横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市中区山手町
−港の見える丘公園−
フランス山
Visited in April 2005
フランス山
港の見える丘公園はその名が示すように横浜港を見下ろす展望が魅力で、四季を問わず多くの観光客が訪れる。その港の見える丘公園の北側部分は木々が茂って緑濃い様相を保っている。この区域は「フランス山」と呼ばれ、港の見える丘公園の中の一区画であると同時に、独立した別の公園のような表情を見せる。「フランス山」は幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したところで、そこから「フランス山」の名がある。以前は鬱蒼とした林の端を散策路が辿るばかりの場所だったのだが、平成14年度から平成16年度にかけて段階的に整備が行われ、かつてのフランス軍駐屯地、フランス領事館の跡地としての歴史を偲ばせる庭園として再オープンしている。
フランス山
江戸時代末期、1862年(文久2年)に起きた生麦事件が象徴するように、攘夷派の浪人などによる外国人殺傷事件が少なくなかった。これを受けてイギリスとフランスは自国民の保護を名目に、横浜居留地への自国軍の駐屯を決定する。幕府もこれを認め、1863年(文久3年)にはフランス海兵隊が横浜に到着、山手186番に駐屯を開始した。現在の「フランス山」である。3000坪ほどの駐屯地には三棟の建物が日本側の費用負担で建てられ、駐屯したフランス軍兵士は陸軍20名から始まって、その後は300名以上を数えたという。一方、イギリス軍はフランス軍到着の翌年、1864年(文久4年)になって本格的な駐屯を開始、こちらは山手115番から山手116番、現在の横浜市イギリス館のあたりから岩崎博物館にかけての地域に駐留している。ちなみにイギリス軍が駐留した地域は「トワンテ山」と呼ばれるが、これは駐留したイギリス軍の第20連隊の「トゥエンティ」の発音が由来であるらしい。幕末から明治初期にかけての港の見える丘公園は、フランスとイギリスの重要な軍事拠点だったのだ。1875年(明治8年)になって両軍が同時撤退するまでの約12年間、英仏両軍は明治維新の混乱の中、下関遠征や横浜市中警備など、さまざまな軍事行動に携わっている。

フランス軍が撤退した後、その跡地に領事館を建設しようと考えたフランス領事はその旨を本国に提案する。このときは予算の関係で実現しなかったということだが、それから約10年を経過した1885年(明治18年)、フランス人居留民の有志が領事館建設の請願書を提出、領事館建設はようやく実現に向かって動き出す。しかしこれもなかなか簡単にはいかず、ようやく領事館の建設が開始されたのは、さらにそれから10年ほどが経過した1894年(明治27年)のことだったという。フランス人建築家サルダンによるフランス領事館と領事官邸が完成するのは1896年(明治29年)のことだ。3月には現在の「フランス山」下方に領事館が、遅れて12月には上方の区域に領事官邸が完成した。煉瓦造り二階建てのフランス領事館は華麗な意匠の堂々としたもので、本省に宛てた当時の領事の報告書に「極東一の素晴らしい名建築のひとつ」という記述が見られるという。しかし、その領事館も、領事官邸ともども、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまうのである。

震災後、1930年(昭和5年)に、スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計による領事官邸が、旧領事官邸跡に再建されている。一階部分はコンクリート造り、二階三階部分は木造という三階建てであったらしい。その領事官邸は戦後の1947年(昭和22年)、不審火で焼失してしまったという。

時を経て1971年(昭和46年)、横浜市が山手185番、186番の土地、すなわち現在の「フランス山」をフランス政府から購入、公園として整備し、翌1972年(昭和47年)、1962年(昭和37年)に開園していた「港の見える丘公園」の「フランス山」区域として開園している。以来、フランス山はその歴史を鬱蒼とした林の中に封じ込めてきたが、平成14年度から平成16年度にかけて再整備が行われ、明治期を偲ばせる貴重な史跡などが工事の際に発掘されている。それらの史跡には詳細な解説文が添えられ、現在、端正に整備された散策路を辿って見学することができる。
フランス山
みなとみらい線の元町・中華街駅を出て、東へ進むとすぐに、目の前にフランス橋が見える。フランス橋は川を渡って山下町方面と山手町、元町方面とを結ぶ人道橋で、その下のアーチがフランス山地区のゲートを兼ねている。フランス橋をくぐると「フランス山」の下方部分の広場だ。広場は奧の部分が一段高くなっているが、これは再整備が行われた際に地下に駐輪場が設けられたためだ。

フランス山
この広場が、かつてフランス領事館の建っていたところで、再整備の工事の際にジェラール瓦や煉瓦が出土したという。発掘された遺構の一部が展示されており、訪れた際には見ておきたい。またフランス橋の道路側の橋台部分に、同じく工事の際に出土したメダリオン(medallion)が埋め込まれて展示されている。メダリオンというのは建物の両翼部外壁に取り付けられていた円形の飾りのことであるという。本来は数個のメダリオンが飾られていたということだが、震災による倒壊に際に破損し、現在展示されているものだけが辛うじて往時の姿をとどめていたものであるという。メダリオンには「RF」の文字が見られるが、これは「Republiq Francaise(フランス共和国)」のイニシャルだそうだ。広場にはかつてのフランス領事館や「フランス山」の歴史について記した解説板が随所に設置されている。丹念に見てゆくと興味は尽きない。
フランス山フランス山

フランス山
広場から木々の茂る丘の斜面を散策路が登っている。弧を描く二本の階段が左右から丘を登り、途中でひとつにまとまって、そこからさらに石段が上方へと登る。石段を登りながらふりかえれば、木々の隙間に山下町方面の眺望が楽しめる。石段を登りきると、木立に包まれた庭園に着く。庭園は弧を描く散策路によって円形に整備されており、随所にベンチが置かれている。この庭園が、かつてフランス軍が駐屯した場所であるという。当時の階段や庭園をイメージして整備されたということだが、木々に囲まれて穏やかな佇まいを見せる現在の庭園からはフランス軍駐屯地の名残を探すのは難しい。庭園の散策路を観光客らしき人たちが歩きすぎてゆく。ベンチに腰を下ろして一休みの人は地元の人だろうか。残念ながら丘の下の道路を走る車の音が響いてきてひっそりとした静けさは望めないが、木々に包まれた庭園はときおり鳥の声も聞こえ、のんびりと穏やかな印象だ。

フランス山
フランス軍駐屯地跡の庭園からさらに一段上がって、フランス領事官邸跡がある。1896年(明治29年)に建てられた領事官邸が関東大震災で倒壊した後、1930年(昭和5年)にマックス・ヒンデルの設計によって建てられ、戦後の1947年(昭和22年)に焼失した領事官邸の遺構だ。遺構は基礎部分や側壁、階段の一部などを含み、往時の佇まいを想像するのも難しいことではない。随所に詳細な解説板が設けられており、それらを見ながら古い時代に思いを馳せるのも楽しい。マックス・ヒンデルによる領事官邸は一階部分がコンクリート造りで、二階、三階部分は木造であったといい、残された遺構はその一階部分だ。建物には四階部分に相当する屋根裏部屋も設置され、一部には塔屋もあったと傍らの解説板に記されている。
フランス山フランス山
フランス山フランス山

昭和になって建てられた領事官邸を設計したマックス・ヒンデルは、1887年、チューリッヒに生まれている。1916年に建築家としての活動を開始、1924年(大正13年)に来日している。マックス・ヒンデルの義弟(妹の夫)が北海道で教師をしており、彼を招いたのだという。ヒンデルも北海道で建築家としての活動を開始、約3年間在住したが、1927年(昭和2年)に横浜に移転、中区本牧満坂に事務所を構えた。1935年(昭和10年)には事務所を閉じ、その後はドイツへ渡り、1963年に他界するまでバイエルンで晩年を過ごしたという。在日中、函館のトラピスチヌ修道院や新潟カトリック教会、大谷石を用いた宇都宮カトリック教会など、教会関係の建物を中心に、北星女学校教師館(現北星学園創立百周年記念館)、札幌藤学園キノルド館など、数多くの作品を残し、現存しているものも少なくない。1926年(大正15年)に造られた手稲パラダイスヒュッテは日本で最初の本格的スキーヒュッテであったという。

フランス山
フランス領事館の遺構の傍らに、風車の塔が建っている。風車はもちろん当時のものではなく再現されたものだが、1896年(明治29年)に領事官邸が建てられた際、このような風車が造られ、井戸水の汲み上げに用いられていたのだという。当時は山手には上水道が完備されておらず、また将来上水道が引かれたとしても料金の負担を考えれば、井戸を掘り、井戸水汲み上げ用の風車を備える方が経済的だという判断があったらしい。再整備の工事の際に煉瓦造りの基礎部分が百年以上の時を経て発掘され、貴重な歴史資料として一部が展示されることになったのだという。その一環として風車も再現されたのだが、残念ながらフランス領事館の風車は一切の資料が現存せず、その形がはっきりわからないらしい。再現された風車は、同時代の他の風車の資料を基に造られたものという。赤い羽根を備えた風車は少しばかり可愛らしい印象もあり、明治期に造られた洋館によく似合っていただろうと思わせてくれる。
フランス山フランス山

領事館遺構から港の見える丘公園の展望台へと向かう途中に、井戸の遺構が置かれている。井戸は安全のために頑丈な柵に覆われているが、隙間から内部を覗き込むことができる。井戸はかなり深く、覗き込むときにも胸ポケットの中の小物を落としてしまわないように気を遣ってしまう。
フランス山フランス山
以前の「フランス山」は鬱蒼と木々が茂るばかりの雑木林という印象だったが、再整備されたことによってほどよい開放感も加わり、幕末から昭和初期にかけての歴史の一端に触れることのできる公園として、観光地としての魅力も増したように思える。みなとみらい線の元町・中華街駅付近から港の見える丘公園の展望台を目指すなら、「フランス山」の散策路を辿ってその歴史のひとこまを思い浮かべながらのんびりと歩くのがお薦めだ。
フランス山
フランス山