犬山城は織田信長の叔父である織田信康によって1537年(天文6年)に築城されたものという。犬山城は木曽川を背にした丘の上に建てられており、兵法で言うところの「後堅固(うしろけんご)」の城だった。城下町は城の南側に広がっていたが、城下町も城郭の中に取り込んだ、いわゆる「総構え(そうがまえ)」の構造でもあった。
時代はまだ戦乱の世、城を築いた織田信康は1547年(天文16年)に「稲葉山城攻め」で亡くなり、信康の子である織田信清が城主となったが信長と対立、信長に攻められて城を追われ、以後、犬山城の城主は幾多の変遷を重ねることになる。
時代はまだ戦乱の世、城を築いた織田信康は1547年(天文16年)に「稲葉山城攻め」で亡くなり、信康の子である織田信清が城主となったが信長と対立、信長に攻められて城を追われ、以後、犬山城の城主は幾多の変遷を重ねることになる。