横浜線沿線散歩公園探訪
横浜市西区老松町
野毛山公園
October 2016
野毛山公園
桜木町駅から西へ向かい、野毛の街を通り抜けて野毛坂を上り、横浜市立図書館の建つ角を左に折れると道の右手には木立に包まれた緑濃い一画がある。野毛山公園だ。
野毛山公園
この一帯はかつて原富太郎や茂木惣兵衛といった明治期の横浜の豪商が邸宅を構えていた場所だったという。しかしそれらは関東大震災によって壊滅、その後の復興事業として旧野毛山貯水池や病院などの跡地とともに公園として整備されたものだ。山下公園神奈川公園などとともに震災からの復興事業の一環として公園整備が行われたもので、野毛山公園は日本庭園・西洋庭園・折衷庭園の三つの様式を持つ公園として1925年(大正14年)に着工、その翌年に開園している。

第二次大戦中はこの場所を陸軍が使用し、戦後は1947年(昭和22年)まで米軍に接収されていたが、接収解除後の1949年(昭和24年)に日本庭園だった部分に動物園が、さらに1951年(昭和26年)には洋式庭園だった部分に児童遊園が造られ、整備を加えられながら現在に至っている。現在の野毛山公園は木々が茂って緑濃く、大きく育って枝を張る木々の姿が公園の歴史を物語っている。
野毛山公園/中村汀女句碑
野毛坂側から野毛山公園に入ると、木立に囲まれて広場が設けられている。この広場の隅に中村汀女句碑がある。中村汀女は昭和の頃の著名な女流俳人で、日常を題材にしながらも叙情性に富む句によって知られる。汀女は本名を波魔子といい、1900年(明治33年)熊本に生まれている。十八歳の時に詠んだ句が認められて俳句を始めたが、1920年(大正9年)に結婚、夫の転勤によって日本各地を転々とし、子育てにも追われて、その間は創作活動を中断している。

再開したのは1930年(昭和5年)に夫が横浜税関長となって横浜に移り住んだ時からだった。汀女は高浜虚子に師事し、「ホトトギス」の同人となって頭角を現す。戦後「風花」を創刊主宰、後の女流俳人に多大な影響を与えた。汀女は生涯を通じて郷里の実家近くの江津湖を愛したといい、1979年(昭和54年)には熊本市の名誉市民となった。また郷里に残した母を想って詠んだ句も多い。1988年(昭和63年)9月、東京女子医大病院で死去、郷里の実家の建物もすでに無いという。
野毛山公園/ラジオ塔
中村汀女句碑のある広場の西側、園路脇の斜面に石灯籠を思わせる意匠の塔が建っている。「ラジオ塔」だそうだ。園路脇に設置された案内パネルによれば「ラジオの聴衆契約者が百万人を超えた記念に」日本放送協会が全国の著名な公園や広場に建設を計画、昭和7年度から昭和8年度にかけて41ヶ所に建造したものという。その41ヶ所のうちのひとつに、この野毛山公園も選ばれたということらしい。正式名は「公衆用聴衆施設」といい、高さは約3m、1932年(昭和7年)11月19日に建てられたものという。
野毛山公園/池のある広場
中村汀女句碑のある広場から「ラジオ塔」の横を過ぎると、園路は大きく回り込む。園路から横手の道路脇に降りてゆくと池のある広場が設けられている。池はそれほど大きなものではないが、奥部の岸辺がうまく整備され、日本庭園のような風情を醸し出している。池には睡蓮も植えられており、初夏から夏にかけては花が楽しめる。野毛山公園の中で特に訪れるべき場所というわけではないが、トイレも設置されており、散策中の休憩所のような役割を果たしてくれる広場だ。
野毛山公園/佐久間象山顕彰碑
池のある広場から西側の丘へと再び上ってゆくと、木立に囲まれて佐久間象山顕彰碑が設けられている。佐久間象山は幕末の松代藩士で、早くから開国と通商貿易の必要を説き、横浜の開港を推進した人物として知られる。この顕彰碑は1954年(昭和29年)、開国100年を記念してこの地に建てられたものという。

佐久間象山は名を啓(ひらき)といい、「象山」は号である。1811年(文化8年)に佐久間国善の長男として生まれた象山は、幼い頃から父に儒学を学び、1833年(天保4年)には江戸に出て佐藤一斎に朱子学を学んでいる。幼少から学芸武術に秀でていたという。1842年(天保13年)、老中となった松代藩主真田幸貫に「海防八策」を建言、この頃から象山は蘭学に傾倒し、洋式砲術や砲台構築などを学び、西洋技術による国防強化を志すようになる。硝子の製造なども企て、さらには洋式大砲の鋳造なども行ったという。電信の実験を日本で初めて行ったのも佐久間象山だったという。

1852年(嘉永5年)、再び江戸に出た象山は木挽町に砲術兵学の塾を開く。500名を超える門下生の中には勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、橋本左内、小林虎三郎らがいた。1853年(嘉永6年)にペリー艦隊が浦賀沖に来航した際には老中阿部正弘に「急務十事」を建言、松代藩の軍議役として砲術訓練や浦賀警護などに当たった。開港場を江戸から離そうとした幕府に対して、開港場を近くに置くことによる利点を重視、横浜の開港を強く推したのだという。翌年ペリー艦隊が再び来航した時に吉田松陰に密航を勧めて失敗、その責を負って象山は蟄居の身となった。

長州、土佐両藩主の働きによって1862年(文久2年)に赦免された象山は1864年(元治元年)に幕府の命によって上洛、開国進取と公武合体論を説いたが、それが仇となって、その年、京都三条水屋町で攘夷派の刺客の手によって暗殺された。享年53。早すぎた才能と言うべき人物だったかもしれない。
野毛山公園/子供の遊び場

野毛山公園/子供の遊び場
佐久間象山顕彰碑のある一角から右手に老松小学校を見ながら園路を辿って北へ坂を下りてゆくと、子どもたちのための各種遊具を設置した広場がある。道路に面した入口にはオブジェを兼ねた名標が置かれており、「野毛山公園 子供の遊び場」とある。このオブジェ、不思議な形をしているが、何を象ったものか。

「子供の遊び場」は決して広くはないが、広場にはブランコや滑り台の他、斜面を利用した複合遊具などが設置されており、近所の人らしい親子連れが訪れて子どもたちが遊んでいる。野毛山公園の一部と言うより、独立した小公園のような位置付けと言っていい。野毛山公園を訪れて、ここまで足を延ばす人はほとんどいないだろう。この「子供の遊び場」を利用するのは、もっぱら野毛山公園北側の住宅地に暮らす人たちに違いない。

「子供の遊び場」の西側は、道路を挟んで野毛山動物園だ。北東側の、低くなった地形に池を設けた辺りがフェンスの向こうに見える。こちら側には野毛山動物園への入口は設けられていないので、動物園に入園するには正面入口へと回る必要がある。
野毛山公園/野毛山動物園
佐久間象山顕彰碑のある一角へと戻り、そこから道路へ降りて交差点を渡ると野毛山動物園の入口に至る。野毛山動物園は1951年(昭和26年)に「野毛山遊園地」として開園、以来横浜市街地に位置していながら本格的な動物園として親しまれている。1999年(平成11年)に緑区にズーラシアが開園した際、それに伴って野毛山動物園は閉園の予定もあったようだが、存続を望む市民の声もあって廃園を免れ、改修工事を経て2002年(平成14年)にリニューアルオープンした。現在も休日になれば大勢の来園者で賑わっている。
野毛山公園/野毛山配水池
野毛山動物園入口横から吊り橋によって南に道路を渡ると野毛山配水池がある。野毛山配水池は水の備蓄の役割を持つ施設で、現在西区全域と中区・南区の一部の地域にここから水が送られているのだという。かつては1887年(明治20年)に日本最初の近代水道が創設された際に最初の浄水場があった場所だった。相模川上流の水がここまで送られてきたのだという。当時の浄水場は関東大震災で壊滅、現在は残っていない。

野毛山公園/近代水道発祥の地碑
傍らには「近代水道発祥の地」碑として、日本近代水道の創設者として知られるヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像がある。パーマーは横浜の水道創設の際、顧問工師長として設計と監督に携わった。横浜築港工事などの港湾工事でも業績を残し、大阪、神戸、函館、東京の水道計画にも貢献したという。1893年(明治26年)、五十四歳で没、現在は東京青山墓地に眠っている。この碑は横浜水道創設100周年を記念して建立されたものであるという。
野毛山公園/野毛山展望台からの眺望
野毛山配水池の南側、丘陵地の端となった地形を活かして展望台が設けられている。展望台からは左手にはランドマークタワーを見て、正面には関内駅周辺に広がる横浜中心市街地を見下ろす。その辺りは、江戸時代初期まで深い入り江だったところだ。そこを吉田勘兵衛が埋め立てて新田を造った。いわゆる「吉田新田」である。展望台には「吉田新田ができるまで」と題した解説パネルも設置されている。展望台からの眺望に古い時代の風景を思い浮かべてみるのも一興だろう。
野毛山公園
野毛山配水池の南西側、野毛山公園の最も奥まったところは開放的な雰囲気の広場になっている。長方形の敷地の外縁部を園路が囲み、中央部は草はらの広場だ。広場の中や外縁部には適度に樹木が影を落とし、のんびりと穏やかな空間を演出する。広場にはシートを敷いてお弁当を広げる家族連れの姿もある。動物園からこちらへ移動してランチタイムを過ごす人たちも少なくないのだろう。広場の西側から東に視線を向ければ、木立の向こうにランドマークタワーが見え隠れする。のんびりとした公園の風景と不思議な調和を見せてフォトジェニックだ。
野毛山公園は横浜中心部に近い市街地の中、現在でも緑濃い丘の風情を残しており、散策コースとしても魅力的なものだ。少しばかり北へと足を伸ばせば伊勢山皇大神宮掃部山公園へもそれほど遠くはなく、歴史的由来を訪ねての気ままな散策も楽しめる。子ども連れの家族での行楽にはやはり動物園が楽しいだろう。動物園でさまざまな動物たちを見学した後は広場の芝生の上でお弁当を広げるのがいいだろう。また野毛山公園は桜の名所でもあり、花期には随所に美しい桜を見ることができる。桜の季節を選んでお花見を兼ねて訪れるのもお勧めだ。
野毛山公園