相模原市緑区大島〜谷ヶ原〜向原
相模川自然の村から小倉橋
Visited in October 2010
すっかり秋めいた十月半ば、相模川の河岸を歩いた。大島の「相模川自然の村」から河岸を北へ辿り、小倉橋を河岸から眺め、河岸段丘の上を辿って戻ってこようというルートだ。小倉橋の周辺は以前から歩いてみたいと思っていたところだった。小倉橋を河岸から見上げてみよう。
今回の散策の出発点は「相模川自然の村」だ。「相模川清流の里」や「相模川ビレッジ若あゆ」、
相模川自然の村公園、上大島キャンプ場などの施設が集まっている。十月半ばで暑くもなく寒くもなく、行楽には良い季節だ。公園の広場には二、三十人のグループの姿がある。ミニ運動会のようなレクレーションを行っているようだ。キャンプ場ではバーベキューを楽しむグループの姿も少なくない。そんな光景を眺めながら、河岸に出て上流側を目指そう。
河岸に出ると、キャンプ場のすぐ上流側に諏訪森下橋が架かっている。「諏訪森下」と呼ばれる相模川の中洲へ渡る橋だ。少し諏訪森下橋からの眺めも見てゆこう。諏訪森下橋から上流側へ目を向けると、遠く新旧の小倉橋の姿が見える。特徴的なアーチが緑の風景の中に優美な弧を描いている。諏訪森下橋の中ほどから河岸にカメラのレンズを向ける人の姿がある。そのレンズの先に目を向けるとカワセミの姿があった。
諏訪森下橋の袂から、上流側へ河岸を道が辿っている。以前は一般車両の通行も可能だった記憶があるのだが、現在では許可車両以外の一般車両は通行不可となっている。だから車両の通行が少なく、安心して歩けるということだ。木々に包まれた道を歩いて行こう。右側は斜面で、木々が鬱蒼と茂っている。左側は木々の隙間から相模川の川面が見え隠れする。辺りは静かで、流れの音と鳥の声が聞こえるばかりだ。地元の人だろうか、ときおり車やバイクが走り抜けてゆく。散策の人の姿もちらほらとある。道の途中、右側の斜面に、この辺りが「相模横山・相模川近郊緑地特別保全地区」であることを示す案内板があった。木材の伐採や造成などが厳しく規制されているとのことだ。
河岸の道を15分ほど歩くと
小倉橋が近くなる。小倉橋のすぐ下流側に、川面近くまで降りて行けるところがあった。岸辺には小舟がいくつか留められている。釣り船なのだろうか。そのうちの一艘で手入れを行っている人の姿があった。この岸辺から、新旧の小倉橋が間近に見える。四つのアーチを繋いだ旧小倉橋と、その向こうに大きなアーチで相模川を一跨ぎにする新小倉橋の姿がある。その姿がゆったりと流れる相模川の川面に映る。なかなか良い風景だ。手前の岸辺に繋がれた小舟との取り合わせも良い風情で、なかなかフォトジェニックな風景だ。
川岸からの眺めを堪能した後、坂道を登る。少し登ると旧小倉橋の袂だ。旧小倉橋は狭く、橋上では車両のすれ違いができず、対向車がある場合は橋の手前で待たなくてはならない。旧小倉橋を通行する車はほとんど事情がわかっている人ばかりのようで、車の流れはスムースだ。
旧小倉橋を後にして、新小倉橋の下をくぐり、久保沢に向かって坂道を登ってゆこう。道の左側は深い谷になっている。谷津川という川が流れているようだ。しばらく坂道を登ると谷津川を渡る人道橋があった。これを渡って川の右岸側の舗道へと移ろう。人道橋の袂には小さな社がある。不動明王が祀られているようだ。しばらく行くと河岸の舗道が再び車道と合流する。その辺りに「清水」と記された地名標柱があった。容易に推測できるが、古くから湧き水があったそうで、その湧き水は谷ヶ原、向原の生活用水に使われていたという。
「久保沢」交差点まで坂道を登り、そこから西へ登り、谷ヶ原浄水場を目指す。谷ヶ原浄水場は1940年(昭和15年)から建設工事が始まり、1942年(昭和17年)から給水を開始したそうだ。創設当時は相模川の伏流水を水源にしていたということだが、相模湖が完成した後、1950年(昭和25年)からは津久井分水池から取水しているという。現在、相模原市、厚木市、愛川町に給水しているそうだ。谷ヶ原浄水場では小学校や団体などの見学は受け付けているようだが、個人の見学は受け付けていないようなのが残念だ。周囲を巡る道路を歩いて、フェンス越しに少しばかり中の様子を覗き見ていこう。
谷ヶ原浄水場正門の東側に「川尻石器時代遺跡」があることを示す案内板が建てられている。付近は“空き地”といった様相で、その中にぽつりぽつりと民家が建っている。この辺り一帯に縄文時代中期から後期(約5000〜3000年前)の集落の跡が残されているという。大正期に発見され、1930年(昭和5年)に発掘調査が行われたそうだ。発掘調査の結果、三十カ所以上の敷石住居跡と多数の土器、石器が出土したという。1931年(昭和6年)に国指定史跡となっている。特に史跡を見学できるような施設があるわけではないようだが、この場所にそのような集落跡があったのかと、古代の人々の暮らしに思いを馳せるのも楽しい。
相模原市教育委員会と神奈川県教育委員会による解説板がそれぞれ立てられているが、相模原市教育委員会によるものは元々は城山町教育委員会の名で立てられたもののようで、2007年(平成19年)に城山町が相模原市と合併した後、「城山町」の部分に「相模原市」の名を上から張ったもののようだ。神奈川県教育委員会による解説板は木製で、毛筆で書かれている。1971年(昭和46年)の日付があるから、その頃に設けられたものだろう。この解説板そのものも、なかなか風情があっていい。史跡そのものも興味深いものだが、こうした解説板や案内板の姿にも面白みがある。
谷ヶ原を後にして橋を渡って向原へ向かおう。「山王神社前」交差点から南へ辿る。旧道なのだろう。道沿いには古そうな門構えの民家も建っている。しばらく歩くと新小倉橋の上に出る。片側二車線の道路が相模川の一跨ぎにする様子を少し高みから見下ろすことができる。その向こうには旧小倉橋が見え隠れする。新小倉橋の歩道へ降りてゆく階段が設置されている。新小倉橋の歩道を少し歩いてみよう。新小倉橋の歩道は高いフェンスが設けられており、なかなかの高みだがあまり恐怖心を感じることはなく、足がすくむこともない。新小倉橋からの眺めは壮観なものだ。これほどの高みから相模川の見下ろすことのできる場所はなかなかない。この眺めをぜひ味わっておきたい。
新小倉橋からの眺めを堪能した後は、さらに南へ辿ってゆこう。河岸段丘の端に沿った道は狭く、道脇には道祖神が祀られていたりして、昔からの道であったことを窺わせる。向原から大島へと入り、しばらく行くと河岸の斜面林へと降りてゆく細道を指し示して「大嶋坂 相模川自然の村」と書かれた標識があるのに気付いた。どうやら斜面林の中を降りてゆく細道が「大嶋坂」で、これを降りてゆくと相模川自然の村へ出ることができるのだろう。大嶋坂を降りてゆくことにする。道は“山道”と言っていい。もちろん未舗装で、人一人が歩けるほどの幅しかなく、勾配の急なところもある。降りてゆくと「相模川清流の里」の裏手に出た。
そのまま相模川自然の村公園の方へと向かおう。「相模川清流の里」前の水田に案山子が並んでいる。「相模川ビレッジ若あゆ」のイベントとして子どもたちが制作したものを展示しているらしい。
2007年の秋に訪れたときにもこうして案山子が立てられていて楽しい思いをしたのだが、今年もまた同じイベントが行われたのだろう。ひとつひとつ見てゆくと、個性的な案山子が並んでいてなかなか楽しい。案山子の表情に和やかな気持ちにさせてもらったら、そろそろ今回の散策も終わることにしよう。
以前から小倉橋の周辺を歩いてみたいと思っていた。新旧の小倉橋を間近に見ることができて、なかなか楽しい散策だった。車で橋の上を通り抜けるだけでは出会えない風景がある。そうしたものを発見するのがこうした散策の醍醐味と言っていいかもしれない。