースが設けられ、大谷ヶ原萬葉公園についての簡単な解説を記した案内板が設置されている。万葉集の歌についても記されているから訪れたときには目を通しておきたい。
その案内板の横には歌を刻んだ歌碑と野田宇太郎「文学散歩踏査の地」と記した碑も建てられている。野田宇太郎は詩人で評論家、「文学散歩」という言葉とジャンルを定着させた人物である。野田は1972年(昭和47年)にこの地を訪れている。
公園の案内板が設置された一角から大亀沼の岸辺を遊歩道が辿っている。四月の初旬、遊歩道脇には菜の花が咲き、岸辺に立つ桜もまだ少し花を残していた。春の青空と山々の新緑が美しい春景色を織りなしている。
遊歩道を数十メートル進むと、池の中に小さな島があり、可愛らしい朱い橋が架かっている。島には小さな祠が祀られているようだ。昔は橋を渡って島に行くことができたようだが、今は立ち入り禁止となっている。
遊歩道を北端部まで行くと、大亀沼の北側の岸辺に降りてゆくことができた。北側の岸辺から見る島と朱い橋の景観が美しい。
堰堤の上を歩くこともできる。堰堤の上から見る大亀沼と岸辺の景観が長閑で美しい。静かな水面が桜や新緑の色を映し、その上に春の青空が広がる。のんびりと時を忘れて見ていたくなる風景だ。
大谷ヶ原萬葉公園を訪れたら、周辺に散策の足を延ばすのがお勧めだ。大亀沼の南側は丘陵地に挟まれた谷戸地の地形で、そこに水田や畑地が広がり、丘の裾に民家が点在する。丘裾を辿る未舗装の道を辿れば、どこからかウグイスの声が聞こえてくる。緩やかな曲線を描く小径は進むに連れてさまざまな表情を見せてくれる。ときおり振り返ってみるのも楽しい。
歩きながら足下に目をやれば、タンポポやヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリといった花々が咲いているのを見つけることができる。視線を上げれば丘の林の中にはヤマザクラが咲き、日射しを浴びて輝いている。この季節ならではの田園風景の魅力を存分に楽しみながら歩きたい。
大谷ヶ原萬葉公園は誰にでもお勧めできるところとは言い難い。万葉集縁の土地ということで「文学散歩」趣味の人なら訪ねてみるといい。春にはところどころに桜が咲いて長閑な田園風景に春の色を添えて美しい。田園散歩の好きな人も楽しめるだろう。静かな時の流れる大谷ヶ原である。