南郷駅前から国道220号を西に数キロの距離を辿ると榎原(よわら)の集落に着く。国道脇には「榎原神社」を示す大きな案内板が立っている。案内板に従って国道から逸れて、民家の並ぶ中を抜けてゆくと、やがて榎原神社の鳥居と楼門が見えてくる。鵜戸神宮ほど有名でもなく観光客が訪れることはあまりなく、あくまで地元の人々の鎮守としての神社だが、日南海岸観光の足を伸ばして訪れてみるのもよいものだろう。初詣客で賑わう様子もよいものだが、夏、緑濃い木立と蝉時雨とに包まれた神社の風情もなかなか魅力的なものだ。
榎原神社は1658年(万治元年)に飫肥三代藩主伊東祐久が
鵜戸神宮より勧請して創建したものだ。境内に設置された案内板の説明によれば、当時神女として崇められていた内田万寿女の進言によるものであったという。
朱塗りの大きな鳥居をくぐると、見事な楼門が出迎えてくれる。楼門は1816年(文化13年)に建立されたものという。木造二階建て、高さは約11メートル、横幅約7メートル、奥行きは約4メートルと、堂々としたものだ。この楼門は2002年(平成14年)に県指定有形文化財となっており、傍らには宮崎県教育委員会と南郷町教育委員会の名で建築様式などについて解説した案内板が置かれている。それによれば、和様式と禅宗様式とが折衷した建築様式が神仏習合の歴史を物語り、文化財としての価値の高いものなのだそうだ。柱には飫肥杉が、礎石や礎盤には榎原石と呼ばれる凝灰岩が使われており、「地方的特色が顕著であることからも、県下に類例のない古楼門である」と解説板には記されている。
楼門を抜けると右手に手水舎があり、その隣に鐘楼が建っている。これも堂々としたもので、高さは11メートルを超える。この鐘楼は1979年(昭和54年)に県指定有形文化財となっており、傍らに南郷町教育委員会による解説板が置かれている。その解説によれば、この鐘楼が神社の建造物の中では造形的に最も優れたものだという。確かにその意匠はなかなか見応えのあるもので、下から見上げたときの屋根の反りなどにはダイナミックな美しさがある。
鐘楼の傍らを過ぎて参道を奧へ進むと正面には桜井神社が建っている。榎原神社の建立を飫肥藩主に進言したという内田万寿女を祀っている。榎原神社本殿を見守るかのように寄り添って建つ姿が印象的だ。社の装飾に伊勢海老の頭があるところもおもしろい。宮崎県の海岸は伊勢海老の産地として知られているが、このような神社の装飾にもなっているというのは、昔から伊勢海老が主要な産物だったということなのかもしれない。桜井神社の横手には天満社など他の社も併祀されており、そのすべてにお参りしてゆく人の姿も少なくない。奥まった一角は木立と社に囲まれて神域らしい静かな風情がいい。
桜井神社の手前、右手に榎原神社本殿が建っている。現在の社殿は1707年(宝永4年)に建てられたもので、当初は八幡造りであったが、1797年(寛政10年)に当時の流行であった権現造りに改造されたものらしい。正面からの姿は権現造りだが、改造が施されたことによるのか、屋根は複雑で、関係者は八ッ棟造りと呼び慣わしているのだと、設置された解説板には書かれている。この本殿も1987年(昭和62年)に県指定有形文化財となっている。
本殿正面には、かつて「
創建の飫肥杉」と呼ばれる杉の巨木が立っていた。神社創建の際に飫肥三代藩主伊東祐久が植えた五本の杉の内の一本とも言われ、樹齢330年、高さ25メートルという堂々とした御神木だった。しかし、その最後まで残った「創建の飫肥杉」も天災やシロアリの被害により衰弱、2006年(平成18年)4月に惜しまれつつ伐採されてしまった。
桜井神社の社殿裏手に「夫婦楠」という御神木が立っている。「夫婦楠」だから「男楠」と「女楠」の二本がある。「男楠」は廻り8m、高さ40m、「女楠」は廻り7.5m、高さ38m、双方とも樹齢約600年という堂々とした御神木だ。榎原神社に参拝した際には、ぜひこの御神木にも会っておこう。
新年を迎えると、榎原神社は多くの初詣客で賑わう。横手の駐車場と神社を繋ぐ通路沿いには露店も並ぶ。参拝客の中には郷里に帰省して新年を迎えた人も少なくないのだろう。その賑わいと比べれば、夏の榎原神社は静寂そのものだ。緑濃い境内には蝉の声だけが響く。時間の流れさえ、どこか違っているようにも感じられる。日常の喧噪を忘れて、ひとときゆったりと過ごしてみるのもいい。