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町田市野津田町〜山崎町
七国山周辺
Visited in April 2000
(本頁の内容には現況と異なる部分があります)
七国山周辺
町田市の中央部あたり、山崎町の東部に七国山(ななくにやま)という山がある。標高128メートルほどの山だが、かつてはそこから相模・甲斐・伊豆・駿河・信濃・上野・下野の七つの国が見渡せたといい、そこからこの名があるのだという。周囲は山崎町から野津田町にかけて丘陵地帯が広がり、多摩丘陵の自然をよく残している。周辺には薬師池公園町田ぼたん園、町田ダリア園、町田リス園町田えびね苑などが点在し、町田市も七国山周辺の散策マップを作るなどして、この一帯は町田の行楽地として成立している。新緑の美しい四月の下旬、この七国山周辺を歩いてみた。
七国山周辺の散策の際にはやはり薬師池公園をその中心に据えるのが妥当だろう。公園の周辺には駐車場も用意してあり、車で来訪する際にも便利だ。薬師池公園は地形から言えば七国山の東側の谷戸部になるが、そこから西へ丘陵を登ってゆき、一巡りして戻ってくるのがよいだろうと思える。

時節がら、町田ぼたん園の牡丹が見頃ではないかと期待して、まず町田ぼたん園に向かう。鎌倉街道沿いの駐車場に車を置き、薬師ヶ丘の住宅地を抜けて町田ぼたん園を目指した。多くの観光客が訪れる季節とあって随所に案内板などが設置してあって初めてでも道に迷うことはないが、付近の道路には赤色コーンが置かれ、ところどころには警備員も立っている様子などは苦笑いを誘う。

町田ぼたん園
案内板に従って進んで行くと、やがて周辺の雰囲気が住宅地から丘陵地帯の農村のような風情へと変わってゆく。やがて坂道を上って周囲の視界が開ける頃、町田ぼたん園に辿り着く。開園からまだ間もない時刻だったが、すでに何人もの人たちが訪れている。牡丹は残念ながら開花が遅れているということでほとんど咲いてはいなかった。訪れた人たちも残念そうだが、園内を散策したり一休みしたりとそれぞれに楽しんでいるようだ。

少々時期を逸した町田ぼたん園を早々に後にし、前の道を南へと上る。町田ぼたん園の正面入口の前の交差点の角に七国山周辺の地図を描いた案内板が設置されているので、これも念のために確かめておく。七国山周辺の丘陵は菜の花畑が多いことでもよく知られているが、少しばかり進むだけで見事な菜の花畑が目に飛び込んでくる。菜の花畑を見下ろす丘の斜面ではカメラの三脚を構える人やスケッチのキャンバスを立てている人の姿もあった。
鎌倉街道の碑
七国山の方角へさらに道を辿る。このあたりはかつて鎌倉街道の古道が抜けていた場所で、七国山の峠と思われる付近に古の井戸が残っている。鎌倉古道はそこから今井谷戸へ下り、井出の沢へと通じていたのだという。通称「鎌倉井戸」というその井戸の跡は鬱蒼とした木立に囲まれた薄暗い山道の脇にひっそりと残っている。傍らに立てられた案内板によれば、表土部分はすでに崩落してしまっているが、地表から1.5メートルほど下には直径70センチほどの井戸が原型のままに保存されているらしい。

この「鎌倉井戸」はその名の通り、鎌倉時代に掘られたものであるという。一説には新田義貞が鎌倉攻めを行った際、行軍途中でこの地に井戸を掘り、軍馬に水を与えたものだと伝えられている。新田義貞は新田の庄(現在の群馬県新田郡と太田市のあたり)に生まれた高名な中世の武将で、足利尊氏、楠木政成とともに「太平記」に登場することでも知られている。

鎌倉井戸
新田義貞の鎌倉攻めは1333年(元弘3年)のことで、新田義貞はこの時32歳、わずか150騎ほどの無謀とも思える挙兵であったという。各地の武士団を集めてゆく新田軍ではあったが、緒戦は敗退。しかし時を同じくして京では足利尊氏の決起によって六波羅が陥落、時代は一気に鎌倉幕府崩壊へと傾いていた。敗退の後も義貞に同調する武士団は後を絶たず、陣営を立て直した義貞は大軍を率いて鎌倉へ攻め込んでゆく。今では峠道の脇にひっそりと残る井戸の跡だが、かつて北条氏政権打倒へと決起した武将の行軍の跡であるかもしれないと思うと、切り通しの峠道を抜ける風にも歴史の渦の名残を見る思いがする。
「鎌倉井戸」から今井谷戸方面へと下ると町田ダリア園のあたりへと降りることができるのだが、今はまだダリアには早い。今回は引き返して七国山緑地保全区域の雑木林の中へと足を踏み入れてみることにする。「七国自然苑」の傍ら、舗装された道路から逸れて林の中の分け入って行く未舗装の小径がある。傍らには保全緑地に関する案内板が立っている。陽光にきらめく新緑と野鳥の声に誘われるようにして、この小径へと歩を進めた。

七国山緑地保全区域
この保全緑地は七国山の北西側斜面に広がる雑木林で、小径は緩やかな下り坂を辿っている。新緑の林に揺れる木漏れ日も美しく、どこかすぐ近くで野鳥の鳴く声がする。途中、林の中のさらに奥へと向かう分かれ道があり、そこへ進んでゆくと林の中にぽっかりと広場のような場所があった。昔は山中の畑として使用されていた場所だったのだろうか。地元の人にはよく知られている場所であるらしく、野鳥観察らしい人の姿や近くの幼稚園か保育園らしい子どもたちの姿もあった。この広場のような場所から細道を北へと辿ると、町田ぼたん園のすぐ近くへ抜け出た。小さなお稲荷さんの社があり、周囲の様子から近くの民家の私有地かもしれないと思い、恐縮しながらまた元のルートに戻った。

雑木林の中の広場からは西へ降りて行く小径もあり、それを下ってゆくと見事な竹林の中に出た。竹林の中には「筍を採らないで欲しい」旨の注意書きがあり、「筍の盗掘によって今では細い竹しか残っていない」旨の説明が添えてある。雑木林の中にせっかく美しく残る竹林であるのに、筍の盗掘によって荒れてゆくというのはあまりにも悲しい気がする。

散策途中にて
竹林を過ぎると間もなく舗装された道路に出た。車一台がやっと通れるほどの道幅の道路だが、周囲には民家も少なくなく、ところどころには真新しい住宅なども建っている。この道を左方へと進むと眼前に美しい丘陵の風景が広がった。緩やかな傾斜を伴った地形の中に畑が広がり、畑の片隅ではチューリップの花が鮮やかに咲いている。この辺りは山崎町の最北部にあたり、丘陵の向こうには鶴見川が流れているはずだ。そのまま進んで行くと、やがて道が右に曲がって急な下り坂となるあたりで稲荷神社が道脇にあった。その先に歩を進めるのは次の機会にして、そこから道を引き返した。

道を北へ進むとやがて鶴見川を渡る丸山橋に至るが、途中右手へと登ってゆく道があり町田ぼたん園へと戻ることができる。いったん町田ぼたん園まで戻り、尾根道を辿って薬師池公園へと向かうことにした。薬師池公園も雑木林の新緑が美しく、ツツジも見頃を迎えて彩りを添える。しばらくのんびりと公園内を散策するのもいい。日毎に夕暮れが遅くなるこの季節、帰路を急ぐこともないような気がする。
菜の花畑

古き佳き時代の懐かしい農村風景というと谷戸と里山とが織りなす風景を思い描くことが多いが、この七国山周辺に見られるのは緩やかな起伏を伴って広がる「おか」の風景だ。開けた視界の向こうには遠い山並みが霞んで見え、新緑の若葉を揺らして爽やかな風が丘を吹き渡って行く。それは子どもの頃に見た懐かしい風景であるような気もする。
散策の途中、行く先々で同じような散策の人たちの姿を見かけた。薬師池公園の方から、あるいは今井谷戸の方からなど、七国山周辺の散策を楽しむルートはいくらでもあり、季節に応じて楽しむことができるだろう。公園施設以外の道路脇は基本的に私有地であり、またトイレも公園以外には設置されていないので、散策の際には注意が必要だ。のんびりと余裕を持って楽しむのであればお弁当持参がお勧めだ。お弁当はやはり薬師池公園などの公園内で広げるのが良いだろう。

駐車場は薬師池公園周辺に何ヶ所か用意されているが行楽シーズンには駐車場も周辺道路もとても混み合うため、バスを利用するのが賢明だ。町田駅発の本町田経由鶴川駅行き、あるいは本町田経由野津田車庫行き、鶴川駅発の本町田経由町田駅行きなどの路線で、「薬師ヶ丘前」、「薬師池」、「今井谷戸」などのバス停を利用するとよい。
【追記】
町田市では2014年度(平成26年度)から薬師池公園とその周辺を一つの大きな地域公園として捉え、「町田薬師池公園 四季彩の杜」の名称で整備を進めている。それに伴い、「薬師池公園」は「町田薬師池公園 四季彩の杜 薬師池」に、「町田ぼたん園」は「町田薬師池公園 四季彩の杜 ぼたん園」に、「町田えびね苑」は「町田薬師池公園 四季彩の杜 南園」に、「町田ダリア園」は「町田薬師池公園 四季彩の杜 ダリア園」に、それぞれ呼称が改められている。本頁の内容はそれ以前のものであることもあり、以前の呼称のままにしておきたい。
七国山周辺