1908年(明治41年)、大日本帝国陸軍第十三師団が高田に移転する。当時の高田町が1905年(明治38年)に創設された第十三師団の誘致に成功したのだ。その頃から高田の町では西洋風の旅館や娯楽施設が流行したという。「高田座」もその流行の中に建てられたわけだ。
建てられてから5年後の1916年(大正5年)、「高田座」は「世界館」と改称、芝居小屋から常設映画館へと業態転換した。1910年代後半、いよいよ日本に於ける映画制作が本格化しようとしていた時期である。1918年(大正7年)には「純映画運動」が起こった。「純映画運動」は女形を廃止して女優を起用すること、弁士を廃止して字幕を活用すること、写実的な演技・演出を行うこと等を提唱し、日本映画の近代化を図った。こうした動きの中で、それまでのいわゆる「活動写真」から脱却、近代的な「映画」としての新たな方法論が確立されてゆくのである。まさにその前夜の時期に常設映画館として営業を開始した「世界館」は先見の明があったのだろう。